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七人の閣下

 その日の午後。ビアトリスはメリウェザー家のタウンハウスに赴いて、首飾りが消え失せたことを打ち明けた。


「本当に申し訳ありません。せっかくカインさまに贈っていただいたのに、こんなことになってしまうなんて」


 深々と頭を下げるビアトリスに対し、カインは「何を言ってるんだビアトリス、君の責任じゃないだろう」と苦笑して見せた。


「スタンワース公爵家に泊まって首飾りを奪われるなんて、誰にも予測できないことだ。君がそんな風に気に病む必要はまったくないよ」


 カインの声音はいつも通りに穏やかで、不機嫌さなど欠片もない。

 祖母に託された首飾りを奪われたことは、彼にとってもさぞやショックな出来事だろうに、それをおくびにも出さないのは、ビアトリスを気遣ってのことだろう。カインのさりげない優しさに、ビアトリスは改めてこの人を好きになって良かったと実感した。


「しかし閣下となると、候補は八人……いや七人に絞られるのか」

「七人? 八人ではありませんか?」


 現在王国には三つの公爵家、ウォルトン、スタンワース、ペンファーザーと、七つの侯爵家、ミルボーン、パーマー、ラングレー、オランド、レスター、モーガン、ミドルトン、そして一つの辺境伯家、メリウェザーが存在する。

 ウォルトン、メリウェザー、スタンワースは犯人ではありえない以上、候補者は残る八家系いずれかの当主ということになるはずだが。


「……そのことだが、ナイジェル・ラングレーは候補から外して良いと思う。おそらく犯人は夜会で君があの首飾りを着けているのを目にして、突発的に犯行を思いついだんだろう。つまり昨日の夜会に出席していた人間だ」


 カインはどこか言いづらそうにいわく付きの名を口にした。

 ラングレー侯爵家当主、ナイジェル・ラングレー。

 彼は賭博によって多額の借財を負った挙句に、アメリア王妃の走狗となってビアトリスを襲った過去がある。

 結局それは未遂に終わり、黒幕のアメリアを追い詰めるためにカインに協力することになったわけだが、その際、カインは彼のしたことを不問に付す代わりに、「今後ビアトリスが参加する催し物は公式なものを含めて全て欠席すること」という条件を呑ませたらしい。


 事実、ビアトリスはあれ以来ナイジェル・ラングレーと顔を合わせたことは一度もないし、昨日の夜会でも見かけなかったと記憶している。一応バーバラに出席者の名簿を確認してもらうにしても、ナイジェル・ラングレーが参加している可能性は低いだろう。


「確かにそうですわね。それで七人ですか……」

「ああ。あいにく他の閣下は全て出席していたからな」


 ビアトリスも己の記憶をざっと攫ってみたが、確かに他の「閣下」はすべて会場内で見かけた記憶があった。


「それじゃ、その七人の中に犯人がいるとして、問題はどう対処するかですわね。……相手が閣下となると、騎士団にはちょっと荷が重いような気がします」


 王都における犯罪は騎士団が対応するのが原則である。しかしトップが伯爵家当主であるほかは、全て子爵家か男爵家、あるいは平民出身者で占められていることを思うと、公爵や侯爵といった高位貴族を相手取るにはいささか心もとない。

 それでもウォルトン、メリウェザー、スタンワースの三家が連名で強く主張すれば多少の強硬手段も取れないことはないだろうが、あまり大ごとにすると今度は証拠隠滅のために首飾りを処分されてしまいかねない。


「俺も同感だな。できれば騎士団を介さずに、犯人と直接交渉するのが最善だと思う。まあそのためには、まずは俺たちの手で犯人を特定する必要があるわけだが」

「そこなんです。素人の私たちにそんなことができるのかと思うと」

「簡単ではないだろうが、七人にまで絞り込めているわけだし、不可能と言うことはないと思う。とりあえずうちの傘下の家に言って、以前この七家に勤めていた使用人がいないか探してみるよ。あの従僕がかつて勤めていた家が分かれば、それが一番手っ取り早いからな」

「ええ、お願いします。私も大叔母さまに頼んでみますわ」


 高位貴族の使用人はあまり頻繁に入れ替わらないため、見つかる可能性は高くはないが、やってみる価値はあるだろう。


「それからあの月華石が市場に出回っていないかも監視するつもりだ。月華石を加工する技術を持っているのはメリウェザーの工房だけだし、ばらして売ってもあの大きさの月華石が出回ればすぐ分かる。……もっとも犯人が換金するつもりで盗んだんじゃなければ、そちら方面はあまり期待できないけどな」

