第一の鍵
意気揚々とフェーブルのもとまで向かったメリーアンだが、途中でコゲコゲのアップルパイのことを思い出した。
(ああ、そうだったわ。これなのよ問題は……)
せっかくフェーブルのもとまでやってきたのに、気持ちが挫けそうになる。
(でも、一番大事なことは、敬意よ)
マグノリアを信じよう。
メリーアンは一つ息をつくと、今日は草むらに座って湖を眺めるフェーブルに、声をかけた。
「こんにちは」
「……こんにちは」
「隣に座ってもいい?」
「どうぞ」
そう言われて、メリーアンはフェーブルの隣に腰を下ろした。
それから思い切ってフェーブルに話しかける。
「あの、これ、焼いたので、みんなで一緒に食べない? その、焦げた部分もあるんだけど、取り除けば何とか……」
だんだん真っ赤になって声が小さくなっていく。
「アップルパイなんだけど……一応……」
けれどフェーブルは、驚いたようにメリーアンを見ていた。
やがてその顔に、喜びが広がっていく。
「ありがとう。私は、甘いものが好きなのだ」
「ごめんなさい。あなたにお礼と謝罪をしたかったのに、私ってば、料理が下手で……」
「いいや? ちっとも」
切り分けたアップルパイを頬張ると、フェーブルは本当に嬉しそうな顔をした。他の妖精たちにも、焦げていない部分を小さく切って渡す。
妖精たちはコゲコゲだー! と笑っていたけれど、楽しそうだったので、メリーアンも少しずつ緊張がほぐれてきた。
フェーブルが食べ終わったところで、ぺこっと頭を下げる。
「あの……今まで挨拶もせず、名乗りもせずにいてごめんなさい。私の名前はメリーアンと言います。次の管理人……候補です」
メリーアンは正直に自分の気持ちを話した。
「正直まだ、試用期間だし、自分が本当にこの仕事につきたいのか、わからないの。でも妖精たちのことを知りたいという気持ちは本物よ」
そう言うと、フェーブルはすっと立ち上がった。
見上げるメリーアンに手を差し出す。
メリーアンはその手と顔を見比べて、恐る恐る手をとって立ち上がった。
「どうぞよろしく、メリーアン。私は昨日、困っていたのだ。泣いている君の名を呼んで、励ますことができなかったから」
「……フェーブル」
「君の気持ちはよく分かった。他に管理人の素養がある者がいたとしても、私はきっと、君を選ぶと思う。君は正直だ。そして私たちを想う、優しさもあるのだから」
そう言うと、フェーブルは湖に視線をやった。
「私は今、マグノリアを失った悲しみを受け入れたよ。そしてまた次の希望を見つけた」
それからメリーアンに視線を戻して微笑む。
「敬意には敬意を。君の焼いたアップルパイは、とてもおいしかったよ。これからもどうか仲良くしてほしい」
「……ありがとう。こちらこそ」
嬉しくなって、メリーアンの顔に笑顔が溢れた。
こんなに嬉しいと思ったのは、いつぶりだろう?
「私の友人に、これを」
「?」
フェーブルはメリーアンの手のひらを空に向かせる。
そこに自らの手をかざすと、ふわりと青い輝きが生まれた。
シャランと涼しげな音がして、美しい鍵が手のひらに落ちる。
取り落とさないように、メリーアンは慌ててそれを握りしめた。
「君にこの鍵を渡そう。これは私と君の、友情の証だ」
「友情の証……」
「もし君に管理人になる気が少しでもあるのなら、妖精たちが持つ鍵を集めてごらん。友人になればきっと、妖精たちは君を助けてくれるだろう」
メリーアンは青い鍵を握りしめて頷いた。
「ありがとう、フェーブル。私、やってみるわ」
(……そうだわ。昔からずっと、そう。失敗しても、必ずそれを糧に乗り越えてきたじゃない)
婚約者を失っても。地位や名誉を失っても。
自分の中に積み上げてきたものだけは、誰にも奪うことはできない。
失ってしまった自信を、ほんの少し取り戻せたような気がした。
*
「やあマロウブルー。元気だったか?」
メリーアンとフェーブル、そして肩に乗っていたリリーベリーは、展示室をでた。するとこれまでの騒ぎが嘘だったかのように、展示物が落ち着きを取り戻していた。
マロウブルーはその凶悪な牙を隠して、嬉しそうにフェーブルのもとへ突進してきた。キューンキューンと可愛らしい声まであげているではないか。
「ああ、君の元気な尻尾で私をぶたないでおくれ」
フェーブルは微笑んで、マロウブルーの頬を撫でた。
「メリーアン、フェーブルを味方につけたんだな」
ドラゴンのそばにいたオルグが、感心したように言う。
他にもヘトヘトになっていた警備員たちが、各々嬉しそうにメリーアンを褒めてくれた。
「さっすがメリーアン! 最年少で妖精の展示室の管理人に指名されただけあるよ! これで命の危険は減ったかな〜?」
「この子達も、私を餌だと認識しなくなるといいんですけど……」
ミルテアがじりじりと、グリフォンとペガサスから距離を取る。
二頭とも、じーっとミルテアを見ていた。
「ヒィ……や、やっぱり餌だと認識されてますぅ……」
ドロシーにしがみつくミルテアに、苦笑してしまう。
「よくやったな」
「!」
後ろから声をかけられ振り返れば、エドワードが少し嬉しそうな顔で立っていた。
「あんたのおかげで、展示物の大騒ぎも収まりそうだ。どうだ? ここで働く気になったか?」
「……妖精たちと仲良くしたいなら、妖精たちが持つ鍵を集めろって。私はまだ、フェーブルの鍵しか持っていないわ」
エドワードは頷いた。
「マグノリアはかなりの数の鍵を持っていたからな」
「……ここで働くかはまだわからないけれど。妖精のことをもっと知りたいって思うわ」
メリーアンは手に握った青い鍵を見た。
(妖精たちが思い出させてくれた。自信や成功体験や、ワクワクする気持ち)
それに、ひとまず働いていれば、ララとユリウスのことは頭の端に追いやれそうだ。そういう意味でも、メリーアンは妖精たちに感謝していた。
(お母様。私もあなたが好きだった妖精のことを、もっと勉強してみるわ)
メリーアンの母は、妖精の研究家だった。
家族のことは、思い出すと辛かったから、すっかり記憶の底に押し込めていた。妖精のこともだ。
けれど大人になりつつある今、家族の喪失という悲しみからは、メリーアンは解放されていた。だからこそ、母の好きだったものをもっと知りたいという気持ちが生まれたのかもしれない。
「……やれるだけやってみるわ」
エドワードに向き合うと、メリーアンは手を差し出した。
「自己紹介が遅れてごめんなさい。私の名前はメリーアン・E・アシュベリーよ。お察しの通り、訳ありの貴族なの。それでも私を、雇ってくれるかしら?」
「……オリエスタ魔法史博物館の警備隊長エドワードだ。訳ありだろうが関係ねぇ。あんたは絶対逃さないさ」
そう言ってにやりと笑うエドワードに、メリーアンも微笑みで答えたのだった。