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スタンワース公爵家の舞踏会

「まあまあ二人とも良くいらしてくれたこと。今日は楽しんでいってちょうだいね」


 ビアトリスの大叔母にして、舞踏会の主催者であるバーバラ・スタンワースは満面の笑みを浮かべて言った。


「ビアトリスは相変わらずなんて美しいこと。本当に私の若いころに生き写しだわ! それに月華石が良く似合って……もしかして、そちらの婚約者からのプレゼントかしら」

「ええ、カインさまから婚約の記念に頂いたんですの」

「やっぱりねぇ。月華石といえばメリウェザーの特産ですもの」


 バーバラはしたり顔に頷いた。


「それにしても、ご自分の領地で採れた宝石で婚約者を彩るなんてちょっと意味深だわね。ビアトリスに対する独占欲の現れかしら」

「大叔母さま、そんな言い方は」

「実を言うと、その通りなんです」


 カインが苦笑しながら答えると、バーバラが「まあ、あてられてしまったわ!」と甲高い笑い声を上げた。


 バーバラへの挨拶を終えたあと、他の来客たちとも挨拶がてら言葉を交わした。案の定というべきか、ビアトリスの首飾りはどこに行っても賞賛の的だった。

 ミドルトン公爵は「やあ、これは見事だ。さすがはメリウェザー家ですな」と高揚した声を上げ、モーガン侯爵夫人は「一粒だけでもひと財産ですわね。本当に愛されてらっしゃいますのねぇ」と笑みを浮かべ、宝石好きのレスター侯爵夫人に至っては「まあ素晴らしいわ。本当に素晴らしいわ」と食い気味に顔を近づけてきたので、少し怖かったほどである。

 そして皆温かく二人の婚約を祝福してくれた。


 もっとも中にはパーマー侯爵夫人のように、「今度は婚約破棄なんてことにならないといいですわねぇ」となどと皮肉たっぷりにあてこすってくる者もいたが、ビアトリスは「ご心配いただいてありがとうございます。そんなことにならないようにお互い努力するつもりですの」と愛想良く答えて受け流した。


 現宰相の妻であるカレン・パーマーはアメリア王妃の取り巻きの筆頭格であるのに加え、筋金入りのアーネストファンとして知られている。アーネストとの婚約を解消し、アメリアの不興を買っているビアトリスに対して反感を持つのは当然だし、まして新たな婚約者との幸せいっぱいな様子をアピールされては、嫌味のひとつも言いたくなろうというものだ。むしろこの程度で済んで幸いだったというべきかもしれない。


 そのアメリア王妃はといえば、現在北の離宮で蟄居している身の上だ。表向きは過労のため静養であり、面会謝絶もあくまで本人の意思ということになっているものの、状況の不自然さから、社交界では様々な憶測を呼んでいるらしい。

 他の来客たちと交流した際も、ビアトリスの婚約や首飾りに次いで話題になったのはアメリア王妃の一件である。


「本当に心配ですわねぇ。この前お会いしたときは大変お元気そうでしたのに」

「急に静養だなんて驚きましたよ。一体なんのご病気でしょうね」


 彼らは口々に心配する言葉を述べたのち、「ねぇ、ビアトリスさまはなにかご存じありませんの?」とこちらに水を向けてきた。


「あいにく何も存じませんわ。王妃さまとは王宮舞踏会でお会いしたきりですもの。私もあの方にはひとかたならぬお世話になりましたから、本当に心配しておりますの。一日も早く回復されることを祈るばかりですわ」


 ビアトリスがすまして答えると大抵はそのまま引き下がったが、「まあ、本当に何もご存じありませんの?」などと食い下がってくる者もちらほら見られた。しかし何と訊かれても、答えられないものは答えられない。

 ようやく音楽が始まって、カインと共に踊りの輪の中に加わったときは、心の底からほっとした。


「みんな王妃さまの一件では何かあると気づいているようですわね」


 カインに抱かれてステップを踏みながら、ビアトリスは物憂げな口調で言った。


「それはまあ、前日まで元気だった王妃がいきなり過労で倒れたのも不自然だし、なによりミルボーン家の先代当主の一件があるからな。勘のいい人間なら、アメリア王妃とミルボーン家がなにかやらかして、国王の逆鱗に触れたんじゃないかって察しが付くよ」


 アメリア王妃の生家であるミルボーン侯爵家は彼女の弟が当主を務めているが、実権は父親である先代当主が握っていると言われていた。その先代当主は王妃の幽閉とときを同じくして、王都から離れて田舎の領地へと居を移している。

