レスター侯爵夫人のお茶会
放課後になり、ビアトリスは今日もメリウェザー邸を訪れた。そしてヘンリー・オランドの件を報告すると、カインは「そんな凄いアリバイがあるなら大丈夫だな」と笑い声を上げた。
「ええ、私も本当にほっとしました。これで残るはあと六人ですわね」
「そのことなんだが、俺の方にも興味深い情報が入った。大学の知り合いに聞いたんだが、なんでもモーガン侯爵家は最近領地経営に失敗して、極度に資金繰りが悪化しているそうだ。あの舞踏会に参加したのも、新しい融資元を探すためだったとか」
「まあ、そうでしたの」
モーガン侯爵夫人の「一粒だけでもひと財産ですわね」という科白も、事情を知ればなにやら意味深に感じられる。
「資金調達が上手くいかないところにあの首飾りを目にして、つい魔がさしてしまった、ということもあり得なくもないですわね」
「だろう? モーガン家の経済的苦境がどの程度のものなのか、もう少し調べてみるつもりだよ」
「お願いします。私は今度レスター侯爵夫人のお茶会に参加できることになったので、それとなく探ってみる予定ですの」
「レスター侯爵夫人って、確か宝石好きで知られているご婦人だったか」
「ええ、そうです。舞踏会でお会いしたときは、あの月華石のこともお気に召したようでした」
――まあ素晴らしいわ。本当に素晴らしいわ。
ビアトリスは食い気味に顔を近づけてきた夫人の様子を思い出しながら言った。
「大叔母に聞いた話なんですけど、レスター侯爵は二回りも年下の夫人を溺愛しているんだとか。夫人の望むことならなんでも叶えようとして、そのために犯罪まがいの手段を取ったことも、一度や二度じゃないんだそうです」
「なるほど。そちらの線もなかなか期待できそうだな」
「ええ。それで、どうやって探り出すかについて一つ作戦を考えているのですけど、実行しても大丈夫かどうか、カインさまにご相談したいと思ってましたの」
ビアトリスが計画のあらましを説明すると、カインは「なんだ、そんなことか。面白そうだからぜひやってくれ」と笑いながら了承した。
そして三日後、ビアトリスはバーバラ・スタンワースのつてで参加したお茶会で、「宝石狂い」として知られるレスター侯爵夫人と数日ぶりに顔を合わせた。
女性が宝石を求めるのは通常ならば自分を美しく飾るためだが、レスター夫人の場合は身に着けることは二の次で、ただ美しい宝石を手に入れては夜な夜な取り出して眺めるのを無情の喜びとしている筋金入りだ。
加えてバーバラの情報によれば、レスター夫人にはもう一つ、「大変迷信深い」という特徴もあるらしい。週に一度はお抱えの専属占い師の元へ赴いて、あれこれ助言を求めたり、金に飽かせて魔よけの品や幸運のお守りを買い集めたり、高名な霊媒師を招いて交霊会を催したりと言った逸話は枚挙にいとまがないという。そこをうまく使えば、首飾りについての情報を引き出せる可能性が高い。ビアトリスは気合を入れてお茶会に臨んだ。
一通り季節の話題などが済んだのち、ビアトリスは「そういえば先日の舞踏会は楽しゅうございましたわね」と話を振った。今日のお茶会の参加者は全員あの舞踏会にも参加していたため、ビアトリスの予想通り、皆喜んで話に乗ってきた。
そして夫人たちと、あの夫人の着ていたドレスが素敵だったとか、あの令嬢の衣装は隣国であつらえたらしいとかいったエピソードで盛り上がっているうちに、話題は自然にビアトリスの月華石の首飾りのことになった。
そして「あの月華石は本当に素晴らしかったですわ!」と賞賛するレスター夫人に対し、「まあ、ありがとうございます。私もとても気に入っておりますのよ」と当たり障りのない言葉を返し、他の夫人たちとも「きっと由緒ある品なんでしょうね」「ええ、メリウェザー家に古くから伝わる品なんだそうですの」などと他愛ないやり取りを交わしたのちに、ビアトリスは「そういえばあの月華石にはちょっと不思議な逸話がありますのよ」と意味ありげに微笑んで見せた。
「まあ、不思議な逸話っていったいどんなものですの? ぜひ聞かせてくださいませ」
案の定、レスター侯爵夫人は目を輝かせて食いついてきた。
「カインさまに聞いたんですけど、あの月華石は正当な持ち主には加護を与える一方で、不当な手段で手にした人間には恐ろしい罰を与えるんだそうです」
「恐ろしい罰?」
別の夫人も興味津々で問いかける。
「ええ、あの首飾りはかつてメリウェザー家から盗まれたことがあったのです。犯人は不心得者の侍女でしたが、分かったときにはすでに屋敷から逃亡していたため、もう見つからないだろうと言われていたそうです」
「それなのに、見つかったんですの?」
「ええ。一か月ばかり経ってから、その侍女が首飾りをもって自ら出頭してきたのです。もっとも最初のうちは誰も彼女だとは気づきませんでした」
「まあ、それは一体どうして?」
レスター夫人が身を乗り出して問いかける。
「待ってくださいね。今当てて見せますわ。もしかして凄くやつれて年を取っていたんじゃありませんこと?」
別の夫人がしたり顔で推測してみせた。
「正解ですわ。その侍女は、首飾りを持っていなくなったときはまだ三十そこそこの女ざかりでしたのに、現れたときにはすっかり老け込んで、まるで六十過ぎの老女のようになっていたんですって」
ビアトリスが声を潜めて言うと、レスター夫人は「まぁ、なんて恐ろしいこと」とかすれた声でつぶやいた。
