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壱話 『対魔師マコト』

 (まこと)は己の心に蓋を閉じ、森林が風を浴び、せせらぐ音だけを耳にしながら。


 煩悩を全て廃し、心中に巣くう鬼を(いまし)める。


『我は汝と在る』誠は父が遺した言葉を反芻し続け、結跏趺坐(けっかふざ)を組ながら、縁側で(ぜん)を行うこと十分(じゅっぷん)


「ほぉ……気の流れが穏やかになってきたのぉ」


 背後で警策(けいさく)を持ちながら呟く、和尚の言葉に、動揺の色も見せず、静かに心を落ち着けている。


 今、誠は天地と同化し、万物の理に逆らわず。全てが凪いでいるようだった。


「手前の鬼を鎮め、常に自制心で抑えつけよ」


「はい……」


 鼻から息を吸い、口から吐く。


 深呼吸を繰り返して、目を瞑り瞑想に耽る。


「おっ? 何をしてるんだ(まこと)!!」


 突然、誠の前に大きな声を張り上げる無精髭の大男が、悪戯を思いついた悪童のよう、笑顔で誠の頭を叩いた。

 

 文字通り無精髭、朝黒い肌と彫りの深い顔がまるで、江戸時代の侍然とした中年男──伊藤(いとう) 慶尚(けいしょう)──誠の剣術の師である。


「これ慶尚! (まこと)は修業しておるじゃろ!」


「ほぉ……座禅組んで、写経して、んで次は護摩行(ごまぎょう)ってか?」


 調子よく禅に集中していた誠は、師匠の茶々いれに眉を潜める。


「ほれほれ! 精神統一、精神統一! ガハハハ!!」


 ゴツゴツした太い指が、誠の膨らんだ鼻に入り込む。


「う、うぇ~! ゴホッゴホッ!」


 誠は思わず目を開け、眼前の師匠を睨んだ。


 元徳川家剣術指南役、小野(おの) 忠明(ただあき)が紡いだ縁か、小野派一刀流の家元──伊藤(いとう) 慶尚(けいしょう)は名の通り。


 伊藤一刀斎の化身と謳われた現代の剣豪だ。




「これ誠……」


 気を乱した誠の肩に、和尚の警策がコツリ。


 目の前でニヤつく師を(ねら)み、右肩を出した。


「いてっ!!」


 バチンと竹を割るような乾いた音が鳴り、右肩に激痛が走ったと同時。


 無精髭の大男がひっくり返って爆笑するほどに、誠はいじめがいがあるのだろう。


「ガハハハッ!!」


「お前もじゃ……」


 丹念に剃られた頭まで真っ赤にした和尚は、そう言い。


 大男の脳天目掛け、警策が真っ二つに割れるほどの強さでぶん殴った。


「ガッ!」


 笑いが一瞬で止み、そのまま伊藤は縁側に突っ伏した。


「はぁはぁ……誠、禅はもうよい。仕事じゃ」


「は、はい」


 和尚の言葉に痺れた膝を抱えながら、正座を解く誠。


 脇に置かれた誠の愛刀『備前長船永光びぜんおさふねながみつ目貫(めぬき)に似合わぬ朱色の鞘には、人絹を垂らした漆で艶やかに飾られている。


 豪壮華麗な波紋は、深い湖に落ちた影のように深い闇。


 現世(うつしよ)に陰を射す刀身は、この妖刀『備前長船永光』を語るに必定。


 鏡面のような刀には、誠の眉目秀麗な顔ではなく、オニキスのような禍々しい瞳だ。目尻はつり上がり、口の端から覗く営利な牙はまさしく鬼面であった。



×××



 四方を囲む山に陽が落ち、新緑が朱に染まり、西の山は赤々と燃え盛るように見えた。


「誠、お主が龍泉寺に来てどれくらい経ったかの?」


 車を運転する和尚が傍らで車窓を眺める誠に、一瞥くれて質問をする。


「十年くらい……かな」


「そうか、そんなに経ったか。歳を取ると月日の流れが早くてな……」


「急に老けたような事言うんだね」


 誠は珍しく弱気な事を言う和尚を見つめ、感慨深げに言う。


「老けたは余計じゃ」


 いつもなら誠の軽口に、ゆでダコのように頭まで真っ赤にする和尚は笑みを浮かべ、それ以上言葉を紡ぐ事もなく白髭を撫でた。

 


