愛はマーブルパウンドケーキ
「本当にクズよ。あんなに哀愁たっぷりに浮気の理由を説明して。でも私からすれば、普通にただの浮気だったわ」
メリーアンは目を伏せる。
「……それでも一緒に過ごした十年のことを思うと、苦しくなっちゃう。馬鹿よね、私も。そんな男のために、胸を痛めるなんて。あの時、もしかしたらまた元の関係に戻れるかもって一瞬だけ期待しちゃってたのよ」
まあ、話を聞いてそんな期待も一瞬で吹き飛んだが。
「メリーアンさん……」
ミルテアは心配そうに眉を下げた。
「本当に、やったことはクズなんだけど。でもいいところもたくさんあった」
いっそ彼が完全なクズだったら、どれほどよかっただろう。
メリーアンとユリウスが過ごした十年は、あまりにも幸福だった。
よくできた領主とは言えなかったが、それでも領民を守り抜くというその心意気は、メリーアンも尊敬していた。
メリーアンは作業台にもたれながら、自嘲気味に笑う。
ふと、焼き上がったマーブルパウンドケーキに、視線が吸い寄せられた。
それを一切れ手に取って、宙にかざす。
「……人間って、いいところも悪いところもあるけど。それを分けて考えられたら……分けて愛せたら、どれほど楽なんでしょうね」
プレーン生地に混ぜたチョコレート。
どこをかじっても、このパウンドケーキはほんのりとチョコレートの味がする。
「でも、現実はそうじゃないわ。ユリウスのいいところもよくわかるけれど……彼を愛そうと思っても、絶対に浮気したって事実が混ざって、純粋に愛せないの。私は心が狭いから、都合よくユリウスのいい部分だけを愛すことなんてできない」
──ああそうか。
メリーアンは不意に気がついた。
(ルルルはパブの、全てを愛しているのね。いいところも悪いところも、全部含めて、彼を、愛しているのね)
それはなんて深い愛情なのだろう。
(パブはルルルを愛しているから、苦しいんだ)
メリーアンだってそうだった。
ユリウスを愛そうとして、それでも裏切られたことが辛くて。ずっと苦しかったのだ。
だけどルルルと違って、メリーアンはもう、ユリウスの全てを愛せるほどの熱を失ってしまったのかもしれない。
「だからみんな苦しいのよ。愛そうと思ったって、入り混じった異物が邪魔してくるんだもの」
あー……。
人生ってめんどくさいなぁ。
なんてことを思っていると、ミルテアが微笑んで言った。
「メリーアンさんは、愛情深い人なんですね」
「……ただ未練ったらしいだけよ」
「そんなことないです。それに、嫌いになりきれないならそれでもいいと思います。無理にその全てを愛そうとしなくても。だって愛って言っても、いろんな愛があるじゃないですか」
恋愛、家族愛、友愛、人間愛……。
きっと名前の付けられていない愛だってたくさんあると思います、とミルテアは言う。
「恋愛とか、家族愛はもう無理かもしれませんが……他の愛は持てるかもしれません」
「……あのね。もうどんな愛も持てないわよ。あんなクズ野郎には」
そう言うと、ミルテアは笑った。
「そう思うなら、もちろんそれでも」
「……あなたの意見、よくわからないわ」
「無理に嫌いにならなくてもいいってことです。大切なものは大切なままでいても。結局のところ、私はメリーアンさんに早く元気になって欲しいだけですよ」
「……」
わかったような、わからないような。
(いつか、時が全てを解決してくれるのかしら)
遠い未来、メリーアンはユリウスにどんな感情を抱いているのだろう。
(……ま、クズ野郎ってとこは、変わらなさそうだけどね)
そんなことを思って、メリーアンは苦笑してしまったのだった。
*
「さて。明日であんたの試用期間も終わりだな」
「……ええ。随分長い間働いたような気もするのだけど。あっという間だったわね」
真夜中の博物館。
集まった面々を見回した後、エドワードはメリーアンを見てそう言った。
「どうだ? 心残りはあるか?」
「あるわよ。せめてそれを片付けてから、辞めるなら辞めたい」
「ええっ? メリーアンやめちゃうの?」
ドロシーがギョッとしたように言う。
「違うわ。私が決めるんじゃないもの。それを決めるのはクイーンよ」
「メリーアンさんだったら、きっと大丈夫だと思いますよ」
ミルテアが微笑む。
「……そうかしら」
(私ほどここに似合わない人もいないかもね)
メリーアンは苦笑してしまった。
妖精たちは博物館を通して、人類を観察していると言うのに。
メリーアンときたら、人間の一番汚い部分を存分に見せてしまっているような気がする。
「でも、私、やるわ。最後まで任された仕事は全うする」
ここにきて、メリーアンは変わった……のだろうか。
(心の整理はついたけれど……ううん、やっぱり性格は特に変わってないのかも)
若干情緒不安定だし、ぐずぐずしてるし。
それでもやると決めたら、最後までやり通す。
要するに頑固な性格をしているのだ。
「それが管理人の役目だもの」
メリーアンの呟きに、エドワードは頷いた。
「よし、そろそろ行くか」
その声で、全員がそれぞれの展示室へ向かう。
(ああ、そういえば変わったこともあるわね)
チラチラと視線を感じていたメリーアンは、振り返って視線の元に駆け寄った。
さっきからバスケットをじっと眺めていたのは、甘いものが大好きなネクターだった。
「ネクター? あなたお菓子好きでしょう?」
「……」
怪しむような視線を受けて、メリーアンはにっこりと笑う。
バスケットから布に包まれたケーキを出すと、ネクターに押し付けた。
「はい、この間呪いについて教えてくれたお礼」
ネクターは布を解くと、子供のように顔を輝かせた。
「……なんだ。お前、お菓子作りが上手くなったのか?」
「ふふふ」
メリーアンはにっこりと笑った。
「そうよ。お菓子を作るのが上手くなったの」
(ついでに、珍獣を手懐ける腕もね!)
実はこのケーキ、にんじんたっぷりの野菜ケーキだった。
野菜は細かく刻んでいるので、味は全くわからないだろう。
変わらないものなどない。
メリーアンは目を輝かせるネクター見て、ニヤリと微笑んだのだった。




