カインの推理
しばらくの間、沈黙が続いた。
ややあって、公爵はいかにも心外だと言わんばかりに口を開いた。
「……なんだそれは。私はそんなこと知らないぞ?」
「お心当たりがありませんか?」
「当然だ。なぜ私がそんなことをしなければならない? アーネストは私にとっては可愛い甥だ。そのアーネストを陥れるような真似を、この私がするわけがないじゃないか。それともアンナが何かおかしなことでも言っているのかい?」
「アンナ夫人にはまだ確認していません。そう簡単には口を割らないでしょうし、こちらの行動が貴方に伝わってあれこれ工作されても困りますから。……ただ分かっていることがひとつあります」
「分かっていること?」
「はい。フェリシア嬢の母に命じた人物は、フェリシア嬢が殿下を告発する見返りに、エヴァンズ子爵の王宮での出世を約束したそうです」
「なんだ、それなら犯人はパーマー宰相じゃないか! 王宮人事を握っているのはパーマー宰相だ。宰相にはアーネストを陥れようとする動機もある。なにしろあいつは義姉上にずっと懸想していたんだからな」
公爵が勢い込んでそう主張するも、カインが「あり得ませんよ」と一蹴した。
「少し考えれば分かることです。パーマー宰相から見れば、アンナ夫人は、『ペンファーザー公爵の旧友の妻』です。そんな強力なコネを持っている人間に、娘のフェリシアを使って王太子を陥れるのに協力しろ、なんて無茶な取引を持ち掛けるわけがないでしょう。そんなことをすれば貴方に伝わる可能性が高いし、貴方がご自身で主張している通りの愛情深い叔父だとしたら、パーマー宰相は一巻の終わりですよ。いくらなんでも、そんな危ない橋を渡るほど宰相が愚かだとは思えませんね。一方、貴方はアンナ夫人とは旧知の仲で、彼女の気質も知り尽くしている。息子に王宮での出世を約束すれば、喜んで乗ってくることも分かっていた。どちらが怪しいかはおのずと明らかでしょう」
「しかし私には王宮の人事権なんてない。アンナにそんな約束をすることは不可能だ」
「約束をするに当たっては、何も現在人事権を握っている必要はないんですよ。ことが成功した暁に人事権を手に入れることができれば十分です」
「ことが、成功?」
「つまり、俺の廃嫡です」
アーネストが冷たい口調で言い切った。
「廃嫡だなんて……それは発想の飛躍だろう。そりゃあ二度も婚約者を虐げたとなったら、アーネストに対して非難の声が上がるだろうし、中には次期国王にふさわしくないと言い出す者が出てくるかもしれない。しかしだからって、すぐに廃嫡に結びつくのはいくらなんでも飛躍しすぎだ」
「ええ実際、フェリシア嬢の告発だけなら廃嫡まで行く可能性は五分五分だと思います」
カインはあっさりと同意した。
「しかしそこに、明確な意図をもって扇動する人間がいたとしたらどうでしょうね。例えば貴方のように社交性と人脈を兼ね備えた人間が、フェリシア嬢がいかに酷い目に遭ったか、アーネスト殿下がいかに酷い人間か、そんな人物が王座につくのがどれほど害悪かを大々的に吹聴したら、流される人間は少なくないんじゃないですか?」
「……はは、この私が、そんな真似をするとでも?」
「するつもりで、あれこれ準備していたんでしょう? パーマー夫人が言っていましたが、フェリシア嬢がパーマー侯爵家ではなくペンファーザー公爵家の養女になることが決まったのは、当主である貴方自身がそう希望したからだそうですね。表向きの理由は『親友の娘の面倒を見たい』ってことだったそうですけど、本当の理由は、養父と言う立場なら、フェリシア・エヴァンズの『被害』を声高に言い立てても違和感がないからじゃありませんか? 赤の他人としてあれこれ言うより、『虐げられた娘のために怒る父親』と言う体裁をとったほうが、世間的にも説得力がありますからね。いや、実に周到なものだと感心しましたよ、俺は」
カインは呆れたような調子で言葉を続けた。
「そして現国王はあの通りことなかれ主義ですから、廃嫡を求める声が多数派になれば、大勢にあらがえずに従うでしょう。そうなれば、現国王の引退後に王座につくのは誰でしょうね。『ことが成功した暁には、私が国王になって君の息子を王宮で良い地位につけてやる』、貴方はそう言ってアンナ夫人に計画を持ち掛けたんじゃありませんか? そして彼女は飛びついた」
「……荒唐無稽な妄想だ」
公爵はかすれた声でつぶやいた。
「しかし貴方の素敵な計画において、障害になりかねない厄介な存在がいた。他でもないこの俺ですよ。かつての第一王子クリフォード」
ペンファーザー公爵はぎょっとしたようにバーバラの方に目をやった。
「大丈夫ですよ、バーバラ夫人は俺の正体をご存じですから」