「そうですわね……。従僕の個人的な犯行なら単なる換金目的でしょうけど、相手が高位貴族となると、また違った理由がありそうですわね」


 ビアトリスは考えながら言葉を続けた。


「そもそもその人物は、なぜあの首飾りを盗んだんでしょう。可能性が高いのは、やっぱり私やカインさまに対する嫌がらせでしょうか」

「そうだな。アーネストとの婚約解消の一件では、色んな方面から反感を買っているだろうし、その可能性が一番高いと思う」

「そういえば、昨日もパーマー侯爵夫人から嫌味を言われましたわ」


 ――今度は婚約破棄なんてことにならないといいですわねぇ。


 婚約記念の贈り物である首飾りに対し、パーマー夫人は皮肉たっぷりにあてこすってきたものである。また彼女には、王妃と共にビアトリスの悪評を振りまいていた「前科」もある。パーマー夫人ならば、ビアトリスとカインの仲がこじれることを期待して、月華石の首飾りを奪い取ることだってやりかねない。しかし、である。


「確かに彼女自身は嫌がらせのためにそれくらいのことはやりかねない女性だが、従僕に命じて首飾りを盗ませたのは『奥様』ではなく『旦那様』だからな。いくら妻に頼まれたとしても、あのパーマー宰相がそんな真似をするかどうか」

「そう……ですわね。パーマー宰相は真面目な方ですし、奥さまの言いなりになって犯罪に手を染めるのは、私もちょっと違和感があります」


 現宰相にしてパーマー侯爵家当主、セオドア・パーマー。

 彼は生真面目な堅物として知られており、かの殴打事件の際にも、「殿下が以前から暴力を振るっていたのならなぜお止めしなかったのだ!」と息子のシリルを叱責するという、至極真っ当な反応を示している。妻のカレン夫人との仲は良好なようだが、だからと言って、夫人に言われるままに犯罪に手を染めたりするだろうか。


「まあ人間の内面なんて分からないし、一応可能性としては考慮しておこう。あとは……ペンファーザー公爵にも一応嫌がらせの動機はある。君が王太子との婚約を解消したことを、王家に対する侮辱ととらえて反感を持っているかもしれない。俺のクリフォード時代の記憶でも、彼は結構王家にはこだわりを持っているタイプだったしな」


 ペンファーザー公爵家当主、レイモンド・ペンファーザー。

 彼は現国王アルバートの弟に当たる人物だ。ペンファーザー公爵家に婿入りして跡を継いだが、今でも王族としての意識が失われたわけではないだろう。

 もっとも彼は陽気で快活な人物として知られており、婚約解消後もビアトリスに対して不快な態度をとったことはない。昨日踊っている最中も、終始上機嫌で「こんなおじさんの相手をしてもらうのが申し訳ないくらいだよ」などと軽口ばかり叩いていた。


 とはいえあのアメリア王妃だって世間的には完璧な淑女で通っていたわけだし、思い込みは禁物だろう。内心では王家を侮辱したビアトリス・ウォルトンに対する憎悪をたぎらせている可能性だってないとは言えない。


「それから、何と言ってもミルボーンだな」

「はい……」


 ミルボーン侯爵家当主、ジョシュア・ミルボーン。

 家督を継いだあともあまり表には出ないため、ビアトリスも顔を合わせたことは数えるほどだ。

 会った限りは地味で大人しい中年男性といった印象だが、なんと言ってもあのアメリア王妃の実弟であり、動機面ではとびぬけている。

 とはいえ、ただでさえ王家に目をつけられている状況下でそんな危険な真似をするかと言えば、いささか疑問ではあるが。


「なんだか『閣下』の中でも特に厄介な相手ばかりですわね……」

「そうだな。現宰相に、王弟に、あのアメリアの弟だからな。特定したうえで交渉するにしてもかなり手ごわい相手になるだろう」


 カインは苦笑しながら言葉を続けた。


「しかしまだこの三人の中の誰かだと決まったわけじゃないからな。他の『閣下』にこちらが思いもよらない動機が隠れているかもしれないし」

「そうですわね。単純にあの首飾りを手に入れたいから盗んだ、という可能性だってありますわね。あれだけ美しいんですもの、そういうことだって十分考えられますわ」


 ビアトリスは「宝石狂い」として知られるレスター侯爵夫人を思い浮かべながら言った。


「ああ。それに高位貴族が犯人だからって、換金目的の可能性が全くないとも言い切れないからな。ナイジェル・ラングレーの例もあることだし、体面を保つのに精いっぱいで、内情は火の車という高位貴族がいるかもしれない。その点についても調べてみるつもりだ。とにかく二人で協力して、できる限りのことをやってみよう」

「はい、カインさま」


 カインの言葉に、ビアトリスは笑顔で頷いた。

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