第四話 灯火
人生、恵まれていたと思う。
両親は厳しくも優しかったし、妹がいたが平等に愛を注いでくれた。その唯一の姉妹である妹とも仲が良く、少し生意気だったがよくじゃれあっていた。
日頃から笑いが絶えない家庭で、笑顔が当たり前の家庭で―――自分も笑顔が好きだった。
友人にも恵まれた。
何でも言えるような親友がいたし、学校の同級生ともよく取り留めの無い事を話したり、放課後や休日に遊びに行ったりした。
毎日がやりたい事がいっぱいで、楽しかった。
よく次の日に期待を寄せて床に就いたものだ。
そして一日を振り返ると、やっぱり笑顔が多くて、布団を被ってにんまりとする。
気がついたら、そんな日々が続いていた。
とある春。
高校入学という大きな節目を迎えた。
新しい環境、新しい友人。
それが楽しみで、真新しい制服を着て、鼻歌混じりに入学式へと向かう。
美しく咲き誇る桜を見上げながら、校門を潜り、教室へと入る。
まず初めに、教室を見渡すと同中学の友人がいた。
その友人に挨拶したり、一歩勇気を出して席が近かった初対面のクラスメイトに話しかけたりもしてみた。
暫くそんな事が続き、なかなか良いスタートを切れた、と思いつつ、さて次はどうしようか、と漠然と考る。
すると―――
「………」
いつの間に教室に入って来たのか、窓際の席から外を眺めている一人の男子生徒が目に入る。
第一印象は‘‘無表情’’だった。
その表情筋はピクリともせず、姿勢も全く変えないまま眼下を覗いている。
しかし、顔から感情は窺えないが、その雰囲気は人を寄せ付けないように圧しているようで近寄りがたい。
事実、その男子生徒に話しかけようとする者は皆無であった。皆、一瞥しただけで視界からその姿を外す。
「…………」
男子生徒をジッと見つめる。
それに気づいていないのか、はたまた気にしていないのか。男子生徒に変わりはない。が―――
それが妙に、寂しそうに感じた。
なので、その雰囲気を打ち破るように、その視線に割り込むように歩み寄り―――
「ねぇ、君!」
その呼びかけで初めて伏せた顔を上げた少年から目を逸らさず、満面の笑みで―――
「私は未天仄火。これからよろしくね!」
快活に、名乗りを上げた。
それが『彼』との出会いである。
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「ぁ……」
カーテンが日の光を遮り薄暗い部屋に、何かを手放してしまったような声が溢れる。
天蓋付きの大きなベッドで目を覚ました少女―――サーエルズ王国、第一王女フォティア・サーエルズは覚醒した目で天井を、いや、その先を見つめている。
年齢は10歳。サラリと腰まで届く長い黒髪に、宝石のような紅玉の瞳が美しい。将来は男性が虜になるだろう容姿を約束されているようなものだ。
しかし現在、彼女の顔色は何かを憂いているように明るくなかった。
「今のは……」
「おはようございます。フォティア様」
ファティアが小声でポツリと呟くと、そんな彼女に一人の女性が声をかけた。
「ん……おはよう。カイラ」
それにより意識がそちらへと向いたフォティアは、女性―――専属メイドであるカイラに挨拶を返す。
カイラはフォティアが幼少の頃からの付き合いで、一番信頼している側近だ。
カイラはピシッ、と丈が長いメイド服に身を包み、その垂れた目をフォティアに向けていた。
「……どうかされましたか?」
カイラは部屋に日光を取り入れつつ、フォティアの上の空な様子を見て、不思議そうに尋ねる。
「ううん、何でもないの。さ、いつも通りお願いね」
「……畏まりました。こちらへどうぞ」
しかし、フォティアはそれを笑って取り繕う。そして、差し込み光に目を細めつつ、カイラに朝の支度を促す。
カイラとしても、そう言われてしまっては無理に聞き出すこともできない。素直に自分の仕事を開始した。
寝巻きからドレスへと着替え、髪を梳き、髪留めで留める。
準備が整ったところで寝室から出ると、ちょうど朝食が運ばれてくるところだった。
机に並んでいく皿を尻目に、朝食を運んできたメイドにお礼を言う。そしてそのメイドが退室していくと、王族に相応しい、華美な料理に手をつけていく。
普段のフォティアならば、ここで元気良くカイラに語りかける筈である。しかし―――。
「………」
今の彼女は心ここに在らず、といった雰囲気だ。
この時ばかりではない。着替える時も、髪を梳く時も、彼女の活発さはなりを潜めていた。
やはり、何かある―――ここまでの様子から確信したカイラは、フォティアを想い、再び尋ねた。
