俺たちのアーネスト殿下
アーネストの一声に、その場が一瞬にして静まり返った。
今まで騒いでいた者たちも、みな固唾をのんでアーネストの出方を見守っている。
「アーネストさま!」
沈黙の中、声を上げたのはマリアだった。その愛らしい顔は、百万の味方を得た安堵と喜びに輝いている。
「ちょうど今、ウォルトンさんとお話ししていたとこだったんです!」
「お話?」
「はい、試験の不正について認めてくれるように説得してたんですけど、彼女は色々言い訳して、どうしても認めようとしないんです。証拠がないから、このまましらを切り通せると思っているみたいで……。でもこんな形で不正を有耶無耶にしてしまうのは、ウォルトンさん自身のためにも絶対よくないと思って、私」
「トリシァが、ね」
アーネストがすいとビアトリスの方に向き直った。絡めとるような底知れない眼差しに、ビアトリスは一瞬ひるみそうになるも、そのまま足を踏みしめた。
「やあ、なんだか久しぶりだね」
「はい」
アーネストとこうして対峙するのはあのとき以来だ。こうして正面から眺めると、記憶にあるより幾分痩せて、少しやつれたような印象を受ける。彼の不調の原因を作ったのが本当にビアトリスだとしたら、そのビアトリスが首位を取ったことについて、彼は今どんな感情を抱いているのだろう。
緊張に顔をこわばらせるビアトリスに対し、アーネストは莞爾とほほ笑みかけた。
「トリシァ、一位おめでとう。よく頑張ったね。俺も婚約者として鼻が高いよ」
その声は誠実さと温かみにあふれ、皮肉は微塵も感じられない。
「……ありがとうございます」
「な、何をおっしゃってるんですか? ウォルトンさんの首席は不正によるものですよ?」
マリアが慌てたように割って入った。
「証拠もないのに、妙な言いがかりは止めた方がいい。トリシァの首席はあくまで実力によるものだ。トリシァは不正なんかする人間じゃないよ」
「で、でもアーネストさまは――」
「マリア、もういい加減にしてくれないか。生徒会の一員として、あまりみっともない騒ぎを起こさないでほしいんだ」
アーネストの厳しい声と眼差しに、マリアはまるで陸に上がった魚のようにぱくぱくと口を動かした。何か言いかけては飲み込んで、結局そのまま口をつぐんでうつむいた。
「マリアは今回本調子ではなかったようだな。俺の結果もあの通りだから、悔しい気持ちはよく分かる。だけどそれをトリシァにぶつけるのはお門違いだ。分かるだろう?」
「はい……」
「うん、分かってくれたらそれでいいよ。きつい言い方をして悪かったね。――行こうか、マリア」
アーネストに促され、マリアは悄然とビアトリス達に背を向けた。アーネストの手が置かれた華奢な肩は、わずかに震えているようだった。
「それじゃトリシァ。改めて首席おめでとう。俺は今回失敗したけど、次は君に負けないように頑張るよ」
「はい」
「みんなも、うちの副会長が騒がせたようで悪かったね」
アーネストが生徒たちに笑顔を向けると、その内の一人が真っ赤な顔で声をかけた。
「あ、あの、殿下は今回体調がお悪かったんですか?」
「ああ、最近ちょっと公務が忙しくて、当日風邪を引いてしまったんだよ」
「やっぱりそうだったんですね! それでも七位なんだから、殿下はすごいと思います!」
「ありがとう。でも次は失敗しないよう頑張るよ」
「は、はい! 応援しています!」
緊張で上ずった声でそう言う生徒に、アーネストは再び優しく微笑みかけると、マリアを伴ってゆったりとその場を後にした。
あとに残された生徒たちは、たちまちのうちに興奮の渦に包まれた。
「格好いいなぁ! さすがアーネスト殿下だ」
「今回は副会長の勇み足ってとこだったね」
「うん、確かに証拠もなしに決めつけたのは良くなかったよね」
「それをビシッと指摘したとこ、ほんと格好良かったよな」
「同じ生徒会の仲間だからって変に肩を持ったりしないってのがいいよなぁ」
「悔しがったりしないで、笑顔で相手を褒めるのも、さすが殿下って感じだな」
「やっぱり俺たちのアーネスト殿下は最高だぜ」
もはやビアトリスに疑いの目を向ける者は、一人も残っていなかった。
先ほどまでマリアに同調していた者たちも、皆手のひらを返して「我らがアーネスト殿下」の対応を、口を極めて褒め称えている。
生徒たちの変わり身の早さに、ビアトリスは唖然とした思いで立ち尽くしていた。
放課後、ビアトリス達は試験の打ち上げに、マーガレットお勧めのチョコレート専門店を訪れた。チョコレートパフェにチョコレートケーキにホットチョコレート。
チョコレート尽くしを堪能しながら、真っ先に話題に挙がったのは、なんといっても結果発表時の騒動だ。
「それにしても今回は胸がすうっとしたわね。ビアトリスに言いがかりをつけるからあんなことになるのよ」
「ええ本当に、あの副会長の態度はひどかったものね。皆の前でぺしゃんこにされたの、正直言っていい気味だったわ。ビアトリスは生徒会の手伝いのときも嫌な思いをさせられていたんでしょう?」
「ええ、なんだか最初から目の敵にされていたみたいなの」
「あの人、生徒会長にべったりだもの。婚約者であるビアトリスが目障りなんじゃないかしら。――あのねビアトリス」
マーガレットがふと真面目な顔で言った。
「私ね、実を言うと、アーネスト殿下のことは、ちょっとどうかなって思っていたの。貴方の婚約者に対してこんな風に思うのは失礼だけど、でも貴方に対する態度がちょっと酷いんじゃないかって。でもやっぱり、ちゃんとビアトリスのことを信頼しているのね」
「ええ私も、殿下がビアトリスはそんなことする人じゃないっておっしゃったとき、ちょっと感動しちゃったわ。――まあでもそれはそれとして、普段の態度はやっぱりどうかと思うけどね」
シャーロットも同調する。
今まで腫れ物扱いだったアーネストについて、二人が初めて触れてきた。それはつまり、彼女らの中でアーネストの評価が劇的に上向いたからだろう。
無理もない。
客観的に見て、今回のアーネストの対応は素晴らしかった。
勝者であるビアトリスを称賛し、言いがかりをつけるマリアをきちんと諫めつつも、完全に突き放すことなくフォローする。まさに「お優しい王太子殿下」の理想的な対応だ。
ビアトリス個人の立場から見ても、彼の対応は大変ありがたいものだった。アーネストがあの場でマリア側について、二人がかりでビアトリスを糾弾していたら、今頃どうなっていたか分からない。もしかすると友人たちまで不名誉な噂に巻き込んでしまった可能性もある。
以前のアーネストの対応を思えば、今回の件は、この上もない汚名返上と言えるかもしれない。
(それなのに……)
それなのに、この漠然とした不安はなんだろう。
ビアトリスの胸中に、何かが引っかかっていた。
あのときのマリアの表情。マリアの声。
何か言いたげだったのに、口をつぐんだマリアの様子。
――で、でもアーネストさまは
あのとき彼女は何を言おうとしたのだろう。
(まさか……)
ふと浮かんだ考えに、ぞくりと冷たいものが背中に走る。
(……ううん、いくらなんでも考え過ぎよね)
マリア・アドラーは味方と信じ込んでいたアーネストに突き放されて、混乱していた、それだけだ。おかしなことなどなにもない。
ビアトリスは己をそう納得させて、友人と共にチョコレートケーキ尽くしを堪能した。





