エスコートの申し込み
「お申し込みがあったのは事実だけど、すぐにお断りしたわよ?」
ビアトリスが言うと、シャーロットは「まあ、そうなの」と安堵の表情を浮かべた。
「なあんだ、事実ならなんで教えてくれないんだろうってちょっとショックだったわ」
「私もよ。ちゃんとお断りしたはずだって教えてくれた相手に伝えておくわね」
マーガレットも言い添える。
「ええ、お願い」
ビアトリスはそう答えながら、なんともいえない薄気味の悪さを覚えていた。
(縁談はちゃんとお断りしたはずよね……?)
とうに終わったはずの話が蒸し返されて、おかしな形で独り歩きしている。これは果たして何を意味しているのだろう。
帰宅してから父に確認したところ、断ったのは事実だが、ラングレー氏はその後も諦めずに、「一度だけでも会ってもらえないか」としつこく申し込んできていたらしい。
「あの男はよほどお前が気に入ったんだろうな。舞踏会についても、決まった相手がいないのなら一緒に参加したいと言ってきたよ」
「もちろんそちらもお断りしてくださったのですよね?」
「ああもちろんだ。お前に訊くまでもないと思っていたからこちらで断っておいたよ。それで何がどうねじ曲がってそんな噂になったものやら」
「誰かが意図的に広めている、ということはないでしょうか」
「ラングレー氏本人が、ということか? 外堀を埋めて既成事実化してしまうつもりだとしたら悪質だな。いっそ取引解消を考えるべきかもしれん」
「いえ、そこまでする必要はありませんわ。別にあの方が流していると決まったわけではないし、実害というほどのものは出ていないのですから」
ビアトリスは慌てて否定した。気味が悪いのは事実だが、ただでさえ父に迷惑をかけているというのに、「薄気味が悪い」という程度の理由でそんなことまでしてもらうわけにはいかない。
実のところ、独身のラングレー氏と付き合っているというのは別に醜聞ではないし、被害というほどのことはない。周囲から変に誤解されるのは不愉快だが、すでに友人たちには分かってもらえた。他に誤解を解きたい相手と言えば――
(カインさまは知っているのかしら)
カインからこの件についてなにか問われたことはないが、だからといって聞いてないとは限らない。デリケートな話題なだけに、あえて触れないようにしているとも考えられる。
こちらから話題に出して、きちんと否定するべきか。
とはいえカインとビアトリスは別に付き合っているわけではないし、「私はあの方とは付き合っていないんです」とわざわざ伝えては変に思われるかもしれない。そもそもカイン自身はビアトリスが誰と付き合おうと気にしないかもしれないし――
(ああもう、こんな風に一人で考えていても切りがないわね)
うじうじと悩み続けて何も行動しないのは、まるでかつてのビアトリス――あずまやで一人で泣いていたころに戻ってしまったようではないか。自分は前向きに学院生活を楽しむと決めたのではなかったか。
(……決めたわ。明日カインさまに会ったら、私からラングレー様の話題を出して、きちんと否定しておきましょう)
変に思われるかもしれないが、それはもうそのときだ。
ついでに舞踏会の予定も聞いてしまおう。
そしてエルザについても聞いてしまおう。
そして付き合っていると言われたら、思い切り泣いて、きっぱりすっぱり諦めよう。
それからマーガレットたちに打ち明けて、慰めてもらおう。
失恋記念にあのタルトのお店に行って、全種類制覇に挑戦してみるのもいいかもしれない。きっと二人は呆れながらも付き合ってくれるに違いない。
(とにかくすべては明日だわ)
ビアトリスはそう自分を鼓舞した。
翌日。勢い込んであずまやに向かってみたものの、ビアトリスの意気込みは空振りに終わった。カインの方が先にその件について問いただしてきたからである。
「王宮舞踏会について、ナイジェル・ラングレーと出席するというのは本当なのか?」
「いえ、そんな予定はありません」
ビアトリスは今回の経緯を洗いざらい打ち明けた。
「どこから流れた噂なのか分からなくて、なんだか気味が悪いんです。誰かが意図的に広めているとしたら、その目的は何なのか。父は外堀を埋めるためにラングレー氏が流した可能性を考えているんですけど、それはそれで不自然な気がして……。だって私はその方とはお話したこともないですよ? 一目見ただけの相手にそこまで執着するなんて、普通ならあり得ないでしょう?」
「あ、ああ、そうだな。普通ならあり得ないよな、普通なら」
カインはなぜか困ったように目をそらした。
そして改めてこちらに向き直ると、小さく咳払いした。
「いずれにしても、そういう厄介な噂を打ち消すには、別の噂で上書きするのが一番だ。――ビアトリス、舞踏会で俺に君をエスコートさせてくれないか」
「え? カインさまが、私を?」
「いや無理にとは言わない。俺にエスコートされるのが不本意なら、はっきりそう言ってほしい」
「いえ、そんなことはありません。ただ……」
「ただ?」
「あの、最近カインさまはエルザと親しくしていると伺っているので」
「エルザ嬢と? いや、あれはそういうのじゃないんだ。……実はあのメアリー・ブラウンに関することで色々あって、彼女にはその連絡役になってもらっていたんだよ」
「まあメアリー・ブラウンの? ……そうだったのですか」
カインの言葉に、演奏会で見かけた謎めいた女性のことを、今さらながらに思い出す。
カインは実家に問い合わせると言ったきり、その後の続報がなかったので、ビアトリスはすっかり忘れていたのだが。
「……そういうことなら、私にも教えていただきたかったです」
「フィールズ家にもかかわることだからちょっと言いづらくてな。フィールズ夫人にも他言しないでほしいと頼まれていたし。まさかそのことが君に誤解を与えていたとは思わなかったんだ」
「それじゃ私が勝手にやきもきしていただけだったんですね……」
「やきもき、していたのか」
「はい」
ビアトリスがはっきりと頷くと、カインは驚いたように目を見開いた。
そしてそれから少しの間、互いに照れたような沈黙が続いた。
「……メアリー・ブラウンの件は一応本人とフィールズ夫人の許可を取ってから話すよ」
「いえ、さっきはああ言いましたけど、無理なら話していただけなくても構いませんから」
何しろエルマですら知らされていないことだ。メアリー・ブラウンにまつわる秘密とは、よほど重大なことなのだろう。
「いや、俺が話したいんだ。それにフィールズ夫人やメアリー・ブラウンも、相手が君なら断らないと思う。それからビアトリス、改めて君に申し込みたい。今度の舞踏会で君をエスコートさせてほしい」
「はい。お受けします」
「それから、舞踏会が終わったあと、君に大切な話がある。いやメアリー・ブラウンの件じゃなくて、もっと個人的な話なんだが」
「はい。楽しみにしています」
ビアトリスは幸せな気持ちで微笑んだ。