国王アルバートの思惑(アーネスト視点)
翌日。アーネストは「フェリシア嬢との縁談を断って欲しい」と直談判するために、父の執務室を訪れた。その理由として「まだ気持ちの整理がつかないから」と伝えたが、案の定というべきか、父は納得しなかった。
「我が儘を言うんじゃない。お前は自分の立場をわきまえろ」
アーネストの必死の懇願を、父はにべもなくはねつけた。
「もう先方にも伝えてある話だ。お前ひとりの意思でひっくり返したら、相手のお嬢さんのことも傷つけることになるんだぞ?」
「しかし……先方は乗り気なんですか? 王家からの頼みなので、断れない状況なのではないでしょうか」
「それはお前の考えすぎだ。エヴァンズ子爵はぜひこの縁談をまとめてほしいと言っているし、妹のフェリシア嬢も大変喜んでいるそうだ」
「そうですか……」
おそらく前半は正しく、後半は誤りなのだろう。
昨日の「私が死んだら母が困りますから」という言い方からして、エヴァンズ子爵とアンナ夫人は、フェリシアを王家に嫁がせることで何らかの見返りを期待しているのかもしれない。そしてフェリシアは二人に逆らえない。
肉親たちの手によって、まるで魔王に対する生贄のように差し出された哀れな娘。
その捧げられた魔王が自分だというのは、なかなか笑えない話である。
「それに私としても、お前には早く身を固めてもらわないと困るんだ」
アルバートはため息と共に意外な科白を口にした。
「いい機会だから今ここで伝えておく。私は早めに引退して王位を譲る予定だから、お前も心しておくように」
「何故ですか? 引退なさるにはまだ早すぎるように思いますが」
「国王の仕事は王妃がいないと難しい面も多いんだ。アメリアの公務復帰は不可能だし、実質的に独り身の私が国王を続けるよりも、お前が妃を迎えて王位を継いだ方が国のためにもなるだろう」
「ならば父上が新たに側妃を迎えれば良いのではないでしょうか」
「馬鹿を言うな、この年で新たな妃など迎えられるか」
父はむっとしたように言い捨てた。
しかしその科白は実に説得力のないものだった。母が王宮で健在だったころから、父はしばしば女性と浮名を流していたし、今も何人か親しくしている女性がいると聞いている。
男性として枯れているわけでもなければ、母に操建てしているわけでもないだろうに、一体何が気に入らないのか。
(ああ、そうか)
そこでふと、アーネストは父の言葉の裏にあるものに気が付いた。
おそらく父が苦にしているのは、「王妃がいないこと」ではなく、「アメリアがいないこと」なのだろう。日ごろから事細かく国王の仕事をサポートし、進んで厄介ごとを引き受けていた王妃アメリア。他の女性を側妃に迎えたところで、彼女の代わりは務まるまい。
しかしその穴を自らの努力で埋めるのではなく、投げ出すことを選ぶのが、父アルバートのアルバートたるゆえんだろう。
かつてのアーネストにとって、両親は完璧な存在だった。
その完璧な両親に認められることが、人生の目標になっていた。
物心ついた時からずっと、彼らにとって自慢の息子になりたかった。
しかし最近多少は両親のことを客観視できるようになったと思う。
父に認められたいとの願望は今も胸の奥に燻っているが、そんな日は永遠にこないことも、頭の中では理解している。
父にとって大切な息子はクリフォードだけ。いつかこの事実を単なる事実として、感情の面でも受け入れられたらいいと思う。
結局父は最後まで首肯することはなく、アーネストは失望と共に執務室を後にした。
自室に戻る途中、回廊の向こう側でパーマー宰相が小柄な男性と話している姿が目に映った。
遠目ではっきりとは分からないが、あれはおそらくジョシュア・ミルボーン、現ミルボーン侯爵だ。アーネストにとっては母方の叔父にあたる人物だが、無口で大人しい印象の男であり、あまり親しく交流した記憶はない。
彼がパーマー宰相と何を話しているかは分からないが、おそらくミルボーン家の関わっていたあれやこれやで後始末があるのだろう。
ミルボーン侯爵家は数百年にわたって、剣ではなく謀略によって王家を守る実働部隊として機能してきた。貴族社会全体に緻密な情報網を張り巡らし、各貴族の弱みを握り、脅しをかけ、甘言を弄し、罵言を浴びせ、情報をかく乱して分断を図り、ここぞというときにゆさぶりをかけ――行き過ぎた面はあったにせよ、「それ」は確かに王家を守る力だったに違いない。
しかしミルボーン家はもう身を捨ててまで王家に尽くすことはないだろう。
それは王家にとっては痛手であり、そのこともまた、父が王位を投げ出す要因となっているのかもしれない。