未来へ①
──夜明けを告げる鳥の声がする。
地平線が、アメジストのような早朝の光に染まっていた。
「…‥きれい」
メリーアンは丘の上に立って、その光景を眺めていた。
冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。胸が少し傷んだが、それは生きている証拠だ。メリーアンは痛みに奇妙な喜びを覚えながらも、憂いを帯びた目で領地を見渡した。
「こんなに綺麗なのに、どうして?」
どうしてまたここが、ミアズマランドにならなければならないのか。
…‥いいや、ここは初めからずっと、ミアズマランドだった。なぜなら、ララはこの地を浄化することができなかったのだから。
じっとメリーアンが考え込んでいると、隣に誰かが立つ気配がした。
見上げれば、フェーブルが立っていた。ガラス玉のような瞳に、夜明けの光が映っている。
「……準備はいいか? メリーアン」
「ええ、問題ないわ」
つい先程まで死の淵を彷徨っていたとは思えないほど、メリーアンは力強い返答をした。
「でも本当に、私にミアズマの浄化ができるのかな」
「さっきも言ったが、完全には無理だよ。ただ現状を緩和させることはできる。そうやって、少しずつ取り除いて行くしかないのだ」
メリーアンは悲しくなって涙が溢れそうになったが、前を見据えた。
この地に白銀の大地を取り戻すという夢はまだ叶いそうもない。
それでもみんな、この地で生きていくしかないのだ。
「さあ、やろう。手伝ってくれるな?」
「うん」
「手を繋いで。その方がきっと、浄化しやすい」
いつだってそうだ。
人生はままならなくて、人はその現実を受け入れるほかない。
(だけど、無理に乗り越えなくてもいい)
時が解決してくれることもある。悲しみを抱えながらでも、歩くことはできるのだ。その道中には、辛いこと、悲しいことを経験した人のみが見られる景色が、きっとある。
メリーアンは目を瞑って、集中した。フェーブルの手を通じて、大きな力が自分の体に流れ込んでくるのを感じる。メリーアンはそっと、右手を胸に当てた。それから、光のシャワーが領地に降り注ぐようなイメージで、力を発散する。
その時、メリーアンは世界の理を一つ知った。
全てのものは目に見えずとも、小さな物質で構成されている。
それらを分解し、再構築するのが魔法なのだと。
フェーブルはずっと、水を操っているのだと思っていた。しかし正確には、その結びつきを変化させたり、新たな物質と結びつけたりして、操っていたのだ。
(この世界のものは、みんな繋がっている…‥)
運命も同じだ。
この世に起こる出来事は、全てが繋がっている。
メリーアンは理解した。
自分が繋いできたものによって、命を救われたのだと。
*
その後、無事に呪術の核となっていたリリーベリーが救出されたこと、そしてメリーアンたちの浄化のおかけで、クロムウェル領のミアズマは落ち着いた状態になった。
夜明けとともに、すぐにベティローズは国に連行され、その後秘密裏に処分されることになった。魔法史博物館が絡んでいるため、事件をおおっぴらにすることができなかったのだ。幸いなことに死者が出なかったことで、話も大きくはならなかった。処分の内容についてはメリーアンも聞かされていないため、想像に任せるしかない。
最大の問題は、オルガレムに魔法史博物館の秘密が漏れてしまっていないか、と言うことだろう。これに関しては、ベティローズがオルガレムの協力者に、再びリンダール領事件の再現をする、と持ちかけ、協力を得ただけのようだった。魔法史博物館の秘密については、何も話していないという。しかしメリーアンと対峙した時、お互いかなり秘密を話してしまった。その場にいたオルガレム人で協力者は全員だと聞いている。彼らはおそらく、命はないだろう。
クロムウェル領のミアズマが残ってしまった件については、全国民に公表することになった。この情報がオルガレムの手に渡るのは痛いが、それよりも国民の命が優先された。ミアズマが残っている以上、クロムウェル領、またその周辺の国民たちは再び定期的に神殿に通い、浄化を受ける必要があるからだ。
ララとユリウスの件も、世間に公表された。というより、公表せざるをえなかった。
クロムウェル領が浄化しきれなかった理由を、不自然に隠すことはできなかったのだ。
ララとユリウスが最終浄化作戦の直前に関係を持ってしまい身籠ったせいで、聖女の力が弱まってしまったこと。そのせいで、クロムウェル領のミアズマが浄化しきれなかったこと。
ただし、ララのそれまでの功績は偉大だった。クロムウェル領以外の全てのミアズマランドを浄化したのだ。
王家は寛大な心で二人を許したが、ユリウスは、クロムウェル伯爵位を王家に返上し、ララとともに、静かな場所で慎ましく暮らすことを選んだ…‥と表向きには発表された。
実際には、ララは博物館の人形を持ち出し、リンダール領事件を再び再現してしまうという、大罪を犯したのだ。王家がララを許すことはなく、また愚かなユリウスも処罰の対象となった。
二人は全ての財産を没収され、アストリアで最も過酷だと言われる辺境の地へ追放された。処刑される可能性もあったが、エドワードの申し入れもあり、なんとか追放という形で済んだ。エドワードは、きっちりララとの約束を守ったのだ。
クロムウェル伯爵位は王家に返上された上、クロムウェル領は王家直轄の地となった。
それが悲劇かと言われれば、そうとも言えない。王家の管理下に入ったため、これからは潤沢な資金で、クロムウェル領は支援されるからだ。
世間は浮気されたメリーアンに同情的だった。浮気された上、実家に出戻りとなった哀れなメリーアンに、支援を申し出る貴族もいたほど。
メリーアンにしてみれば正直いい迷惑だった。実家には絶対帰るつもりはないし、もう貴族の娘としての振る舞いも必要ないため──夜間警備員として、博物館に一生を捧げると誓ったからだ──全ての支援を断った。同情も支援も必要ない。今はただ静かに、そっとしておいて欲しかった。
こうして一連の事件は、ひとまずゆっくりと幕を下ろしたのだった。