×××


 明日香(あすか)を抜け、吉野(よしの)の広大な自然は遠く、陽は既に落ち、辺りはヘッドライトと時折見える街灯のみが頼りになる。


 畦道を抜けると奈良(なら)市に出た。ここが誠の仕事場だ。


 『興福寺(こうふくじ)』奈良の五重塔を有する敷地に上がり、勾配のきつい階段を登ると、すぐ脇道に逸れ、街灯もない暗がり。


 そこには囲いの中にひっそりと立つ三重の塔があった。


「観光してる人もいないね」


「そりゃそうじゃろ。マイナー(・・・・)じゃからな」


 そう言って腰ほどの高さの門を開き、僕らを出迎えた僧にお辞儀をした。


「おぉ! わざわざお呼び立てして申し訳ありません……」


「丁度、このボウズも(ひま)しとったんじゃ。構わんよ」


 坊主(ぼうず)と呼ばれた誠は、控えめに頭を下げて挨拶する。


 陰陽道には『呪詛(すそ)』という概念がある。


 呪詛とはつまりモノを『|呼称』することによって生じる魂。


 神仏的な話だが、とどのつまり誠は真名(まな)を明かせないということ。


「して、御用は?」


 和尚が世間話を終えて、ようやく本題を切り出した。


 年寄りの与太話を聞きあぐね、欠伸を噛み殺す誠が慌てて居ずまいを正す。


見鬼(けんき)がおありではないのですか?」


 僧が言う通り、本来対魔師や除霊師に(あやかし)を見る、感じる能力がなければ話にならない。


 だがこと誠に関して言えば、土御門を逐われた時より、そうした能力の全てを封じられた。


 裏を返せば身を護る呪詛や祝詞(のりと)すらも、誠には毒となる。


「訝しむかもしれんが、ボウズには力は無いんじゃ」


「ふむ、分かりました。聞きもうしません……」


「すまぬ」


 僧が誠へ一瞥くれ、神妙な面持ちで口を開く。


「実は日本人形に附憑(ふひょう)した怨霊が、夜な夜な人を苦しめ、時に殺めたとか……」


「ほぉ……九十九(つくも)神か……」


 付喪(つくも)(九十九)というのは陰陽用語のようなもので、物に宿る霊魂が、妖に変生(へんじょう)するといった話だ。


 これに対して陰陽師(おんみょうじ)ならば祈祷し、供養すれば難なく成仏させられる。


「それは斬っても大丈夫なんですか?」


 誠の素朴な質問に、僧は淀みなく「かまいません」っと答えた。


「では早速……」


 竹刀袋から日本刀、こちらも妖刀『備前長船永光』を抜く。


 二本目の『長船長光』として、世に知られぬ妖刀であり『童子切安綱(どうしぎりやすつな)』に並ぶ逸話を持って、土御門家に納められた物だ。


 三重の塔の朱色の門を開けようと、手を伸ばした瞬間──誠の指先に電流が走った。


「いてっ!」


「む? どうしたのじゃ」


 誠には一つ思い当たる節があった。


 それはかつて土御門を逐われた折。


 (こて)で左胸を焼かれ、その上から刺青を入れられた紋様によって、力を封じられているせいだと。


 それが護符に反応し、否応なしに誠をモノノケと認識させる。


「御札……かな」


「おお、そうじゃったな。どれ、ワシが剥がしてこよう」


 そう言ってじい様が三重の塔に入り数分、封印を一枚一枚、丁寧に剥がしてくれた。


「それでは霊が暴れてしまいますぞ」


「すみません。僕も仕事ができないもので……」


「は?」


 部屋を照らす燭台に乗った火を吹き消してくれ、しばらくすると暗がりから和尚が姿を現した。


「ほれ、もう問題ないじゃろ?」


「よしっ! 頑張ります!」


 誠は自身の頬を打ち克己(こっき)すると、日本刀を携え単身、塔の中に入る。


「では閉めるぞ」


「はい……」


×××


