フェリシアの嘘とマリアの成長
「おいシリル、勝手にしゃべるな」
すかさずレオナルド・シンクレアが注意する。
「いやぁ、でもこの状況で何も説明せずにお帰しするわけにも、ねぇ?」
「そうですね。僕もそう思います」
「僕もお話しするべきだと思います」
新規加入組のリチャードとジェラルドも同意した。
「分かったわ、話すわよ。ウォルトンさん、今後お話しすることは極秘事項ですから。絶対に誰にも話さないでくださいね!」
その後マリアが語った経緯とは、以下のとおりである。
フェリシアが生徒会室を訪れて、「私が連続盗難事件の犯人なんです」と名乗り出たのは昨日の放課後。当然のことながら、生徒会メンバーは色めき立った。
ところが改めて聴取したところ、どうにも話が要領を得ない。どこで何を盗まれたかをろくに把握していないし、盗難の何件かはフェリシアが授業を受けていた時間帯と被っていた。おまけに盗まれたものは何ひとつ所持しておらず、全て捨てたと言い張るありさま。
「それで盗んだ品がひとつも残っていないのはさすがにおかしいと言って追及したら、苦し紛れに取り出したのがこのハンカチだったというわけです。これが証拠だ、自分は上級生のクラスからこれを盗んだんだと」
「そうですか……。繰り返しますが、あのハンカチは彼女に差し上げたのです。盗まれたものではありません」
「ええ、分かりました。ちゃんと確認してよかったです。やっぱり冤罪は良くありませんからね!」
マリア・アドラーは胸を張って言い切った。
(人って成長するものなのね……!)
ビアトリスは若干失礼な感慨を抱きつつ、「それで、フェリシアさまはどうなるんでしょう」と問いかけた。
「生徒会の業務を妨害したと言えなくもありませんが、なにか事情があるようなので、この件は不問にするつもりです」
「そうですか、良かったです」
ビアトリスはほっと胸をなでおろした。その後ビアトリスは生徒会OBのウィリアムが贈ってくれたという東方産のお茶をご馳走になってから、生徒会室をあとにした。
ウォルトン邸に帰宅したあとも、ビアトリスの頭の中には疑問符が渦を巻いていた。
(フェリシア・エヴァンズは一体なにを考えているのかしら)
仮にマリアがフェリシアの言葉を鵜呑みにして連続窃盗事件の犯人と断じていたなら、学院から処分を受けるのはもちろんのこと、アーネストとの婚約も解消されることになっただろう。
あるいは、それが狙いだろうか。フェリシア・エヴァンズはそこまでしてアーネストとの婚約を解消したかったのか。それほどにアーネストとの婚約が苦痛なのか。
それならやはり、「フェリシアはアーネストに虐げられている」という噂は本当なのだろか。
しかしそれなら、なぜフェリシアは周囲にそう訴えないのだろう。
なにしろビアトリスの頃とは状況が違う。アーネストはもはや「お優しい王太子殿下」ではなく「長年婚約者を虐げて来た王太子殿下」なのである。当のフェリシアが「アーネスト殿下に虐げられていて辛い。婚約を解消したい」と訴えれば、耳を傾ける者は周囲にいくらでもいるだろう。それなのに、あえて自分の名誉を傷つけるような方法を選んだのは何故なのか。一体なにがそこまで彼女を駆り立てるのか。
「……なにかとんでもなく厄介な事情があるような気がするわ」
ビアトリスは侍女が淹れた紅茶を飲みながらひとりごちた。
むろん「とんでもなく厄介な事情」があったとしても、ビアトリスとは関係のないことである。ビアトリスが関与して事態が好転するとは限らないし、かえってややこしいことにもなりかねない。なりかねないが、しかし――
さんざん悩んだ末に、家を出て向かった先はメリウェザー邸である。
前婚約者アーネストに関わるいざこざを、現婚約者であるカインに相談するのは不適切かもしれないが、他にふさわしい相談相手を思いつかなかった。
カインは単にビアトリスの現婚約者と言うだけではない。ビアトリスがアーネストとの婚約解消した際の、たった一人の「共犯者」なのだ。アーネストの置かれた現状については、余人よりも深く把握している。それに加えて、彼はアーネストの実の兄でもある。
