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動き出す心臓 ライナスの怒り

 ──ライナス・オルトは毎晩奇妙な夢を見ていた。


 それはライナスの人生が描かれた絵画が飾られている画廊を訪れる夢だった。

 そこではもう一度、妻の笑顔を見ることができた。絵の中で笑う妻は、幸せそうだった。

 ずっとここにいたい。


 ──彼女に、会いに行きたい。


 ライナスは夢の中の画廊に来るうちに、ここがなんなのか、少しずつ気づいていった。おそらく、死の間際に来る場所なのだと。ライナスの希死念慮が、ここへ来させているのかもしれない。


     *


 その夢は、いつも朝起きてすぐに忘れてしまうのだが、その日は違った。

ライナスは、強烈な怒りを持ってして、消えていこうとする記憶を引き留めた。


(あの子を助けなければ。荷車を押してくれたあの子を。これ以上私の周りで死者を出してなるものか!)


 彼を突き動かしたのは、魂の底から湧き上がるような、激しい怒りだった。

 彼は夢の中で、メリーアンに会ったのだ。彼女はもう死んでしまうと、どうしようもなさそうに笑っていた。


 ライナスは妻が死んでから自失状態にあったが、それでも今日まで自分を助けてくれた人々の顔は覚えている。気が済むまで遺体を保管してくれたハイプリースト、体調を気遣ってくれたクロノアの信徒たち、そして腐った遺体を気にもせず、荷車を押してくれたメリーアンと名乗る少女。

 運命は理不尽すぎる。善良だった妻とその子どもがなぜ死ななければならない?

 なぜあのように未来ある若者が、死ななければならないのだ。


「神に一言物申すまで、死んでたまるか!」


 ままならない運命に、ライナスは憤った。


「あの子の時間と、私がいた時間が同じ座標にあったとは限らない。まだ間に合うかもしれない……!」


 ライナスは、鈍った心臓が怒りによって再び動き出すのを感じていた。


     *


「うわ、すごいスピードで飛んでいきますね……。メリーアンさん、大丈夫でしょうか」


 魔法史博物館の中庭。

 メリーアンたちを乗せたマロウブルーが空の彼方に消えていくのを、残った夜間警備員たちが見送っていた。つい先ほど、クロムウェル領に向けて出発したのだ。


「さて、俺たちも働きますか」


「そうだね。メリーアンたちがいない分、しっかりやらなきゃ」


 オルグとトニがそう言って、グッと伸びをしていた、その時。


「ああ、ここにいましたか」


「!」


「言いつけを破ってしまい申し訳ない。しかし緊急の用事がありまして」


 聞き覚えのある声に、全員が思わず振り返った。

 そこには、緊迫した顔のハイプリーストが立っていた。


     *


 魔法史博物館の秘密を知っているのは、博物館の職員だけではない。

 時間の神クロノアの信徒であり、クロノアの総本山をまとめあげるハイプリーストもまた、その秘密を共有されていた。博物館の展示物の修理は、クロノアの信徒が神聖術で行うことが多い。クロノアの信徒は──と言っても、プリースト以上の階級のものだが──時間を停止させたり、過去に巻き戻したりする力をクロノアに与えられている。どうしても博物館と関わることが多いため、ハイプリーストにのみ秘密を共有するように決められているのだ。


 しかしハイプリーストでさえ、夜の博物館に足を踏み入れることは禁じられていた。それを破ってまで、一体なぜこのような場所に足を運んだのか。

 事情を聞いた一行は、思わず顔を見あわせていた。


「メリーアンが死んだって……じゃあさっき飛んでいったメリーアンはなんなんだ?」


「おいおいおい、あいつ、まさかドラゴンから落ちたのか? だから体を縄でぐるぐる巻に縛りつけとけって言ったのに! 腕力を過信しすぎたんだっ!」


 真剣なのか冗談なのかよくわからないネクターの罵声を聞いて、ハイプリーストは深いため息をついた。


「ああ、やはりもう行ってしまわれたか……」


 冷静に話を聞いていたトニが首を傾げる。


「要するに、そのライナスさんって人が見たのは、予知夢、みたいなものなのかなぁ?」


「……クロノア神は、死の淵にいる信徒に、過去を振り返らせる時間を与えるんです。ライナスさんはそれが画廊を眺めるという形だったのかもしれません。そこでメリーアンさんと会ったと言っていましたが……そこで会うことができるのは、おそらく死者か、それに近い状態にあるもののみ……」


 ミルテアの説明を聞いた一行から、血の気が引いた。


「ライナスさんが画廊で会ったのは、未来のメリーアンさんだったのかもしれません。夢の中の話ですから、現実と時間が繋がっていなくても、おかしくはないと思います。そもそもライナスさんがなぜその画廊に行くことができたのかも、ちょっと気になりますけど……」