「そこで事情を尋ねてみたところ、侍女が泣く泣く打ち明けるには、前日の晩、夢の中に精霊が現れて、『この首飾りを正当な持ち主に返すように』と恐ろしい顔で告げたんだそうです。そして目が覚めると、彼女の姿はすっかり変わり果てていたんだとか」
「つまり三十日間返さなかった罰として、三十年分老け込んだってことですの?」
「もしそのまま返さなければ、寿命が尽きて死んでしまったかもしれませんわね」
「精霊の祝福ならぬ精霊の罰と言うことですわね」
「本当になんて恐ろしいこと」
夫人たちは怖がりながらも、皆どこかはしゃいだ声をあげている。
やはりこの手の不気味な逸話は、いつの時代も女性たちの心をとらえるものである。
ちなみにこの話は、以前シャーロットが貸してくれたホラー小説の内容に、ビアトリスがアレンジを加えたものだ。祖母から託された首飾りにこんな逸話をくっつけても大丈夫かと先日カインに確認したが、「祖母はその手の話が大好きだったし、きっと喜ぶと思うよ」と笑って了承してくれた。
「ええ、恐ろしい話でしょう? メリウェザー領では有名な逸話なので、あの月華石は金庫に入れなくても誰も手を出さないと言われているそうです」
そう言いながら、ビアトリスは改めてレスター夫人に目をやった。
仮に夫人が宝石を盗んだ犯人だとすれば、ビアトリスがあえて彼女の前でこんな話を披露することに、作為的なものを感じるだろう。しかしそれでも、彼女がバーバラの言う通りの迷信深い人間であるならば「もしかしたら」という思いが拭いきれずに不安を覚えるはずである。
しかしレスター夫人の反応は、実に期待外れなものだった。
「まぁあ、本当になんて恐ろしい、なんて神秘的なのかしら!」
そういう夫人の声は高揚し、その頬は薔薇色に輝いていた。
「さすが古くから伝わる宝石ですわね。そういう不思議な逸話があると、より一層魅力が増すというものですわ。ああビアトリスさま、もしあの首飾りを手放すつもりになられたときは、一番に私に相談してくださいませね!」
ビアトリスの両手を握って必死に懇願する姿には、実に鬼気迫るものがあり、そこにはひとかけらの欺瞞もなかった。
(ああ、うん。違うわね、これは)
ビアトリスは「ええ、もしそんなことがあったら一番に相談いたしますわ」とにこやかに応じながら、内心の失望を押し隠した。
ともあれ候補者はこれでペンファーザー公爵、パーマー侯爵、ミルボーン侯爵、モーガン侯爵にミドルトン侯爵の五人に絞られた。
(希望としてはモーガンかミドルトン……特にモーガンならありがたいわね)
ビアトリスはレスター家の特製マフィンを味わいながら、心の中でつぶやいた。
資金繰りが悪化しているモーガン侯爵が、ほんの出来心からつい犯罪に手を染めた、というのがビアトリスたちにとっては一番ありがたいストーリーである。あくまで金銭目的の犯行ならば、こちらとしても色々とやりようがあるというものだ。
いや相手もプライドがある以上は、交渉は簡単にいかないかもしれないが、それにしたって嫌がらせ目的の相手よりははるかにやり易いだろう。
――などと考えにふけっていたのだが、ふいに聞き覚えのある名前を耳にして、ビアトリスの意識は目前の会話へと引き戻された。
「先日の舞踏会といえば、エヴァンズ子爵の妹さんを初めてお見かけしましたわ」
参加している夫人の一人が、ふと思い出したように口を開いた。
「あら、エヴァンズ子爵に妹さんなんていらしたんですの? あそこは母一人子一人かとばかり思っていましたわ」
レスター夫人が怪訝そうに問いかける。
「ええ、私もそう思っていたんですけど、この前のパーティで子爵から直接紹介されたんですの。妹さんは今までずっと領地に引きこもっていて、最近になって王都に出て来たんですって。名前は確か……」
「もしかして、フェリシアさまではありませんこと?」
ビアトリスは思わず口を挟んだ。
「そうですわ、確かそんな名前でしたわ。ビアトリスさまのお知り合いですの?」
「前に王立学院でお見かけしたことがありますの。黒髪のとても可愛らしい方でしたわ」
「ええ、確かに黒髪のお嬢さんでしたわね。顔立ちはそんなに悪くなかったと思いますけど、ドレスのセンスが壊滅的でしたわ。色合いは地味だし形も古臭いし、あれじゃまるでお婆さんですわ」
「今まで領地に引きこもっていたのなら、野暮ったくても仕方ありませんわよ。エヴァンズ子爵領って田舎もいいところですものね」
別の夫人が意地悪な笑みを浮かべて言い添える。
「だけど急に王都の夜会に出席なさるなんて、どういう心境の変化かしら。今までずっと領地にこもりきりだったわけでしょう?」
「遅ればせながら、今後のために社交を頑張ろうとなさっているんじゃないかしら。きっと婚約もまだなんでしょうし」
「お母さまももうちょっとお嬢さんの面倒を見てあげればよろしいのにねぇ。ご自分ばかり派手な格好をしてないで」
なんとなく不穏な流れになってきたので、ビアトリスが話題を変えようと口を開きかけた、ちょうどそのとき、ある夫人が「そういえば、この前ちょっと面白い話を耳にしましたわ」と声を上げた。そしてちらりとビアトリスに目をやってから、声を潜めて言葉を続けた。
「これは確かな筋からの情報なんですけど、アーネスト殿下に新たな婚約者が決まりそうなんですって。なんでも下級貴族の令嬢で、殿下と同年代だけど、今まで領地に引きこもっていたせいで婚約者がいらっしゃらない方なんだとか。もしかして、そのフェリシア嬢のことじゃないかしら」