第二話 刹那
「ん……」
少年―――荒空葉月が目を覚ました。
未だぼんやりとしている視界と意識を、上体を起こし目を擦ることで覚醒させる。
すると―――。
「………は?………どこだここ」
視界に入ってきたのは、黒っぽいゴツゴツとした岩肌だった。地面についた手と座っているケツにもゴツゴツとした感触が返ってくる。差し込んで来ている光によって周囲は見渡せるが、逆方向―――葉月の背後には一切が見通せない闇が広がっていた。
どうやら洞窟にいるらしい。光はその出入り口から入って来ていた。
葉月は困惑する。
というのも、目を覚ます最中、葉月は自分が病院にいるものだと思っていたのだ。飛び降りて生きているとしたら病院一択だろう、と。死にきれなかったことは少し残念だが、もう一度飛び降りよう、とも考えていた。
しかし、現実は違った。
「それにケガもしてな…………」
い、と声に出そうとして自分の体を見下ろしたところで、言葉に詰まる。
なぜなら―――
「………小さい?」
体が小さくなっていたのだ。手足の大きさや長さは高校生のそれではなく、一回り程縮んでいる。声も声変わり前のように高くなっていた。
衣服も高校の制服ではなく、真っ白いTシャツに長ズボンだ。肌触りはいいが、葉月はその素材に覚えが無かった。
その前のケガが無いことへの疑問など、それ以上の衝撃の前に枯れ葉の如く吹き飛んでしまう。
「な、なんでぇ」
思わず素っ頓狂な声が出た。
暫く自分の体をペタペタと触り、程なくして本当に小さくなってるぅ、と諦めにも似た現実の受け止め方をする。
「んん……本当にどうなってるんだ……」
ある程度脳で処理できたことで、軽く咳払いをし、冷静さを取り戻した葉月は思考を巡らせる。こんなことになる思い当たりは無―――
「いや……あるな」
記憶の片隅に引っかかったそれは、確かにこの状況を説明できるが、同時に荒唐無稽で信じがく―――
「いや、例え信じがたくとも、目の前で起こっていることが事実なんだ。受け入れなくてはいけない」
しかし、呪文を唱えるようにそう自分を戒め、その可能性を胸中に落とし込む。即ち―――
「転生」
―――転生。
ライトノベルや漫画の人気ジャンル。
葉月はあまりそのような娯楽に手を出す人間ではなかった為その程度しか知らないが、その乏しい知識に当て嵌めても、今の状況は転生との類似点が多く挙げられたのだ。
「……まぁ、転生だったとしてもこれからどうするかって話だが………」
驚くべき事実に、しかし葉月はアッサリと受け入れた。先程、葉月が言っていたように事実が事実であるのならば、抗い騒ぐだけ無駄なのだ。
現実から目を逸らさず、全てを受け入れなければならない。過ぎた事は仕方ないのだから気にするだけ無駄だ。
と、いうのが葉月の持論だ。実に合理的である。故に、人間味が無いとも言えるが―――
「とりあえず、外に出てみるか……」
葉月は行動しなければ何も始まらない、と立ち上がって洞窟の出入り口へと近づいて行く。
中からも外の様子が窺えたが、あくまでも一部だ。その全貌は分からない。
木が生えているのをみるに、自然が広がっている様子だが―――
一歩。
葉月は外へと踏み出し、そして圧倒された。
目の前には大人が20人程で囲まなければいけないほど太い、また、見たことがある御神木よりもなお高い木がある。
それが、視界に収まらないほど何本も並んでいた。
しかし、鬱蒼とした雰囲気はしない。木と木の間隔が大分離れているため、視界の範囲は通常よりも狭くはなるが、それでも十分活動できる。風で揺られる葉の隙間から届く木漏れ日も要因だろう。
人の手が入っていない、雄大で生命力溢れる自然が、そこにはあった。
「人の手が、入っていない、かぁ」
しかし、それは周囲に人間がいないことも示す。人を頼りにする事はできないようだ。加えて―――
「こんな木は見た事も聞いた事もないし……異世界、ってやつかな?」
こんな大樹が群生しているなど聞いた事もなく、もしあるのなら有名になっているだろう。故に、ここが地球ではなく、文字通りの別世界―――異世界だと予想した。その大分確実性がある予想も、葉月はすぐに受け入れる。もともと、転生したと悟った時にも推測していたのだ。
「さて、どっちに行くか………お?」
どの方向に行くか迷い、適当に神頼りにしようとしたとき、ザアー、という水が流れる音が微かに聞こえてきた。
葉月は丁度いい、と水の音がする方向―――洞窟から出て斜め前方左側に踏み出す。
木々を避けながら進むため、クネクネと蛇行せざるを得ず目的地まで時間がかかる。しかし、水の音は大きくなっていき、着実に近づいている。
そこからまた暫く進むと、澄んだ水が流れる川が見えてきた。
横幅は10メートル程。広すぎず、狭すぎず、生活に使用するには丁度いいだろう。上流側を見ると、崖から滝が流れ落ち、下流側を見ると、先はまだまだ続いていた。そこはそこまで深くなく、今の葉月の腰ほどだろう。ゴツゴツとした大きい岩が転がっていることから川の上流に近いところにいるのだと分かる。
