陰謀(アーネスト視点)
「……君の母親は、なんでまたそんなことを命令したんだ?」
アーネストはなんとか衝撃から立ち直ると、フェリシアに向かって問いかけた。
「母は誰かに弱みを握られて脅されてるそうです。亡くなった父の名誉に関わることで、表ざたになったらエヴァンズ家はおしまいだって。私たちがどうなってもいいのって言われて、私、どうしても逆らえなくて……」
フェリシアは泣きながら言葉を続けた。
「それで私、仕方ないなって思ったんです。嫌だけど仕方ないなって。どうせ王太子殿下は酷い方なんだから、これくらいやってもいいんだって……でも実際に会った殿下は思っていたような方じゃなくて、だから……だから私どうしても耐えきれなくて」
(そうだったのか……)
アーネストは深々と息をついた。
フェリシアの発言は実に突飛なものだったが、不思議なほどに嘘ではないという確信があった。二度目に会ったときの「よりにもよって貴方だったなんて」と言う奇妙な言葉も、そういうことなら説明がつく。
いつ会っても暗い顔をしてうつむいていたフェリシア・エヴァンズ。
彼女は母の命令とアーネストへの罪悪感のはざまで、人知れず葛藤していたのだろう。
「よく話してくれたね。ありがとう、フェリシア。それで、アンナ夫人を脅している人間が誰かは全く分からないのか?」
「分かりません。母は教えてくれませんでした。私は知らない方がいいって」
「そうか……」
弱みを握って脅すと言えば、真っ先に思い浮かぶのはミルボーン侯爵家である。貴族社会に情報網を張り巡らし、弱みを握って脅しをかけるのは昔からミルボーン家のお家芸だ。母アメリアの幽閉にアーネストが加担したことを考えれば、侯爵がそのお家芸を使ってアーネストに復讐をもくろんだとしても不思議はない。しかし、である。
「君がアンナ夫人に命じられたのはいつのことだ? あの舞踏会に参加したときには、もうそういう話になっていたのか?」
「はい。アーネスト殿下との婚約話が持ち上がったのとほぼ同時でした。あの舞踏会の一週間ほど前に、貴方はアーネスト殿下と婚約することになったけど、仲良くする必要はないから、頃合いを見て暴力を振るわれたと周囲に訴えるのよって言われたんです」
「舞踏会より一週間も前なのか……」
アーネスト自身が知らされたのは、舞踏会の三日前だ。一週間前の時点でフェリシアとアーネストの縁談について知っているのは、王宮内でもかなり限られているはずである。
仮に脅迫者がミルボーン侯爵だとしたら、彼は一体どうやって情報を入手したのだろう。
(……王宮に内通者がいるということか)
考えたくはないが、その可能性が高いだろう。それもかなりの高官だ。
「その人物はなにか、王宮につてがあるようなことは言ってなかったか?」
「あ、はい。そういえば、私が役目を果たしたら、見返りに兄は王宮で良い地位につけて貰えるとも言っていました」
「王宮で良い地位? 本当にそう言ってたのか?」
「はい……母はちらっと、そんなことを」
(まさか……)
アーネストは足元ががらがらと崩れ落ちていくような錯覚を覚えた。
王宮人事を一手に握っている人間。
それは他でもないパーマー宰相その人だ。
「……あの、私はどうしたらいいんでしょう」
黙り込んでしまったアーネストに、フェリシアが不安げに問いかけた。
「とりあえずは何もしないでいい。この件は誰にも言わないで、今まで通り命令に従うふりをしていてほしい」
「でも、あの」
「大丈夫だ。あとは俺がなんとかする」
アーネストが安心させるように微笑むと、フェリシアは目に涙をためて頷いた。
フェリシアと別れたのち、帰りの馬車に揺られながら、アーネストはなんとか状況を整理しようと試みた。しかし考えれば考えるほど、思考は千々に乱れてまとまらなかった。
パーマー宰相は、本当にアーネストを陥れようとしているのか。
だとしたら、彼の動機はなんだろう。
セオドア・パーマーといえば、父アルバートが家臣の中で最も信頼している人物だ。
またアーネスト自身も、物静かで思慮深いパーマー宰相のことを、誰よりも頼りに思っていたのである。その彼が、一体なぜ?