 ネクターがジロリとハイプリーストを睨んだ。


「そのライナスとかいう男、まさか死ぬ気なんじゃないだろうな。それこそ、動けないように縄で縛っておいた方がいいんじゃないか?」


「メリーアンさんを助けてくれと、彼女を助けられるのならなんだってすると、彼は力強く私に助けを求めていました。少なくとも、私はその目に以前までの暗い光は見えませんでしたよ」


 ハイプリーストが首を横に振った。


「ならよかったじゃん。あと問題はメリーアンだけだね」


 明るい声で、ドロシーがぴょん、と手をあげた。


「あたし、メリーアンを追いかけるよ! なんかこれから危ないことが起こるってことなんでしょ? だったらその前に助ければオッケーじゃん!」


「追いかけるって……一体どうやって……あ」


 トニが何かに気づいたように、ドロシーの手を見た。


「あたしにはこの子がいるから」


 そう言ってドロシーが見せたのは、いつも乗っている、空飛ぶ箒だった。


「みんなには内緒にしてたけど、この子、結構スピード出るんだ。きっとすぐ追いつけるよ。今夜は空も明るいし」


 そう言って、にっこり微笑む。


「メリーアンはあたしの友達だもん。友達がピンチの時に駆けつけるのが、友情ってやつでしょ?」


「それなら……わ、私も連れていってください!」


 そう言って手を挙げたのは、ミルテアだ。


「私も、メリーアンさんを助けたいです! それに、一応プリースティスですし、何かあったら、神聖術でメリーアンさんを助けられると思います!」


 ミルテアの発言に、それだったら自分たちも行きたいとメンバーがざわめき出した。


「いっそみんなで行った方がいいんじゃないか? 何があるかわかったもんじゃないからな」


 オルグがそう言うと、ネクターが首を傾げた。


「俺はともかく、お前みたいな巨体を乗せたら、あんな華奢な箒、すぐバキボキに折れて焚き火の肥やしになるぞ」


「飛ぶ方法ならいくらでもあるさ。なあ?」


 オルグがニヤリと笑うと、いつの間にかすぐそばにグリフォンとペガサスが近づいてきていた。

 いつもミルテアを食べようとする二匹の動物だったが、オルグのそばではおとなしい。


「でも、全員で行くとなると、この博物館が空になってしまうよ」


 トニの不安は尤もだった。これ以上博物館を手隙にして、また何かトラブルを起こすわけにはいかない。

 トニの不安をかき消すように、ハイプリーストが言った。


「……私がここに残りましょう。朝までなら、この博物館全体の時間を停止させることができます」


「は、ハイプリースト、それは体の負担が……」


 ミルテアが焦ったようにそう言うと、ハイプリーストは首を横に振った。


「神より頂いた力を使うのは、今しかないでしょう。メリーアンさんは、この国にとっても重要な人です。今彼女を失うわけにはいかない」


「ハイプリースト……」


「それより、彼女に何かあっては大変だ。さあ、みなさん早く行ってください」


 ハイプリーストの言葉に、一行はぐずぐずしている方が時間の無駄だと気づき、頷いた。


「うわぁ……この子達に乗っていくのか」


 鋭い眼光で鼻息を荒くするグリフォンに、ネクターが頬を引き攣らせた。


「おい、こんな猛獣に乗るなんて無理だ。俺はドロシーの箒に乗るぞ」


「わ、私もドロシーさんの方がいいですぅ」


「三人は無理だよ! どっちかにして!」


 こうしてトニはペガサスに、ドロシーとミルテアが箒に、そしてオルグとネクターがグリフォンに乗って空をかけることになった。

 グリフォンの背に跨るのが下手だったため、ネクターは縄でぐるぐる巻きに縛り付けられて出発したのだった。


     *


 結果的に、彼らの判断は正解だったと言える。

 なぜなら彼らが到着した頃に、呪術によってメリーアンは心肺停止状態となっていたからだ。

 泣き叫ぶユリウスや、取り乱すレオンたちを、オルグたちは落ち着かせた。真犯人だというベティローズは騎士団に捕まっていたが、わざわざ拘束しなくても、すでに戦意は喪失しているようだった。

 不思議と冷静だったミルテアが、必死に心臓マッサージを行うエドワードを止めて、神に祈りを捧げる。その時に起こったことを言葉にするなら、奇跡、と呼ぶのだろう。

 ミルテアはその瞬間にのみ、最高難易度の神聖術を発動することができた。それこそ、ハイプリーストのような、数十年も神に仕える者のみが使える技だ。

 

 ──死者の蘇生。


 死者の肉体の時間を巻き戻し、魂をその肉体に呼び戻す。

ミルテアの神聖術は成功し、メリーアンの心臓は再び動き出した。

 後のハイプリーストの見立てによれば、クロノア神がメリーアンを救ったのだという。

 神の気まぐれか。


 あるいは、これがメリーアンの運命だったのかもしれない──……。




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