ちなみに、滝がある崖は葉月が目覚めた洞窟があった崖で、両端も頂上も見えない程巨大である。高さに至っては雲を貫いていた。その巨大さに思わず、異世界だなぁ、と予想を確信に深めてしまったほどだ。
葉月は川に近づき覗き込む。
すると―――、
「……まぁ予想はしていたが、顔が変わっているな」
水面に写ったのは、10歳前後の少年だ。肌も白く、髪も白い。鼻筋は綺麗に通っており、スッとした唇がついていた。そんな白だらけの中で一際目立つのは、蒼い瞳だ。それを睫毛が縁取り、その上に眉毛がのっていた。
「また様変わりしたものだ」
葉月の感想は端的だ。
少し新しい顔を眺めると、手を水につけてみた。ひんやりと心地よく、清められていくようだ。水が流れるくすぐったさに笑みを溢す。
一応、自然界の川で細菌などの恐れがあるため、飲むのには逡巡していると―――
ドッドッドッド。
何か重いものが地を揺らす、等間隔の音がした。
「っ、なんだ」
その正体不明の振動に本能的に警戒し、顔を上げて身構えた。大樹と大樹の隙間から姿を現したのは―――
「グルァァァァァアアアアアァアア‼︎‼︎」
悍ましい雄叫びを上げつつ、その巨体を威圧するように大きくする、化け物だった。
一言で言うと、それは醜い。腰のところが引き絞られたように細い胴から、短い足が生えている。逆にその手は異様に長く、大きい爪が地面まで届いていた。その顔はトカゲのようで、しかし不規則に並ぶ牙が凶暴さを象徴し、既存の生物には見えない。赤黒い肌はボツボツと粟立ち、嫌悪感を掻き立たせ、赤い目が爛々と怪しく光っている。そして、最も目立つのが―――左右の肩口から2本ずつ蠢いている触手だ。
この美しい自然の中には似つかわしくない、存在が違和感な様相だ。
「グラァアアアアアアア‼︎‼︎」
その化生は、一直線に葉月に向かい駆け出した。その短足に見合わず俊敏で、水飛沫を巻き上げつつ迫る。
葉月はその光景に気圧されそうになりつつも―――
「ふぅ〜、落ち着け、落ち着け。異世界だ。魔物のようなものだっているだろう。驚いている場合ではない。前を見ろ。相手は未知だ。それに速い。逃げきれない。背を見せたら殺られる。よく見て避けろよく見て避けろ避けろ避けろ避けろ避けろ―――」
呼気で強制的に冷静になり、咄嗟に状況分析を独り言ちながら前方に集中した。そして、その凶爪を―――
「しぃ!」
紙一重で躱した。
「うまくいった。でも今のは綱渡りだったしこのままではジリ貧だ。周りの木を利用しろ隙を晒さず距離を取ってけ―――」
このまま最善手を選択していけば可能性は低いが逃げ切れる。周りの木の陰に潜り込んでいけば撒ける。
葉月はそう思っていた。
しかし。
往々にして、現実は予想を上回るものである。
「グルァ‼︎」
「ッカ⁉︎」
化生―――魔物の触手が、葉月の顎を強かに打った。それにより、葉月の視界と意識は揺らぎ、縦に一回転して背後の大樹に叩きつけられる。
「クッ……!」
葉月は呻き声をあげつつも体に力を込めようとするが、どうにも力が入らない。
そうしている間にも、葉月に魔物が近づいて来る。が―――葉月は力を抜き、抵抗することをやめた。
(……ここまでか)
第二の人生、短かったな……。と、簡単に死を受け入れたのだ。
それというのも、葉月はもともと『生きる』ことを前提にして動いていなかった。適度にやれることをやって、刹那的に生きる―――そんな考えだったのだ。
一度、命を捨てた身だ。葉月に生きる理由は、無い。
未だ揺らぐ視界で、近づいて来た魔物の凶腕を見つめる。そして、人の身など簡単に挽肉に変えられるだろうそれが、ひとおもいに振り下ろされ―――
魔物の上半身が散った。
「……は?」
その光景を見ていた葉月から純粋な混乱が溢れる。目の前で突然、一つの生物が死んだのだ。それも当然だろう。
暫く呆然とすると、ハッ!と我に帰り「冷静、冷静」と声に出す。そして、回復した頭を撫でながら、寄りかかっていた大樹から立ち上がった。
「……どうなってんだ?」
今度は落ち着いて目の前で起こった現象について考える。
決定的な瞬間は視界がぼやけていて見えなかった。
残っているのは、パタン、と倒れている化生の下半身だけで、上半身は完全に散り散りになっていた。幸い、血肉片は葉月の正面―――魔物の背後方向に飛んでいるため、葉月がそれによりベチョベチョになることはなかった。それでも、その光景に「うわぁ……」と若干引いたが。
ただ、これだけでは何も分からない。
そう現実的な結論を出し、思考を切り上げた。
「……洞窟に戻るかぁ………一応、死体持って帰ろ」
流石に前世含め人生初めての戦闘行為―――と呼ぶには逃げていただけだが、それでも疲れた為、洞窟に戻ることにしたらしい。洞窟も安全かは分からない――別に安全でなくとも構わない――がこの場に居るよりはマシだろう、とも考えていた。
そして何か――食べる等――に使えるかもしれないため、魔物の下半身は持ち帰ることにした。その際、両足を掴んで引きずっていく形になるため、他の魔物に居場所を悟られないようあまり血痕を残さないことに四苦八苦したが。
葉月は、そうしてその場から去っていったのだった。