(ミルボーン侯爵にそそのかされでもしたんだろうか)
だとしても、パーマー宰相自身にもなんらかの動機はあるはずだ。上司の息子であるアーネストを陥れようとする動機。それがなんなのか分からない。
そもそも何故パーマー宰相がミルボーン侯爵と手を組んでいるのかも分からない。アーネストの知る限り、彼らの間に接点なんてろくになかったはずである。
それは確かに、最近は王妃アメリアの幽閉処分の後始末のために、顔を合わせることも多かっただろうが、それだけのことで――
ふいに、アーネストの背筋に冷たいものが走った。
――姉は貴方に首飾りや花束をいただいたことをとても喜んでいるそうです。そして貴方のもとに行く日が待ちきれないと、今が人生で一番幸せだと。
あの声――あのぼそぼそとした抑揚のない低い声。
夜明け前の王宮図書館で、宰相と密談を交わしていた声の持ち主を、今さらながらに思い出す。
あれは文官などではない。叔父のジョシュア・ミルボーンだ。無口で印象の薄い男だから、今の今まで思い出せなかった。
(つまりあの「姉」とは母上のことか? 貴方の元に行くというのはつまり、宰相が母上を幽閉先から連れ出すと……?)
あまりのことに、眩暈すら覚える。
しかしおかげで宰相の行動がようやく腑に落ちた。
つまり全ては母のためだ。
幼いころに、父から聞いたことがある。セオドア・パーマーにとって母アメリアは初恋の女性であり、彼は学生時代に母に求婚したことがあるのだと。父はそれをあくまで過去の笑い話として語っていたが、セオドア・パーマーにとっては遠い昔の恋ではなく、今もなお燃え盛る紅蓮の炎だったのかもしれない。その情熱のままに、お姫様を救い出す勇者よろしく、母を幽閉先から連れ出そうとするほどに。
アーネストを陥れようとしたのは、王家の混乱と弱体化を狙ってのことだろう。王太子が二度に渡って婚約者を虐げたとなれば、王家の権威は地に落ちるし、一部からはアーネストの廃嫡を叫ぶ声も上がるだろう。
すでに引退を表明している国王アルバートはますますやる気を失い、王太子アーネストは貴族たちから背を向けられているともなれば、国政における主導権は今まで以上に宰相に握られることになる。
(そうなれば、母を密かに脱走させるのも簡単だ。その後の捜索についても有耶無耶にすることができるだろうしな)
加えて「アメリアを裏切ったアーネスト」に対しての復讐も行えれば一石二鳥だ。そしていずれアルバートが引退し、傀儡王アーネストのもとで宰相が実権を完全に掌握すれば、母の幽閉自体を「なかったこと」にすることだって可能だろう。
(しかしまさか、あの宰相が……)
アーネストは思わず唇をかみしめた。
信じられない、信じたくないが、そう考えれば全て綺麗に説明がつく。
(落ち着け、ショックを受けている場合じゃない。どうすれば良いか考えるんだ)
パーマー宰相を相手どるには自分一人では不可能だ。
彼に対抗するために、誰か協力者が必要だ。
それも宰相に負けないほどの強力な力を持っている存在。
しかし父アルバートに相談しようとは思えなかった。アーネストが訴えたところで、父は「馬鹿馬鹿しい、あのセオドアがそんなことするわけないじゃないか」と一笑にふして終わりだろう。あるいは「セオドアに直接訊いてみるよ」と言って、何もかも台無しにしてしまうかもしれない。ならば一体、誰に協力を仰げばいいのか。
そのとき頭に浮かんだのは、アーネストが最も会いたくない男の名前だった。