カインの答え
ミドルトン侯爵夫妻のあの眼差しは何なのか。
帰り際に三階の窓からビアトリスを覗いていたのは一体何者なのか。
ミドルトン侯爵家に不可解な点は多かったが、だからといってミドルトン侯爵が「閣下」だと確信できるだけの根拠はなかった。怪しいような気もするが、決定的なものではない。
それは他の三人――ペンファーザー公爵、パーマー侯爵、ミルボーン侯爵についても同様だ。
何一つ決定的なものは得られないまま、ただ時間ばかりが経っていく。
カインは宝石商や宝石職人を中心に網を張っているが、やはりあの大きさの月華石が出回った例はないらしい。またスタンワース家を介して伝えられたところによれば、騎士団の捜索にも関わらず、従僕グレアムの行方は未だに分かっていないという。
こんなことで、本当に犯人を特定することなどできるのだろうか。
自分達の手で、首飾りを取り戻すことなどできるのだろうか。
もし仮にこのままずっと取り戻せなかったら、一体どうなるのだろう。
――それよりもことが表ざたになったら、両家の間に亀裂が入りかねない。
――辺境伯家の家宝がお前に贈られたせいで失われたと知ったら、一気に不満が噴き出る可能性がある。
父に言われたこともあり、じわじわと不安が胸に広がっていく。
そんなある日、カインがウォルトン邸を訪れた。最近はビアトリスがメリウェザー邸を訪れることが多かったので、彼がここに来るのは久しぶりのことだ。
「どうしたビアトリス、なんだか浮かない顔をしているな」
「まあ、そんなことはありませんわ」
「誤魔化さないでくれ。さっきから全然目が笑ってないぞ」
彼はこういうことに目ざといのが、いささか困りものである。
「本当になんでもないんですの」
「なあビアトリス、一人で抱え込まないで、俺にもちゃんと教えてくれ。俺たちは婚約者同士だろう?」
隣に座って顔を覗き込まれると、もはや隠し事は不可能だ。ビアトリスは仕方なく、胸の奥で膨れ上がる思いをカインに対して打ち明けた。
「言っても仕方がないことなんですけど、本当に首飾りを取り戻せるのか、少し不安になってしまいましたの。カインさまのおばあさまに申し訳なくて。メリウェザー領の皆さまだって知ったらきっと悲しむでしょうし。辺境の至宝が私に贈られたことで失われたとなれば、両家の関係が悪化してしまうかもしれません」
ビアトリスはぽつぽつと己の胸中を口にした。
本当に言っても仕方のないことだし、こんな愚痴めいたことを言われたところで、カインの方も困るだろう――ビアトリスはそう考えていたのだが、それに対するカインの答えは実にあっさりしたものだった。
「ああ、それなら大丈夫だ。君が辺境伯領に嫁いできたあとになくなったことにするから」
「え? でも、それは」
「何も問題ないだろう? 辺境で起きたことなら全て俺の責任だ」
「ですが、カインさまの責任にするのは、あまりにも」
「そもそも君の責任でもないだろう。スタンワース公爵家に滞在したことで首飾りが奪われるなんて予測不可能なんだから。なくなった場所と時期をずらすだけで余計ないざこざを起こさずに済むなら、それに越したことはない」
カインは軽く肩をすくめて見せた。
「紛失を発表するまでの間、月華石は特別な日にだけ着けるから、大切にしまわれていることにすればいい。そうだ。次のパーティまでに、君にルビーの首飾りを贈ろう。君には赤がよく似合うから。それから真珠の首飾りも手配させよう。シャーロット嬢が君には真珠が似合うと言っていたが、俺も同感だ。エメラルドもいいし、ダイアモンドもいい。ブルーサファイアはあいつの色だからあまり送りたくはないんだが、でも君には似合うだろうな」
「カインさま、それじゃ多すぎますわ」
「いいじゃないか。君を世界中の宝石で飾りたい。……だから、月華石の首飾りがひとつ消えたところで、そんなに悲しむことはないんだ」
カインはビアトリスを抱きよせると、囁くように言葉を続けた。
「ビアトリス、祖母はあれを俺に託すときこう言ったんだ。『いつか大切な女性ができたら贈りなさい。きっと喜んでもらえるわ』って。俺はあの首飾りを君に喜んでもらいたくて贈ったんだ。負担をかけるためじゃない」
「カインさま……」
初めて会った時からずっと、彼はビアトリスの心を軽くしてくれる。おそらく結婚したあとも彼はきっとこのままだ。
カインにその身を預けていると、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとうございます、カインさま。でもやっぱり月華石の首飾りを取り戻したいですわ。私もいつか息子か孫に、『大切な女性ができたら贈りなさい』って言って託してあげたいですし」
「そうだな。いつか……」
それからカインはビアトリスを一層力強く抱きしめたので、ビアトリスは「カインさま、痛いです」と抗議の声を上げる羽目になった。
そんなことがあった翌日、首飾り盗難事件について、ようやくひとつの進展があった。