 こちらも表向きは単なる静養だが、その実、娘の様々な悪事に協力していた責任を取って蟄居を命じられた結果である。


「変な憶測を呼ばないように、蟄居の時期をずらせば良かったような気がしますが、陛下やパーマー宰相はこの状況を予想なさらなかったのでしょうか」

「当然予想はしていたと思うよ。予想したうえで、あえてタイミングを合わせたんだろう」

「正式な公表はしないけど、あれこれ好き勝手に噂されるのは構わないと?」

「ああ。身もふたもない言い方をすれば、変な憶測を呼ぶことも込みでの罰なんだろう。国王は今回の件で激怒していたし、ミルボーン家が立場をなくして、社交界で腫れ物扱いになるのはむしろ歓迎なんじゃないのかな」

「そうなのですか……」


 王太子争いやビアトリスの一件はともかくとしても、それ以外の「悪事」については、王家のために裏仕事を請け負っていた面もあるという。国王の嫌がらせめいたやり口は、古くからの忠臣に対してあまりにも情がないような気がしないでもない。


「何を考えているんだ? ビアトリス」

「いえ……陛下は本当にショックだったんだなと」

「あの男のことはもういいよ。それよりせっかくのダンスを楽しもう」

「はい、カインさま」


 ビアトリスはもろもろの厄介ごとを頭の中から追い出し、カインのリードと流れる音楽に身を任せることにした。

 会場内にはそこここに大きな花瓶がしつらえてあり、色鮮やかな花々がいっぱいに生けられている。甘い花の香りがただよう中をカインの巧みなリードでくるくると踊っていると、なにやら夢の中にいるような酩酊感に襲われる。

 ビアトリスが夢のようだな、と思っていると、カインが「夢のようだ」と呟くのが聞こえて、なんだか少しおかしかった。




 何曲か続けてダンスを終えたあと、遅れて会場入りしたマーガレットやシャーロットたちと合流した。

 シャーロットは婚約者であるヘンリー・オランド、マーガレットは兄のチャールズにエスコートされている。マーガレットの婚約者であるジェイムズ・ニコルソンは現在領地にいるため、婚約者のいない兄にエスコートを頼んだらしい。


「わぁ、綺麗な首飾りね。清楚で華やかで、ビアトリスにぴったりだわ!」

「ビアトリスは真珠のイメージだったけど、こうしてみると一番似合うのは月華石かもしれないわね」


 マーガレットとシャーロットは興奮した面持ちで、ビアトリスの首飾りを褒めたたえた。


「さすが別名『精霊の祝福』と言われるだけはありますね。こうしてみると実に神秘的な美しさだ」


 ヘンリーも芸術愛好家らしい感想を述べる。


「自分とこの宝石を贈れるのって格好いいよな。うちの領地は鉄鉱石くらいしか採れないし、まさか鉄の首輪を贈るわけにもいかねぇしな」


 チャールズがぼやくと、マーガレットが「お兄様はまず婚約者を探すのが先でしょう?」とまぜっかえした。


「結婚相手は自分で見つけるって言いながら、いつまで経っても誰も連れてこないもんだから、お母さまが『もう勝手に決めてしまうことにするわ』って言ってたわよ」

「うわぁ、それは勘弁してくれ」


 フェラーズ兄妹のやり取りに笑いが起きる。

 しばらく友人同士の他愛もないお喋りに興じたのち、ビアトリスは再び踊りの輪に加わった。相手はもっぱらカインだが、父の仕事関係の相手や、立場上断りづらい相手とも一回ずつ相手を務めた。その中にはペンファーザー公爵家当主であるレイモンド・ペンファーザーも含まれていた。


 レイモンド・ペンファーザーは現国王アルバートの実弟に当たる人物で、輝くような金の髪と青い瞳という王家の特徴を色濃く受け継いでいる。その姿は否が応でもかつての婚約者を思い起こさせた。

 金の髪に青い瞳の、絵に描いたような王子さま。

 八年もの間引きずった初恋の相手、アーネスト。

 もっともビアトリスがペンファーザー公爵に対して抱いた思いは、単にアーネストに似ているな、というだけで、切なさも胸苦しさも伴わない、実に客観的な感想だった。


「いやぁ、ビアトリス嬢は本当にダンスが上手いね。こんなおじさんの相手をしてもらうのが申し訳ないくらいだよ」

「まあ、とんでもございません。私こそお相手していただいて、とても光栄に思っておりますのよ」


 公爵の軽口に笑顔で応じながら、ビアトリスは自分がもう完全に過去を吹っ切ったことを実感していた。




 夜が更けていくにつれ、会場内にいる人間は次第にその数を減らして行った。

 踊り疲れた客たちは、三々五々に退場して、それぞれのタウンハウスや王都のホテルへと引き上げていく。

 ビアトリスの友人たちの中で、真っ先に帰宅宣言をしたのはシャーロットとヘンリー・オランドのカップルである。シャーロットいわく「明日はヘンリーさまと一緒に展覧会に行く予定だから、ちゃんと睡眠をとりたいのよ」とのことだが、一回り年上のヘンリーが疲れ気味なことへのさりげない気遣いもあるのだろう。