「ええ、私からお話ししましたの。何と言っても今回の関係者ですから、お話ししないわけにはいきませんでしたわ」
ビアトリスが言い添える。
「関係者?」
「ええそうよ、貴方が巻き込んでくれたんじゃないの」
憤然と答えたのはバーバラだ。
「我が家の従僕を使って、我が家に滞在しているお客さまから、月華石の首飾りを盗み出したんじゃないの。ねえレイモンド・ペンファーザー、この私に対して、随分とふざけた真似をしてくれたものだわね!」
今回の盗難騒ぎで悄然としていたバーバラは、その鬱憤をぶつける相手を前にして、生き生きと輝いているようだった。
「叔父上はいつ俺の気が変わって、王座に名乗りを上げるか不安だったんですよね? むろん長年死んだことになっていたことは結構なハンデになるでしょうが、それでもウォルトン公爵家の支援があれば十分に勝算はある。貴方は俺の存在が目障りだった。それと同時に俺とビアトリスの仲が目障りだった。だから貴方はグレアムを使って首飾りを盗み出したんです。メリウェザーとウォルトンの間に亀裂を入れるために。仮に俺が王位を狙ったとしても、ウォルトンは積極的な支援などしないように」
「相変わらず頭が回るな、クリフォード。しかし、証拠はあるのか?」
ペンファーザー公爵の苦し紛れの問いかけに、カインはさもおかしそうに笑って見せた。
「証拠ですか。アンナ夫人が認めればそれが証拠になるかもしれませんが、仮に認めなかったとしても別に問題はないんですよ。我々はなにも裁判で勝とうしているわけではありませんから。我々はただ、メリウェザー家と、ウォルトン家、そしてスタンワース家さえ説得できればそれでいい。メリウェザー家とその傘下の者たちは俺の言い分を信じますよ。そしてメリウェザー家の至宝を薄汚い意図で奪った相手をけして許さないでしょう」
「ウォルトン家は私の言うことを信じます。父は娘の幸福を邪魔する相手をけして許さないでしょう」
ビアトリスも言葉を重ねた。若干はったりも混じっているが、父は以前ビアトリスの訴えを取り合わなかったことを悔やんでいるし、信じてくれるだろう、たぶん。
「そしてもちろん、スタンワース家も信じますよ。ロジャーにもエリザベスにも異論は一切許しません。これは決定事項です」
バーバラは胸を張って言い切った。当主である息子の意見など、己の前では塵芥も同然と言わんばかりの態度である。それはそれでどうかと思うが、今の状況では頼もしい。
「叔父上、はっきり警告しておきます。貴方がアーネストを廃嫡に追い込んだら、俺は三家の後ろ盾を使って必ず王座を手に入れます。そして国王として最初にやることは、ペンファーザー公爵家を潰すことです」
「そんなことが」
「できますよ。理由なんて適当にでっちあげてみせます。汚い謀略はなにも貴方の専売特許ではないんですよ」
「ハ! やってみろ。王家の色も持たない赤毛風情が――」
「いい加減にして!」
叫び声を上げたのは、それまで沈黙を守ってきたクロエ夫人だった。
夫人は転げるように椅子から降りると、ビアトリスたちの前に跪いた。
「申し訳ございません! アーネスト殿下、並びにクリフォード殿下、ビアトリスさま、バーバラさま。全てはこの愚か者と、愚か者を止められなかった私が悪いのです。もう二度とこんな過ちは犯しません。首飾りも必ずお返しいたしますので、平にご容赦くださいませ!」
「おいクロエ、勝手なことを」
「それは私の科白です! 貴方の火遊びに付き合わされるのはもうたくさん! 貴方にとってペンファーザーは王座に至るただの踏み台なんでしょうけど、私にとっては祖先から受け継いだ大切な家なのです。貴方にはペンファーザー公爵を名乗る資格はありません。家督を譲って引退なさい。当主の座にしがみつくようなら、刺し違えてでも貴方を引きずりおろします!」
そしてクロエ夫人はテーブルの上にあるバターナイフをひっつかむと、夫の首に突き付けた。
「言いなさい! 息子に家督を譲ると! 首飾りもお返しすると! 今ここで言いなさい!」
鬼のような形相で、夫に向かって言い立てる。
突き付けられた切っ先が薄く肌に食い込んだとき、公爵は「分かった……」とくぐもった声で同意した。
むろん公爵の言葉は本心ではなく、「この場を収めるためにいったん同意しておこう」という程度のものだろうが、今後このクロエ夫人を相手に、以前のような好き放題がやれるかどうかは疑問である。日ごろ大人しい人間が爆発したときの迫力は、実に凄まじいものがある。
(あの方も色々と鬱憤が溜まっていたんでしょうね……)
ビアトリスは園遊会でのやり取りを思い返しながら心の中でつぶやいた。
そしてクロエ夫人はビアトリスたちに何度も謝罪を繰り返しながら、半ば引きずるように夫を連れて帰って行った。