不穏な噂と生徒会の呼び出し
その後も犯人はペンファーザー、ミルボーン、パーマーのいずれか分からないまま日々は過ぎた。学院内における連続盗難事件の方も進展はなく、生徒会による熱心な巡回をあざ笑うかのように、ぽつぽつと事件は繰り返された。
もっとも完成済レポートを除けば、盗まれているのは他愛もない物ばかりだったこともあり、生徒たちの関心は次第に失われていった。
そして入れ替わるように、アーネストとフェリシアの関係が再び学院生徒の注目を集めるようになった。しかしその眼差しは、前回とはまるで異なるものだった。
「ねえ、お聞きになりました? アーネスト殿下とフェリシアさまのこと」
「ええ、フェリシアさまはデートのときいつも真っ青な顔して、俯いているという話でしょう?」
「お気の毒に、きっと殿下に虐げられているんでしょうね」
「フェリシアさまも殿下との婚約なんて辞退なさればよろしかったのに。未来の王妃になれると思って舞い上がってしまったのかしらね」
図書館で声高に話し続ける少女たちに、ビアトリスはついにたまりかねて「――ねえ、貴方たち」と声をかけた。
「さっきから声が大きいわよ。それに勝手な憶測で人を中傷するのははしたないわ。少し控えたらどうかしら」
「……煩くしたのは申し訳ありませんでしたが、勝手な憶測じゃありませんわ。フェリシアさまがアーネスト殿下の隣で青くなって俯いていたっていうのは、何人もの生徒が目撃していることですもの」
少女の一人がむっとした顔で反論する。
「仮にそれが事実だとしても、殿下のせいだとは限らないでしょう?」
「あら、殿下のせいに決まってますわ。だってそういう方ですもの」
「そうですわ。ビアトリスさまこそアーネスト殿下には随分と苦しめられたのでしょう?」
口々に反論する少女たちを、ビアトリスは冷たく見据えた。
「そうね。アーネスト殿下に冷たくされて辛かったわ。でも同じくらい、無関係な人たちの勝手な噂話にも苦しめられたの。ビアトリス・ウォルトンは我が儘で傲慢な人間で、アーネスト殿下がお気の毒だって、いつも聞こえよがしに言われたものよ。貴方たちも言っていたんじゃないかしら?」
ビアトリスの指摘に、少女たちはぐっと言葉に詰まった。そして不満そうな顔をしながらも、そそくさとその場を立ち去った。
「なによ偉そうに」
「ビアトリス・ウォルトンが傲慢なのは事実じゃないの」
去り際に負け惜しみのような科白が聞こえてきたが、不思議なほどに気にならない。かつての自分がちょっとした陰口に身を縮めていたことを思えば、我ながら図太くなったものである。
(それにしても……)
最後にウォルトン邸を訪ねて来たとき、アーネストはどこか憑き物が落ちたように、とても穏やかな顔をしていた。話し方も微笑み方もまるで昔に戻ったようで、ビアトリスは「ああ良かった。昔のアーネストさまだわ」と内心とても嬉しかったものである。
それなのに、なぜ今こんな状況に陥っているのだろう。アーネストとフェリシアの間に、一体何が起きているのだろう。
(……だけど私が首を突っ込むことじゃないわよね)
かつての婚約者である自分が介入しようものなら、余計に面倒なことになりかねない。そもそも今の自分がアーネストに対してできることなどなにもない。
もやもやしたものを抱えながら過ごしていたある日の放課後。ビアトリスは生徒会室に呼び出された。
「ウォルトンさん、来てくれてありがとうございます」
ビアトリスを呼びつけた張本人、生徒会長マリア・アドラーは神妙な顔つきで礼を述べた。その両側にはシリル・パーマーやレオナルド・シンクレアといった生徒会メンバーが勢ぞろいしており、なにやらものものしい雰囲気だ。
「実はウォルトンさんに極秘でお聞きしたいことがありまして」
「お聞きしたいこと?」
「はい。他でもない、学院内を騒がせている連続盗難事件についてです」
マリア・アドラーは重々しい調子で言い切った。
(盗難事件について? なんでそれを私に訊くのかしら)
被害生徒でもないビアトリスが、一体どんな情報を提供できるというのだろう。
まさかとは思うが、ビアトリスが犯人だとでもいうつもりだろうか。
定期試験でマリアに不正を言い立てられたときの不快な記憶がよみがえり、ビアトリスは思わず肩を強張らせた。
警戒するビアトリスに対し、差し出されたのは一枚のハンカチだった。
「このハンカチについて、見覚えはありますか?」
「……手にとっても?」
「はい、どうぞ」
ビアトリスが手に取って眺めると、縫い取りにビアトリス・ウォルトンの名前がある。おそらく以前フェリシア・エヴァンズに渡した品だ。
「ええ、私のですわね。下級生に差し上げたものですけど、これがどうかしたのですか?」
「その下級生というのはフェリシア・エヴァンズですか?」
「はい。そう名乗ってらっしゃいました」
「ウォルトンさんがあげたものなんですね? 盗まれたのではなく」
「ええ、そうです。中庭の噴水のせいで髪が濡れていたので差し上げました。あの、それがなにか?」
ビアトリスの質問に対し、マリアは「やっぱり、そうですか……」とため息をついたまま、押し黙ってしまった。一体何がどうなっているのか。
ビアトリスが首を傾げていると、横からシリル・パーマーが口を挟んだ。
「実を言うとですね、昨日フェリシア嬢が、我こそは連続窃盗犯だって生徒会に自首してきたんですよ!」