 ビアトリスは微笑ましく思いつつ、「じゃあまた、学院でね」と別れを告げた。


 次に会場を辞したのはマーガレットの兄、チャールズだ。といっても彼の場合は家で眠るためではなく、行きつけのカフェに行くためだという。


「ここの軽食は美味いけど、甘いものが少なくてちょっと物足りないからな。タルトかパイでがっつり糖分補給をしたいんだよ。マーガレット、お前もどうだ?」

「とんでもないわ。こんな夜中に甘い物なんて、お肌に悪いしデブまっしぐらじゃないの」


 マーガレットは兄の誘いをきっぱり断ったのち、「お兄さまときたら色気より食い気なんだもの。そんなんじゃ婚約者なんて見つからないわよ?」と呆れたように付け加えた。


「そういうのを気にしない女性を探すからいいんだよ。――じゃあなカイン」

「ああ。あまり食べ過ぎるなよ」

「分かってるよ。それじゃ、ビアトリス嬢も」

「ええ、お休みなさい」


 ひらひらと手を振るチャールズを見送りながら、マーガレットは「本当に、お兄さまときたら」と苦笑した。


「それじゃ、仕方ないから私も帰ることにするわ。エスコートもなしに舞踏会に残るなんて、ジェイムズさまに悪いもの。ビアトリスたちはどうするの?」

「私は最後まで残るつもりよ。大叔母さまから今夜は泊まっていくように言われているの」


 大叔母いわく「親戚同士つもる話もありますから、ぜひ泊っていってちょうだいな」とのことだが、おそらくその間にカインとの馴れ初めや婚約までのやり取り、贈られた首飾りにまつわるエピソードなどを、根掘り葉掘り聞きだすつもりなのだろう。大叔母にとってその手の情報は生きがいであると同時に、「事情通」として社交界で影響力を保持するための貴重な武器に他ならない。

 ビアトリスとしても今まで世話になった立場上、大叔母の喜ぶようなあれこれを提供することに異論はない。とはいえカインとの関係は王家の秘密が深く関わっているので、話せないことも多いのだが。


 その後は馬車に乗り込むマーガレットを見送ってから、ビアトリスたちは再び会場内へと戻った。大広間ではいよいよ最後の曲が始まるところだった。


「ラストダンスだ。踊ろうか、ビアトリス」

「ええ、喜んで」


 大分空いてきたフロア内を、カインと共に縦横無尽に横切りながらダンスに興じていると、ふと見知った男性に気が付いた。


(まあ、ミルボーン侯爵もいらしてたのね)


 アメリア王妃の弟に当たるジョシュア・ミルボーンが妙齢の夫人と踊っている。彼は妻と死別して以来独身なので、相手はおそらくどこかの未亡人だろう。

 ビアトリスがなんとはなしに眺めていると、ふいに彼と目が合った。地味で大人し気な風貌のミルボーン侯爵は、きつい顔立ちの姉とはあまり似ていないが、その緑色の瞳はアメリア王妃そっくりだ。それを意識した瞬間、王妃の声がビアトリスの耳元でよみがえった。


 ――本当に、とても残念だわ。私は貴方のことが好きだったのに。


 背筋にぞくりと冷たいものが走るのを感じて、ビアトリスは慌てて目をそらした。


「ビアトリス?」


 カインがいぶかしげに呼びかける。


「なんでもありませんわ」

「ミルボーン侯爵がどうかしたのか?」

「いえ、なにも。ほんの一瞬目が合っただけです」

「よそ見しないで、踊っているときは俺だけを見ていてくれ」

「はい、カインさま」


 ビアトリスは苦笑して、改めて自分のパートナーと視線を合わせた。

 カインの赤い瞳は燃えるような情熱を宿して、じっとビアトリスに注がれている。

 炎の色、太陽の色だ。

 カインとぴったり息を合わせて軽やかにステップを踏んでいるうちに、先ほど覚えた寒気は綺麗にどこかへ消えてしまった。


 最後の曲を気持ちよく踊り終えたところで、舞踏会はようやく終了し、カインは他の客たちと共に名残惜し気に帰って行った。そしてビアトリスは首飾りをスタンワース家の執事に預けたのち、軽く湯あみを済ませ、案内された寝室で夢も見ないで熟睡した。




 大叔母のバーバラ・スタンワースから首飾りがなくなったことを知らされたのは、その翌朝のことだった。


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コミック8巻の予約受付中です。とても素敵な漫画なのでよろしくお願いします!
関係改善をあきらめて距離をおいたら、塩対応だった婚約者が絡んでくるようになりました⑧
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