 漆黒の影が辺りを覆い、高い位置に設けられた格子戸から漏れる蒼白い月明かりのみが室内を照らす。


 燭台に囲われ、中央には桐箱がポツリと置かれていた。


 対象と相対しても顔色一つ変えず、桐箱を見つめる。


 誠の対魔術は、一般的な陰陽師の祈祷と違って、護摩を焚きながら一晩、必死に祈る必要がない。


 直接的な方法にでる為。荒々しく乱暴、粗野で下賤と揶揄される所業。それが彼の生業だ。


「さっそく始めよう」


 下準備などなく、おもむろに刀を抜き、それを傍らへ置くと軽い深呼吸の末、桐箱の蓋を開ける。


 封の無い上蓋から這い出た針金のような黒髪が、誠の指に絡み付いてきた。


「っつぅ……敵意剥き出しだ……」


 蓋を開けるたび強く、更に強く締め付け、中を覗く頃にとうとう、指の皮膚が切れるほどだった。


「日本人形……綺麗だ」


 血色のない顔は、少し湿り色の色落ちした桐塑(とうそ)が創傷のようで、柔和な二重瞼の下には漆黒の瞳。


 伸びきった黒髪は箱に収まり切らないほどだ。


 中が判ればなんて事はない──誠は指に絡む髪の毛を払い、傍らの日本刀を握ると手に力を込め桐箱を睨む。


「南無三!!」


 っと降り下ろそうとした途端──誠の身体は羽交い締めされたかのように、腕が動かない。


 その上寒くもないのに白息が漏れ、背後から鼻をつく硫黄の臭いが漂う。


「くっ……見えない……」


 思案していると、誠の身体は簡単に宙に浮き、突風に吹かれたが如く体が塔の壁に叩きつけられた。


「っぐ! かっ!」


 背を打ち軽い呼吸困難に陥る。


 目を剥き歪み始める視界に、危機感を覚えた誠は硫黄の臭いを追うが、やはり見鬼のない誠には姿が見えない。


「仕方無い──鬼眼!」


 誠の心中、奥に潜む忌まわしき鬼の力、それを目に附憑しようと呼び掛ける。


 和尚の言っていた「常に自制心で鬼を鎮めよ」と──言葉を胸に、侮ることなく努めて平静に。


 すると世界は灰色に溶け、セピア色の情景の中。


 白拍子の遊女が、飄々と舞いながら長く不精な髪を揺らし、めろめろと蒼白い炎を吐いていた。


「そこに居たんだね」


 もう一度刀を握り、今度は逃さむまいと一歩踏み込み。


 師匠直伝──と言ってもこれくらいしか知らない──右切り上げの逆袈裟斬り。


「ハァッ!」


 だが霊体は軽々と誠の刀を避けた。


『ケキャキャギャギャ!!』


 笑う白拍子の霊は、悪戯に誠の体をすり抜け、封印が解かれた門に向かった。


「くっ! 逃げられる!!」


 踵を返すが再び刀は空を裂き、霊は既に室内にはいない。


 慌てて門を開けると目を丸くする和尚と、鬼を宿した怪しい眼の誠に怯え小さな悲鳴を上げる僧。


 そして男には憑けないであろう、白拍子は新たな獲物を探しに夜闇へ向かう。


「間に合えぇ!」


 誠は腹の底から叫び、内に眠る鬼に自身の足を与えると、骨を砕き肉を()きながら動物のような足を露にして、霊に飛び掛かった。


 空中を漂う霊の背後から豪風を巻き起こし、人知を越えた速度で刀を振る。


『ギャァアア!』


 手応えは確かにあった。だが誠の手には切った感触など微塵もなく、幽体は腰から真っ二つ別れ、誠の耳に届く苦痛の声。


 霊は断末魔の声を上げた。


『アリ……ガトウ……』


 消え入りそうなほど微かな(ことば)の残滓が、誠の胸に酷く突き刺さる。


 灰色に映る夜空を見上げ、天に昇る光の粒。


 口の端を僅かに緩め、頬を伝う一筋の雫を撫でた。


「さようなら──」


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