悲しみを受け入れる方法
「……あなたが次の管理者か?」
フェーブルはのんびりとした口調で言った。
低くて心地のいい声だ。
惚けていたメリーアンははっと我に帰る。
「えっ? あ……」
自分から協力を求めたというのに、メリーアンはその問いに曖昧に答えることしかできなかった。
(私、だって、こんなに恐ろしい博物館で働く気はないし……)
あわあわしていると、フェーブルはじっとメリーアンを見つめた後、頷いた。
「……なるほど」
フェーブルの青い瞳はメリーアンの心を見透かしているようで、メリーアンは恐ろしくなってしまった。
「マグノリアからこれを預かっている」
「……え?」
フェーブルの右手がふわりと輝き、次の瞬間には一冊の本が乗っていた。
フェーブルはそれをメリーアンに差し出す。メリーアンはそれを受け取った。紐で閉じられたその本には、〝妖精の展示室管理マニュアル〟と書かれている。
(これって……)
束の間、メリーアンは喜んだ。
この本を読めば、この恐ろしい展示室の謎がわかるかもしれない。
表紙には、丸っこくて柔らかな文字でこう書いてある。
〝敬意を忘れずに〟
(……? どういう意味なんだろう。これ、マグノリアというおばあさんが書いたのかしら)
マグノリアは、メリーアンの前に管理人を務めていた人物だ。
かなりの高齢だったという。
メリーアンはパラパラとマグノリアの手記をめくってみた。
「何、これ?」
メリーアンはがっかりしてしまった。
そこにメリーアンの求めていたものは、何一つなかったからだ。
〝美味しいアップルパイの作り方〟
〝闇夜で靴を磨く方法〟
〝薬草酒の注ぎ方〟
……などなど。
どのページをめくっても、展示室の管理に全く関係のないことが延々と続いていた。
おばあちゃんの知恵袋、と言ったところだろうか。
とてもじゃないが、管理室のマニュアルとは思えない。
(そういえば、ちょっとボケ気味だって言ってったっけ)
メリーアンはがっかりしてしまって、ため息をついた。
パラパラめくっていると、ふとフェーブルの視線に気づいた。
顔を上げれば、フェーブルは沈んだ声で言った。
「別れほど辛いものはないな。何度経験しても、胸が引き裂かれそうになる」
「え?」
「私はもう、数百年も生きているから、悲しみを受け入れる方法も知っている」
「……」
(悲しみを受け入れる方法……)
フェーブルは自分の話をしているのだろう。
けれどメリーアンは、ユリウスの話をしているのかと錯覚して、一瞬ドギマギとしてしまった。
それ以降、フェーブルは何も話さず、じっと湖面を見つめていた。
その横顔のあまりの悲しそうな顔に、メリーアンは何も言えなくなってしまう。他人の悲しそうな顔を見るのは苦手だ。メリーアンも同じように悲しくなってしまうから。
今日はクイーンが現れる様子もない。
妖精たちは話を聞いてくれないし、フェーブルもぼやっとしたまま。
でも、マグノリアと呼ばれるおばあさんは、この管理室をよく収めていたという。
メリーアンはマニュアル本に視線を落とした。
(……)
……悲しみを受け入れる方法って、なんなのだろう。
それをフェーブルに尋ねたかった。
けれど彼はぼんやりと湖面を眺めたまま、今日は何も答えてくれそうにない。
どうすればフェーブルは私と話してくれるのだろう。
なぜ妖精たちは、いつもあんなふうに暴れまわっているの?
そもそも妖精とは、一体何者なの?
マグノリアは、どうやってこの部屋を管理していたというのだろう。
(全く知らない分野だわ。だけど)
──ちょっと、気になるわね。
メリーアンの中で、むくむくと好奇心が湧き上がってきた。
*
結局、初日は特に何も進まず終わってしまった。
いや、正確にいえば、管理室を出た瞬間にブルードラゴンに食われかけたか。
「お疲れ様。怪我はないな?」
勤務前と打って変わって、エドワードは優しくメリーアンにそう聞いた。
メリーアンは、力なく頷く。
「ごめんなさい。何にもできなかったわ」
「怪我がないなら十分だ」
朝になると、一気に疲労がやってきた。
夜は魔法の力で元気になっているのだという。
「その本は?」
「フェーブルからもらったの。でも何も役立つことは書いてなかったわ」
眠い目を擦って、ため息をつく。
「お疲れー!」
「メリーアンさん、大丈夫ですか? もし怪我なんかがありましたら、治療しますので言ってくださいね」
ドロシーとミルテアは若干の疲労が見えるが、それでも元気いっぱいという感じだった。この仕事に慣れているのだろう。
そういえば他のメンバーはどこに行ったのかとキョロキョロしていると、トニとネクターはドラゴンに吹っ飛ばされて気絶中らしい。それをオルグが看病しているとのことだった。
「……どうもありがとう。大丈夫よ」
とにかくベッドに潜り込みたい気分だ。
メリーアンは大欠伸をして、朝日の昇る帰路についたのだった。