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いまさら言ってももう遅い

 遡ること二十年前。

 あの日行われた若者たちの勝負は麗しき美女の勝利に終わった。

 審査員も対戦相手である青年も、その場にいた人間はほぼ全員が納得する完膚なきまでの勝利。

 本来ならば彼女はもっと喜んでも良かったのだが、プライドの高い彼女はそれが出来なかった。


「わたくしよりも美味しい」


 理由は簡単。

 彼女だけは青年に対して負けたと思っていたからだ。

 具体的な理屈は彼女自身でもわからない。しかし理屈抜きに彼女の舌は青年の勝利だと彼女に訴えた。

 本能からの訴えに理性では納得の行かないの彼女はこれを機に青年と交流を持ってそれなりに親しい間柄となる。

 連絡を取り合うのは年に数回とはいえ、それは自分が多忙なので仕方がないと自分自身に言い聞かせつつ、胸の奥で彼への恋心をずっと燃やし続けていた。

 そろそろ世間では結婚しないと手遅れと言われる年齢に差し掛かったが、最終的に彼と一緒になれるのならば世間体だの子供を産める若さがあるかなど関係ない。

 ジャポネ一の菓子職人という名声を得て、他に望むものは彼との安らかな引退後の暮らしだと彼女は考えていた。

 一見すると一方的な病んだ愛情でしかないのは彼女自身もうっすらと自覚している。

 だが彼も自分と同様に独身を貫いているのは同じ気持ちだから。

 ロックさんのアイスクリーム食べるまで、彼女はそう思っていた。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉は勝負前ロックさんに向けての言いがかりに対してのもの。

 彼をたぶらかしたなどと言い放つのは真に失礼だと彼女は認めた。

 彼に対して一方方向な恋をしていたのは自分と同じとはいえ、自分とは異なりしっかりと好意を伝えた上で彼が受け入れてくれるのを彼女は待っていた。

 その結果が実ったのが今の幸せな姿であり、その努力を怠った結果が今の自分の哀れな姿。

 超一流の職人としてミチカが有している感受性が、本来知り得ないモトベ夫妻の馴れ初めを彼女の脳に教えていた。

 それを見せられればミチカはロックさんを認めるしかない。


「どうしたよミチカ。自分から挑んだ勝負に負けて小っ恥ずかしいのはわかるが、泣いて謝るだなんてらしくねえじゃねえか」

「こ、コーウェン」

「急なケンカに驚かされたが、カミさんも気にしてやいねえよ。むしろコイツも今回の勝負で垢抜けられたから、こちとら感謝したいくらいさ」

「そうじゃない。そういう訳ではありませんわ」

「さっきのことはもう良いじゃないですか。むしろ謝るのは私の方ですよ。ローウェル……いいや、ミチカさん。アナタもこの人の事が……」

「それ以上は言わないで!」


 ロックさんが言いかけた内容は、この手のカンが鈍いほうな私でさえも恋をする女性として察している。

 ミチカはモトベさんのことが好きなのだと。

 そう考えればロックさんに対して張り合ったのにも合点がいった。

 彼女はあとからやってきた若い女性に最愛の人を取られたので、それが妬ましかったわけだ。

 自分も同じ目にあえば同じように嫉妬しているかもしれない。


「わかりました。でもアナタにはコレくらいならする権利がありますよ」

「な! ハレンチな」

「なんだ?」


 全てを理解したロックさんが耳打ちをすると赤面したミチカがハレンチだと彼女を罵る。

 一体何を言われたのかと思っていると、ロックさんに半ば無理やり背中を押されたミチカがモジモジとしながらモトベさんの正面に立つ。

 ややうつむき気味の顔が二十年前のモノと同じだとは流石に私もわかるわけがない。

 だが彼には通じたようだ。


「えっと……」

「どうしたんだよ。年甲斐もなくモジモジしてよ。まるで初めて会った大会での試合後みたいじゃねえか」

「みたいじゃなくて、まさしくですわよ」

「どういう意味でい?」

「あの時は自覚していなかったし、あれから素直になれなくて面倒くさい態度を貫いてしまいましたが……本当のわたくしは、ずっと前からこうしたかったのですわよ」


 そう言うとミチカはモトベさんに抱きつくと、胸をギュッと彼に押し当てた。

 自分の旦那さんが他の女に色仕掛されているので普通なら妻は怒りそうなものだが、今回は妻が背中を押したので怒るどころかニンマリだ。

 意外と大きいミチカの胸が潰れて谷間になり、上値使いで彼の顔を見つめると目を合わせるモトベさんにはそれがコックコート越しでもくっきり。

 しかも涙目である。

 恥ずかしがって赤面する彼の顔は性癖にジャストミートだったので、妻の目の前でなければクラっと行きそうなくらいだったのは言わぬが華というやつだ。


「ミチカ……お前さん……」

「それ以上は言うまでもありませんわ。でもアナタはもう彼女のモノなのですものね。だからわたくしはコレで充分。今日はつまらない意地で奥さんを困らせてごめんなさいねコーウェン」


 最後に首筋にキスをしてから体を離したミチカの涙はさっと袖で拭われており、もう彼女は二十年前の恋する小娘ではなく、ジャポネでも指折りの女性菓子職人をとしてのキリリとした顔になった。

 気持ちを伝えて彼の体に口づけまでしたので、この寝かしすぎて実る前に腐り落ちた恋に区切りはついた。

 あとはもう……彼とはただの友達でしかない。

 寂しいけれど新婚さんな彼をワガママで困らせるのは恥さらしが過ぎると、彼女は小さく手を降ってからこの日の本来の仕事に戻っていった。


 ちなみにこれは夕食会が終わって片付けを済ませた翌日のこぼれ話。

 勝負後のやり取りを見て、失恋中の今がチャンスだとミチカに愛の告白をした男がいたのだが……結果は彼の尊厳のために言わぬほうが良いだろう。

 そのうえ勝負の舞台を整えるためにあれこれ本国から大目玉を受けることになるのだから、せめてこれくらいはかばうのが公女としての礼儀であろう。

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