メリーアンの博物館①
古びた本のような匂いがした。どこか懐かしい匂いだ。遠くで誰かが廊下を歩くような音が聞こえてくる。
「……?」
メリーアンが目を開けると、見慣れない天井が目に入った。薄暗い部屋に、ぼんやりとした照明が灯っている。
「ここ、は……」
背中が冷たい。
自分が床で眠っていたことに気づいて、メリーアンは驚いてはっきりと目を覚ました。起き上がって辺りを見回す。
「ここは、どこなの? 私……さっきまであの丘で、ベティローズと……」
とても静かな場所だった。どこか魔法史博物館のエントランスに似ているが、メリーアンの他に人がいる様子はない。
メリーアンは大きなホールの床で、眠っていたようだ。
奇妙な場所だった。ホールにはいくつものドアがあって、時々ドアの向こうから、かすかに足音が聞こえてくるような気がした。
不思議なことに、メリーアンは落ち着いていた。先ほどまでの出来事が、はるか昔に起こった出来事のような気がする。
「……」
リリーベリーは、ベティローズは、クロムウェル領はどうなったのか。エドワードたちは無事なのか?
そんな疑問が湧いてくるが、それによって心を乱されることはなかった。波ひとつ立たない水面のように、今、メリーアンの心は静かだ。
しばらくぼうっとしていたメリーアンだったが、何かに導かれるようにして、ある一つのドアの前に立った。ドアには金色のプレートがあり、こんな文字が書かれている。
〝メリーアンの博物館〟
「……私の、博物館?」
一体どういうことなのかと首を傾げていたメリーアンだったが、好奇心に負けて思わずドアノブを回してしまった。きしり、と古びた木の音をたてて、ドアが開く。
「……?」
中は薄暗く、広い空間のようだった。所々に天井から不思議な光で照らされている部分がある。メリーアンは一番近くにあった光に近づいてみた。天井から落ちる光に照らされていたのは、白い台と、台の上にあった小さなバスケットだ。バスケットの中には、おくるみが入っている。
「これは……?」
台にはまるで展示物のように、キャプションがつけられていた。タイトルはこうなっている。
〝メリーアン 誕生〟
説明には、メリーアンの母が妊娠中に繕ったもの、と書かれていた。
(これは……一体、どういうこと?)
おくるみに見覚えがあるような気がしたが、はっきりとは思い出せない。
首を傾げながら、メリーアンは順々に、暗闇の中で光る場所に足を運んでいった。
どの光の下にも、やはり展示物のようなものが置かれている。
木のラトル 母が揺らすとよく笑うのに、父が揺らすと泣き出す。一歳の時に使用。
おしゃぶり なかなか離れられない。一歳〜三歳の時に使用。
ウサギのぬいぐるみ どこへ行くのも一緒。三歳の誕生日に父からプレゼントされたもの。
「このぬいぐるみ、覚えてる……!」
最初の展示物はどこかで見覚えがあるような、と感じる程度だったが、ぬいぐるみを見た瞬間、メリーアンはついに思い出した。
「お父様がくれたぬいぐるみ……懐かしい、ずっと抱きしめていたっけ」
キャプションにある通り、メリーアンが三歳の頃に父にプレゼントされた物だった。
ぬいぐるみを見ているうちに、懐かしい気持ちでいっぱいになる。幼い頃、家族で過ごした記憶が蘇った。記憶の中のメリーアンは、とても楽しそうに笑っている。とても幸福な気持ちで心が満たされた。
暗い展示室の中を見回す。光の中にポツポツと浮かぶ展示物には、やはりどれも見覚えがあり、メリーアンはやっと、ドアのプレートに書かれていた「メリーアンの博物館」の意味を理解した。
「私の過去が、展示されているということ?」
現実にそんなことがあり得るはずがない。
夢を、見ているのだろか。
それにしても随分とはっきりとした夢だ。視覚も聴覚も嗅覚もはっきりしているし、懐かしいと過去を思い出したり、幸福を感じる心もある。展示物は自分が覚えていないはずの細かい部分までが、再現されていた。
「まあ、そもそも私がこんなところにいること自体、奇妙なんだけど」
ここが夢の世界だとして。人間って本当は全部、忘れたりなんかせず、覚えているのかしら? とメリーアンは思った。
奇妙な状況だが、それでもメリーアンは取り乱したりせず、穏やかな心で展示物を眺めていた。
懐かしい展示物を見るたびに、当時の様々な記憶が蘇ってくる。奥に行くにつれ、どうやらメリーアンの成長に沿って、印象的なものを展示しているようだった。
いくつもの展示物を、ゆっくりと見てまわる。そしてある展示物を見たところで、メリーアンははっとした。
「お母様の、妖精のブローチ!」
メリーアン五歳の展示には、母親がいつもつけていた妖精のブローチが展示されていた。その昔、継母に売り飛ばされて無くなってしまった物だったが、ここでもう一度見られるとは思ってもなく、メリーアンは喜んだ。
「このブローチのモデル、リリーベリーだったんだ!」
メリーアンはブローチを観察して驚いた。ブローチの妖精の目にはアメジストが嵌め込まれており、苺の蔓が優美に妖精を囲んでいた。幼い頃は気づかなかったが、成長した今改めて見ると、そのブローチのモデルがリリーベリーだったことがわかる。
「そっか。私、博物館に来るもっと前から、リリーベリーのことを知っていたのね」
素敵な巡り合わせに、メリーアンは胸がいっぱいになった。
「もう一度見られて、本当によかった……」
大人になった今、過去の物を見ると、やはり感じ方が少し違うのだなと思った。
幸せな思い出が続き、メリーアンは楽しく展示室の中を見回っていたが、六歳あたりで展示物の内容が一変した。家族の葬式に飾った供花のリース、継母の鞭、義妹が無くしたのに、メリーアンが盗んだことにされた髪留め……。
見ているだけで胸が苦しくなるような展示物に、メリーアンはため息をついた。
「……物心ついてからは、私、確かに結構波瀾万丈な人生を送ってきたのよね」
辛い展示物が続いたが、メリーアンはその後の人生を知っていたので、取り乱さずに見ることができた。
「本当、どこまで行っても分かり合えなかったわよね」
メリーアンはしばらく、憂鬱な展示物を見てまわった。あまりいい思い出ではないが、不思議と見ることに拒否感はない。全ては、メリーアンの記憶の一部だ。今のメリーアンを構成する要素の一部を、否定することはできなかったのかもしれない。