「丁度良かった。君と話したいと思ってたんだ」
突然訪れたビアトリスを、カインは笑顔で出迎えた。
「首飾りの件で進展があった。ジョシュア・ミルボーンは犯人ではなかったよ」
「まあ、どうして分かったのですか?」
「つてをたどって、以前ミルボーン家に雇われていた使用人を探し出すことができたんだ。今はメリウェザーの寄り子の伯爵家に忠誠を誓っているから、一応信用できると思う。その男はミルボーン家にグレアムという従僕がいたかどうかは覚えていないが、その人物が旦那さまと呼ばれていたのなら、ジョシュア・ミルボーンではありえないと明言したよ。二年前の時点でジョシュア・ミルボーンは使用人たちから旦那さまではなくジョシュアさまと呼ばれていたそうだ」
「ジョシュアさま……ですか」
ジョシュアに代替わりしたあとも、ミルボーン家を実質的に取り仕切っているのは先代当主であることは知っていたが、まさか使用人の呼び方までそのままだとは思わなかった。
それが実権を離したくない先代当主の意向か、それとも責任を負いたくない息子の意向かは分からないが、はっきりしていることがひとつある。
「つまりグレアムがジョシュア・ミルボーンのことを『つい昔の習慣で』旦那さまと呼んでしまうのはあり得ないということですわね」
「そういうことだ。これで残るは、パーマーかペンファーザーになったわけだな」
パーマー侯爵かペンファーザー公爵。
そのいずれもが、フェリシア・エヴァンズに関わっている。
これは何かの符牒だろうか。
「カインさま、実は首飾りとは別件で、私もカインさまにご相談したいことがあるんです。気分を害されるかもしれませんが、聞いていただけますか?」
そう前置きをしてから、ビアトリスはかいつまんでことの次第を説明した。カインは冷静に話を聞き終えると、ビアトリスを安心させるように微笑んだ。
「ビアトリス、話してくれてありがとう」
そして考え込むような調子で言葉を続けた。
「確かにそれは気になるな。ビアトリス、もしかしたらフェリシア嬢は――」
ところが皆まで言い終わる前に、ノックの音が室内に響いた。続いて「お客様がいらしています」という老執事の声がする。
「俺に客? 一体誰だ」
「アーネスト王太子殿下でいらっしゃいます」
ビアトリスとカインは思わず顔を見合わせた。
「……来客中であることは伝えたのか?」
「はい。お伝えしたのですが、大切な話があるので、どうしてもお会いしたいとおっしゃっています。それから、来客というのがビアトリス嬢のことならば、彼女にも同席して欲しいとのことでした」
「つまりビアトリスにも関係のある話と言うことか……。分かった。すぐに会おう」
カインは執事にそう告げたあと、ビアトリスの方を振り向いた。
「ビアトリス、君も同席してくれるか?」
「はい。もちろんです」
アーネストがわざわざカインに会いに来るような、大切な話とは何なのか。彼を取り巻く状況において「何か」があるとすれば、真っ先に思い当たるのはフェリシア・エヴァンズの一件だ。
しかしそれをカインやビアトリスに伝える意図は分からない。それともフェリシアの不可解な言動は、ビアトリスにも関係しているのだろうか。
応接室で待っていたアーネストは、心なしか憔悴しているように見えた。
ビアトリスがカインと並んで腰かけると、アーネストは一瞬切なげな表情を浮かべたものの、すぐに気を取り直したように、神妙な顔つきで口を開いた。
「兄上、急に押しかけて申し訳ありません。ビアトリス嬢も、二人の時間の邪魔をして申し訳なかった」
「いいえ、お気になさらないでください」
「お前がここに来るからには、よっぽどの事情があるんだろう。それで、大切な話とは一体何なんだ?」
「母の一件です」
「アメリア王妃の?」
「はい。実はパーマー宰相とミルボーン侯爵が、母を幽閉先から脱出させようと企んでいるようなのです」