「フォティア様。茫然としておりますが、やはり、何かありましたか?」
「ん……そういう、わけじゃないんだけど………」
フォティアは視線を泳がせ口籠る。話せない、わけではなく何と言ったらいいかわからい、といった様子だ。
遠慮してしまっているフォティアに、カイラは言葉を重ねる。
「よろしければ、このカイラにお話しください。どんな事でも構いません。心中を他者へ打ち明ける事で、少しは負担が軽減されるかと存じます。それに―――」
そこまで語ると、カイラは胸に手を当て、微笑んで言った。
「私は笑顔の姫様が大好きでございます。ですので、私にできる事があれば何でも仰ってください」
「…………うん。ありがとう」
臆面もなくそう言われ、フォティアは少し照れたように、しかし嬉しそうに笑った。
カイラも、その笑顔に安堵するように笑みを深める。
「よし!うだうだしていても仕方ない!実はね……」
頬をパン!と打ち気持ちを切り替えたファティアはその心中を語り始めた。
「夢を見たの」
「夢、ですか?それはどんな」
「覚えてないの。でも、凄く大切なことだったような、忘れちゃいけないことのような……そんな気がするの」
そこまで聞いて、カイラはふむ、と頷く。
内容は漠然としていて曖昧だが、カイラは真剣に聞いていた。先程ファティアに宣言した通りだし、ファティアと積み重ねてきた信頼もある。
ファティアは続けて語る。
「それでね、何かしなくちゃいけないような、何かをしたいような………それに、私の力に関係あることだと思うの」
「それは……」
カイラが軽く瞠目する。
ファティアの力―――その能力は先天的に保有していたものだ。
効果は『癒し』
ファティアがもっと幼い頃、ファティアが触れた兵士の傷が塞がったことで知られることになった。当時、回復魔法だと思われていたそれは、しかし回復魔法ではないと後から判明する。なぜなら―――
「……魔力を一切使用しない『癒し』の力。それに関係がある……」
そう、魔力を一切消費しないからである。
‘‘魔法’’
それは、人間が保有する魔力を操作し、魔力を消費し、結果として現象を引き起こす技術だ。火の矢を飛ばしたり、風を巻き起こしたり―――そんな普通人間には為し得ない奇跡を起こす。そして、大きな現象を引き起こそうとすれば、それに見合った魔力が消費される。
つまり、魔力とは切っても切り離せない関係なのだ。
当然、人を癒すのにも魔力を消費する。
しかし、ファティアの能力は一切の魔力消費も無く、現象を引き起こした。その特異性がどれほどのものかわかるというものだろう。
当時、魔法師団長がそれを見抜き、そして国の上層部はその力のことを隠蔽した。常識を打ち破るような力を公開するのは騒ぎになって危険であり、また、ファティアの身にも災いが降り注ぐかもしれないからだ。
能力のことを知っているのは極一部である。
勿論、能力の調査はした。
しかし、『癒す』こと以外何一つ分からず、どのようなものか、その殆どが謎だったのだ。
その能力に関わりがあるかもしれない。そのことにカイラは驚いた。
「でも何をしたらいいのか分からないんだよねぇ〜」
困った困った、とファティアは脱力した。
そしてモグモグと朝食を頬張る。
「……姫様の能力についてということであれば、今のところできることは無いのではありませんか?」
「うん、まぁ、そうだよねぇ」
能力が謎すぎる、とカイラが意見を呈せば、ファティアは理解はしているようだが大変もどかしそうだ。
眉をハの字にしてコップの水を一気に飲み干した。
それに水を注ぎつつ、カイラは続けて進言する。
「近い内に、またわかる事があるのではありませんか?それまで待つしかないかと」
「……うん。そうだね。そうしよう!気にしても仕方ない!」
どうやら、一番現実的な意見に吹っ切れることにしたらしい。残った朝食をガツガツと食べきる。
「姫様……」
行儀が悪い、と諫めようとしたカイラだったが、調子を取り戻したことで、はぁ、とため息を吐き、目を瞑ることにした。
「ふぅ……」
料理が消えた皿を、今度はカイラが下げていくのを視界に収めつつ、ファティアは今朝の夢を想う。
自分にとって凄く大切なことを教えてくれる夢で―――。
楽しくて、綺麗な夢だった気がする。
そこには一人、誰かいたような―――。
「いつか、わかるのかな?」
自分の能力の存在理由。
そして、胸につかえる気持ちと、彼方にあるもの。
その正体。
いつか明瞭に感じることを願って、ファティア・サーエルズは今日も一日を過ごす。