万が一の保険
昼休み。カイン・メリウェザーを前にしたシリル・パーマーはひどく落ち着かない様子だった。カイン曰く、二人は昔馴染みとのことだが、その力関係は歴然としているようである。
「こうして会うのは久しぶりだな、シリル」
「……お久しぶりです」
「いろいろと積もる話もあるが、また今度にしよう。お前に折り入って頼みがある。マリア・アドラーを適当な場所に呼び出してほしいんだ。もちろんお前も立ち会ってくれて構わない」
「マリアを呼び出す? 理由をお聞かせ願えますか?」
「別に大したことじゃない。今回の試験に関する騒動について、ちょっと話を聞きたいだけだ」
「試験の不正疑惑騒動ですか。あの件はマリアの思い込みによる暴走ということで決着がついたはずですが」
「マリア嬢がそう思い込んだ経緯について直接話を聞いてみたいんだ」
「経緯と言っても、マリアは元々ちょっと思い込みの激しいところがありますからね。まあ本人も反省しているようですし、今はそっとしておいていただけませんか?」
「反省すべき人間が、副会長一人だけとは限らないでしょう?」
ビアトリスが横から口を挟んだ。
「どういうことですか?」
「彼女一人の暴走ではなく、彼女に賛同して、煽った人間が他にいる可能性があると申し上げているんです」
「それは勘繰り過ぎというものでしょう。繰り返しますが、今回の件はあくまでマリア一人の暴走です。煽った者などおりません。標的にされたビアトリス嬢がお怒りになるのはもっともですが、この件で他の人間を巻き込むのはさすがにナンセンスと言うものですよ」
シリルは苦笑するように首を振ってみせた。ビアトリスが何を疑っているのか、彼女の言う「煽った人間」が誰を指しているのか、まるで尋ねようとすらしない。ただことさらにマリア一人と強調する様子に、ビアトリスはなにか殺伐としたものを感じた。
(やっぱりあれは彼女一人の暴走じゃない……そして、この人はそれを知っているんじゃないかしら)
やはり先の不正疑惑騒動の背後にはアーネストがいる。そしてシリル・パーマーはそれを知っている。少なくとも薄々察してはいる。その上で、見て見ぬ振りをしろと言っているのではないか。
「……パーマーさまは、マリア・アドラー副会長とは、それなりに親しい関係かと思っていました」
「親しい関係ですよ。学院を卒業するまでは良い友人としてやっていけたらと思っています」
「どうせ卒業までの関係だから、平気で見殺しにできるんでしょうか」
「なんのことやら」
「――なあシリル」
カインがシリルの肩に手を置くと、上から彼の顔を覗き込んだ。
「お前が将来国王の片腕になるのを目指しているのも、そのために今アーネストにくっついているのもよく分かっている。しかし将来のためを思うなら、万が一に備えて、保険をかけておくことも必要だと思わないか?」
「万が一って」
シリル・パーマーは、そこで初めて顔色を変えた。
「……それはどういう意味ですか?」
「別に、言葉通りの意味だ。……ああ確率はもう少し高いかもしれないな。あいつは今、少し危なっかしい状態だ。お前もそれが分かっているから、心配しているんじゃないのか?」
「本気ですか」
「冗談でこんなことを言えると思うか?」
シリルはしばらく困ったように視線を彷徨わせていたが、やがて深々とため息をついた。
「……分かりました。僕は知り合いの上級生にマリア・アドラーを紹介してほしいと頼まれて、愛の告白か何かだろうと勝手に勘違いして、深く考えずに彼女を連れて来る、そういうことにします。ビアトリス嬢は貴方が僕に無断で連れて来るということでいいですね?」
「分かった。恩に着るよ。万が一のときは思い出す」
「ええ、万が一のときはお願いします。……そんなときは絶対来ないと思いますけどね」
結局放課後の空き教室にマリアを呼び出すことを約束して、シリルはその場を後にした。
「あの、カインさま、今のは」
「単なるはったりだ。気にしないでくれ」
カインは軽く肩をすくめて見せた。
それから放課後までの間、ビアトリスはそわそわと落ち着かない時を過ごした。
ビアトリスの推測が事実だとしたら、マリア・アドラーは心酔していたアーネストの裏切りに対し、今どんな思いでいるのだろう。目の敵にしていたビアトリスがそれを指摘したら、果たしてどんな反応を示すだろうか。
ようやく放課後になり、指定された教室で待っていると、シリルに伴われてストロベリーブロンドの少女が姿を現した。