王宮図書館での密談(アーネスト視点)
夢の中で、アーネストは幼い子供に戻っていた。
王宮のサンルームで、幼いアーネストは幼いビアトリスとテーブルを挟んで向かい合っている。アーネストは無言でビアトリスを見据え、対するビアトリスは泣いていた。泣きながら、頭を下げて謝っていた。
「申し訳ありません! そんなつもりはありませんでした」
アーネストは泣きじゃくる彼女を前にしばし呆然としていたが、やがて慌ててハンカチを取り出すと、「僕こそごめん!」と謝罪した。
「酷いこと言ってごめん。最近ちょっとイライラしてて、君に当たってしまったんだ。ビアトリスは何も悪くないんだ」
アーネストがハンカチを差し出すと、ビアトリスはおずおずと受け取った。そして――
「またこの夢か……」
ベッドの上に起き上がって、アーネストは小さくため息をついた。
ビアトリスと婚約解消して以来、何度同じ夢を見ただろう。まるでアーネストの心が彼女を失ったことを受け入れられずに、必死にあがいているようだ。
むろん同じと言っても、アーネストの謝罪の言葉はそのときどきで変わっていたし、それに対するビアトリスの反応も様々だ。しばらく泣き止まない時もあれば、すぐに泣き止んで、一体何があったのかと積極的に尋ねてくる時もある。
それでもおおまかな流れはいつも変わらない。
アーネストは訳を話して謝罪して、ビアトリスと仲直りする。
彼女と笑顔で語り合い、この上もない幸福感に包まれて、その絶頂の中で目が覚める。
そしてビアトリスがもう隣にいないことを思い出す。
(……我ながら浅ましいにもほどがあるな)
こんなことが一体いつまで続くのだろう。
もしかすると、一生こうなのだろうか?
アーネストは起き上がると、服を着替えて部屋を出た。夜明けまでまだだいぶあるが、このまま悶々としていても、どうせろくなことにはならない。
(どうせ眠れないだろうし、レポート課題でもやってしまうか)
王族の私的なスペースを抜けて、時おりすれ違う警護の騎士に軽くうなずきながら、向かった先は王宮図書館だ。古今東西の文献がそろっているため、昼間は文官が出入りしているが、今の時間なら誰もいないはずである。
アーネストは図書館につくとさっそく目当ての文献を手に取って、奥まった席に腰かけた。ページを開き、ランプの灯りを頼りにひたすら文章を目で追っていると、次第に雑念が消えていく。
かつての七位の失態を取り戻して、王立学院を首席で卒業すること。それがアーネストのさしあたっての目標である。完璧な王太子の仮面ははがれてしまったが、せめてその程度の矜持は守りたい。
文献に集中することしばし。そろそろ目が疲れてきたので、いったん部屋に帰ろうかと思ったところで、アーネストはこの部屋にいるのが自分だけではないことに気が付いた。
いつの間に入って来たのだろう。男が二人、書架の向こう側で話し込んでいるようだ。
こんな時間にこんなところで、一体なんの密談だろうか。
(一人はパーマー宰相だな。もう一人は……)
アーネストは思わず二人の会話に耳を澄ませた。
「――それであの人は何と言ってましたか」
書架の向こうでパーマー宰相が問いかける。
「はい。姉は貴方に首飾りや花束をいただいたことをとても喜んでいるそうです。そして貴方のもとに行く日が待ちきれないと、今が人生で一番幸せだと」
相手の男はまるで感情の読み取れない声でそう答えた。
ぼそぼそとした抑揚のない低い声。
どこかで聞いたような気もするが、どこで聞いたかは思い出せない。
もしかすると王宮に勤める文官だろうか。
「そうですか。あの人はそんなことを……」
「はい。それでは私はこれで。次は一週間後にうかがいます」
相手の男はそう言い残して図書室から出て行った。パーマー宰相も後に続くかと思ったが、なかなか立ち去る気配はない。結局アーネストはやり過ごすのをあきらめて、彼の前に姿を現すことにした。
「殿下、おいでになったのですか……!」
アーネストの姿に気づくと、宰相は目に見えて動揺した。彼のこんな様子を目にするのは、大変珍しいことである。
「ええ、少し調べ物をしていたんです」
「……勉強熱心なのは素晴らしいことですが、あまり根を詰めてはお体に障りますよ」
「心配して下さってありがとうございます。ところで、誰かもう一人ここにいませんでしたか?」
「いいえ、私はずっと一人で書類を調べていましたが……なぜそんなことをおっしゃるのですか?」
どこか探るような眼差しで問いかける。
「話し声が聞こえたような気がしたんです」
「殿下は少しお疲れなのではありませんか。お勉強はほどほどになさって、よく休まれた方がよろしいですよ」
(……やっぱりそう言うしかないだろうな)
アーネストは内心苦笑した。察するに、今の相手は愛人の弟だろう。愛人にせっせと贈り物を貢いで、どこぞに囲う話をしていたのだから、上司の息子であるアーネストから隠そうとするのも無理はない。
堅物宰相と言われているが、意外と柔らかいところもあったらしい。
(カレン夫人とは仲が良いと聞いていたが、しょせんは政略結婚だし、実態はそんなものなのかもしれないな)
それでも表面を取り繕えている分だけ、自分とフェリシアよりははるかにマシなのかもしれないが。