赤毛の青年
(本当に……なんでこんなことになってしまったのかしら)
ビアトリスは裏庭にあるあずまやのベンチに座ってひとりごちた。
もうすぐ授業が始まるというのに、教室に戻る気にはなれないままだ。
今までビアトリスは無遅刻無欠席で、常に成績上位をキープしてきた。それも全ては王太子の婚約者に相応しくあるためだったが、当の王太子があの態度では、虚しさが募るばかりである。
婚約者の座に無理やりおさまったような人間が、どうあがいたところで王太子妃に相応しくなんぞなりようがないからだ。
本当はアーネストはそんなことを言っておらず、何もかも先ほどの女生徒たちの虚言ではないのか? との希望にすがりたくなるが、彼女らは最初の内ビアトリスの存在に気づいていなかったようなので、その可能性は低いだろう。
(本当に、私のなにがそんなに……)
「ビアトリス・ウォルトン公爵令嬢。君がさぼるとは意外だな」
ふいに澄んだバリトンが耳に響いて、ビアトリスは慌てて振り向いた。
見ればあずまやの入り口に、目の覚めるような赤毛の青年が立っていた。
すらりとした長身に、精悍で整った顔立ち。瞳は髪と同じ燃えるような赤。
ビアトリスにとっては知らない相手だが、「王太子に嫌われている婚約者」であるビアトリスは有名人なので、一方的に名前を知られているのだろう。
青年はビアトリスをまじまじと見つめ、気づかうように問いかけた。
「……もしかして、泣いていたのか?」
「違います」
「しかし」
「違いますから放っておいてください」
ビアトリスはそう言い捨てるなり顔をそむけた。
マナー違反の態度だが、今のビアトリスには何もかもがわずらわしかった。
この青年もどうせ腹の底では彼女のことを嘲っているに違いない。嫌われ者の公爵令嬢が惨めに泣いている姿なんて、一般生徒にしてみれば、さぞや愉快な光景だろう。
「……分かったよ。邪魔をして悪かった」
青年はあくまで優しく、いたわるような声で言葉を続けた。
「ただ仮に君が泣いてる原因があの王太子殿下なら、これだけは知っておいてほしい。ビアトリス嬢、君はなにも悪くない。あいつがああいう態度を取るようになったのは、あいつ自身の問題だ」
ビアトリスが再び振り向くと、林の奥へと立ち去っていく後姿が見えた。
(今のはいったい……)
ああいう態度をとるようになった、と青年はいった。
それはアーネストとビアトリスが睦まじかった頃のことを、知っている人間の科白だった。