よりにもよって(アーネスト視点)
半月後。王太子アーネストと子爵令嬢フェリシア・エヴァンズの「初顔合わせ」が行われた。場所はペンファーザー公爵邸である。
正式に婚約が調えば、いずれフェリシアはペンファーザー公爵家に養女として迎えられる予定だとのこと。仲介役であるパーマー侯爵家ではないのは、かつての婚約者ビアトリス・ウォルトンと家格を合わせたのだろう。つまりは「格落ち」にならないための涙ぐましい配慮である。
ペンファーザー公爵家当主であるレイモンド・ペンファーザーは父アルバートの五つ年下の弟で、陽気で快活な人物だ。アーネストも幼いころはあれこれと可愛がってもらった記憶がある。
あの殴打事件のあとは若干距離を置かれていたが、今回は甥の幸せのために一肌脱ぐことにしたのだろう。
「やあ、よく来たな、アーネスト!」
出迎えた叔父は上機嫌で、アーネストを両腕で力強く抱擁した。隣にいるクロエ夫人も、「アーネスト殿下、ようこそおいでくださいました」とうやうやしくカーテシーをする。
「叔父上、叔母上、お久しぶりです」
アーネストも笑顔で挨拶を返しした。それから簡単に時候の挨拶を交わしたのち、クロエ夫人が「どうぞ、アーネスト殿下。フェリシア嬢はもうお庭でお待ちです」と促した。
「俺も会ったが、なかなか可愛い子だったぞ。上手くやれよ」
叔父はそう言って、茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。アーネストは内心「死ぬほど嫌われている相手と上手くやる術があるなら教えてほしい」と思ったが、「はい、彼女に気に入ってもらえるように努力します」と言うに留めた。
顔合わせは「改まった席だとフェリシア・エヴァンズが緊張するだろうから」という理由で、お互い付き添いの夫人などはつけず、庭園を散策しながらさりげない形で行われる手はずになっているとのことだった。
アーネストは叔父夫婦に促されるまま、すでに何度か訪れたことのあるペンファーザー邸の庭へと足を踏み入れた。
ペンファーザー邸の庭園は薔薇のすばらしさで知られているが、まだ少し時期が早いらしく、その大半は固い蕾のままだ。しかし何株かはすでにほころびかけており、そのうちの一株の前に長い黒髪の少女が一人、こちらに背を向けてたたずんでいた。
おそらく咲きかけの白薔薇を眺めているのだろう。以前の老女のような服装と違って、今日は愛らしい若草色のドレスをまとっている。以前の少女と同一人物だとすると、今日の衣装はパーマー夫人かペンファーザー夫人の見立てかもしれない。
「初めまして。フェリシア嬢ですか?」
アーネストが声をかけると、少女は笑顔で振り返り――そのまま驚愕に凍り付いた。
やはり分かるものなんだな、というのがアーネストの素直な感想だった。
変装して薄暗いテラスで一度会ったきりなので、再会しても分からないのではないかと内心期待していたのだが、意外と分かるものらしい。
「貴方……パーティの……」
「ああ、スタンワース家のパーティで会ったね。実は変装してお忍びで参加してたんだ。俺にとってもあまり体裁のいい話ではないから、誰にも話すつもりはないよ。あの件はお互いになかったことにしよう」
アーネストは安心させるように優しく言ったが、彼女の顔色は戻らなかった。
「そんな……よりにもよって貴方だったなんて……」
泣きそうな声で、小さくつぶやく声が聞こえる。
フェリシア・エヴァンズはしばらくの間、助けを求めるように視線をさまよわせていたが、やがて意を決したようにアーネストの方に向き直った。そして取りすがるような必死な声で訴えかけた。
「あの……お願いです。私のことが気に入らないっておっしゃってください。私の顔が好みじゃないとか、陰気臭くて気が滅入るとか、理由は何だって構いませんから」
「残念だが、俺はそれを言える立場じゃないんだ。俺も君と同様に、強制されてここにいる。君のことは気の毒に思うが、俺にはどうすることもできない」
「それじゃ私は、どうしたら……っ」
その後はろくに会話にもならず、フェリシアはただ肩を震わせて俯いていた。そんな彼女を前にして、アーネストはただ途方に暮れるより他になかった。
「女性に暴力をふるった王太子殿下」であるところの自分が、女性に忌避されること自体は十分に理解できる話である。しかし先ほどまでは曲がりなりにも平静を保ち、作り笑顔すら浮かべていたフェリシア・エヴァンズが、今になって絶望に駆られる理由が分からない。
(俺が夜会で出会った男だからか……?)
よりにもよって、という言い方からして、その可能性が高いだろう。
しかしあの夜会で会ったとき、自分は終始紳士的にふるまったはずである。
それなのにフェリシアはまるでこの世の終わりのように嘆き悲しんでいる。
あの晩の自分は、彼女から「よりにもよって」と言われるような非道な振る舞いをしただろうか?
結局訳が分からないまま、初顔合わせは終了した。
顔合わせを終えて公爵邸から帰宅する際、叔父は眉間にしわを寄せながらアーネストに向かって問いかけた。
「アーネスト、お前は一体あの子に何をしたんだ?」
「何をと言われても、普通に話していただけですが」
「フェリシア嬢の様子は、とてもそんな風には見えないぞ」
「彼女がなぜあんな風なのか、俺にも理由が分からないんです」
叔父は明らかに信じていない様子で、別れ際まで「あんな可愛い子の一体何が気に入らないんだ」などとぶつぶつ言っていた。本当に訳が分からない。
ともあれこうなった以上、縁談は流れるのではないかとひそかに期待していたが、あいにくそれは叶わなかった。やはりこの婚約に二人の意思や感情は一切考慮されないらしい。
そしてフェリシア・エヴァンズとの婚約が正式に発表され、アーネストはあの怯えた少女と生涯を共にする未来が確定した。
ふと、呪いのような母の言葉が耳の奥に蘇る。
――アーネスト、可哀そうな子。私だけが貴方の味方だったのに。世界中で貴方を愛してあげられるのは私だけだったのに。その私を失って、これからどうするつもりなの?
どうしようもない。どうすることもできない。
そもそも母だって自分を愛してはいなかった。
アーネストを愛してくれたのは、銀色の髪の少女だけ。
しかしその愛はすでに失われてしまった。
だからもうこれ以上、できることなど何もない。
なんだかひどく疲れた気分で、アーネストはその晩眠りについた。