魔法学校で、僕が夢を決めたあの日のこと
「ヴァント、これが最終確認になる。
本当に、この職につくか? この職の現役寿命は本当に短い。もちろん様々な手当がつくが、それでも自分自身の身を切り続けることに変わりはない。今ならまだやめられる」
恩師が真剣な面差しで僕を見据えた。
眼の前には最後の書類。僕の運命が決まる、たった一枚の紙ペラが広げられている。
目を閉じて小さく深呼吸する。
瞼の裏側に、あの日が消えずに残っていた。
第一学年の時、神童と呼ばれている子がいた。
学年の誰よりも魔力試金石を輝かせ、誰よりも魔法をよく知っていて、頭も良くて、家も大貴族で、でも偉ぶってなくて。運動はイマイチだったけど、それ以外は本当に完璧な子だった。
当たり前に、その子が学年で最初に魔法を使えるようになった。第一学年の後学期が始まってすぐくらいで、学校史から見ても上から数番目なんていう快挙だった。
色んな子が見せてほしいと言っては、その子はちょっと困った顔でシャボン玉を出してくれた。大きいのは危ないからと言って見せてくれなかったけれど、それでも手からふわふわと現れるシャボン玉。石鹸などではなく魔法によって生まれる水球に、僕たちは夢中になった。
翌年、その子はいなくなった。
実家に戻ったのだと通達があった。魔法が使えるようになったから学校にいる意味がなくなったんだろう。勉強も教わるよりみんなに教えている感じだったから、実家で家庭教師を雇うんだろう。みんなそんなふうに思っていた。
この時僕たちは、自分たちが何をしたのかわかっていなかった。
第二学年に上がって少ししてから、二番目に魔力が強かったヤツが魔法が使えるようになった。
二番目のヤツはやっぱり大貴族の息子で、でもいなくなった神童に比べてすごく嫌なヤツだった。いつも偉ぶっていて、勉強も運動もロクにできないくせに頑張ってる子に向かって「平民は大変だねぇ」なんて言うヤツだ。
魔法が使えるようになってから、気に入らない子に小さな火でいたずらするようになった。せがまれてもいないのに勝手に見せびらかしてきて、でもその炎がすごく大きくてきれいで、悔しかった。
後学期になって、そいつも来なくなった。
頭悪いやつが学校に来なくていいのかと不思議に思ったけれど、うっかり戻ってきても嫌だから皆何も言わなかった。
この時もまだ、僕たちはよくわかっていなかった。
第三学年になってみんなの背がぐっと伸びだした頃、ぽつぽつと魔法ができる子が出始めた。
魔法教練の授業では魔法が発現した上位貴族の生徒が色んな魔法を見せてくれるようになって、僕たちもあんなふうに使えるようになりたいって、さらに練習するようになった。
そして平民の中で最初に魔法を使える子が出た日、四限目が魔法学の授業に変更になった。
「とうとうこの学年も、平民から魔法使いが生まれた。まずはグリード、おめでとう」
先生はまったくおめでたくなさそうに言った。グリードが一番困った顔をしていた。
「貴族の子たちは既に親から聞いている人もいるだろうが、今日大事な話をする」
いつも陽気な面白い授業をする先生なのに、ピリピリとした空気を纏って話すから、なんだか教室中がしんとして重苦しかった。
「魔力というのは」
――魔力というのは、生涯増えない。使えば使ったきり。魔力を使い切ったら、魔法は一生使えない。
「火事場の馬鹿力と呼ばれる現象がある。ピンチの時に一度だけ、なぜか魔法が発現する現象のことだ。みんなもよく娯楽小説とかで読むだろう。その現象は実際に、それなりの頻度で発生する。
しかし大抵の場合、その後また魔法が使えなくなる。きちんと学んでいないから上手く使えないと言われることが多いが、実際にはそうではない。選別審査で足切りされている平民は保有魔力量が低いから、たった一度の魔法で魔力を使い切ってしまっているんだ。
君たちは選別審査を通った、2回以上魔法が使えると認められた子供だ。しかし、実際に何回使えるかは、はっきりとは分からない。だから」
「だから、必要な時以外に魔法を使ってはならない」
しんと静まり返った教室に、先生の声だけが嫌に響いた。
「魔法の発現には、走性がある。
皆が魔法を使っている、使おうとしていると発現しやすく、全く使わない集団の中では発現しにくいんだ。だから魔法使いを増やすためには、皆で魔法を使おうという空気が必要になる。
既にこのクラスでは貴族の9割、平民からも魔法発現者が出た。今までの傾向からして、これから平民でも魔法がどんどん発現するようになる。
しかし魔法を使い続けると魔力が枯渇してしまう。よって、今後は平民と子爵以下の下級貴族は、魔法発現後は魔法教練には参加させない。上級貴族に比べどうしても魔力量が少ないので、教練で魔力を使い切ってしまう恐れがあるからだ。
その一方で、まだ発現していない生徒の教練を止める訳にはいかない。入学時に説明があったと思うが、魔法が発現しなかった者は魔法使いとしての卒業ではなくなる。そのことを強く理解して、これからも教練に励んで欲しい。
今後みんなには2つの制限が課される。ひとつ、平民や下級貴族の魔法使いに魔法を見せるようせがむ行為は厳に慎むこと。これは今後発覚した場合最悪退学になる。
ふたつ、未だこの話をしていない下級生に、この事を教えることを固く禁じる。これは魔法発現を遅らせ、特に平民生徒の魔法使い認定を妨害する行為だからだ。最低でも退学、最悪の場合反逆罪が適用される。
……以上だ。なにか質問はあるか?」
「先生、アルフレッド様は、第1学年で最初に魔法を使ったアルフレッド様はどうなったんですか……?」
テレジアが白い肌を一層青白くしながら聞いた。
「アルフレッドとサーシェスは共に公爵家の人間だ。魔力量も非常に多く、家での教育だけで不足はない。こういった学年最上位貴族の生徒は、ある役割のためにわざわざ魔法学校に通ってもらっている。……魔法を見せ、魔法を使いたいという空気を作る、という役目だ。
彼らは半年づつ過不足なく役目を遂行し、特別な卒業認定を受け、現在は自宅で家庭教師による教育を受けている。
周囲が魔法を見せて欲しいと言い出すことまで、彼らは入学前から分かっていたよ。分っていて、最上位貴族の義務としてやっていたんだ。だから安心していい」
張り詰めていた空気がほっと少しだけ抜けた。
僕らのせいでアルフレッド様が魔法を使えなくなっていたら、最低でも平民生徒は全員首を吊らなければならないところだった。
「僕らは魔法教練の授業がなくなるってことですが、これからその時間はどうなるんですか?」
「表向きは魔法教練の授業のままだが、室内での修練、通称魔力修練と呼ばれる内容になる。詳細は次回の魔力教練中に話すが、ざっくり言うと体の中にどれくらい魔力が残っているのかを感じ取れるようにする練習だ。これによって自分の残りの魔力量、つまりあと何回魔法が使えるのか、というのを把握する。
その後は魔法の効率的な使い方を考える講義になる予定だ」
「上位貴族が魔法教練から外れない理由を教えてください」
「魔法を小さく使う、という練習がどうしても必要だからだ。魔力量が多いとどうしても力任せになってしまい、ロスが大きくなる。小さく効率的に使うのは、練習しなければどうしようもない。
十分に制御できたもの、逆に何をどうやっても小さくならない者は随時教練から外していくぞ」
他にもいくつか質問が飛び出し、先生が答えていく。
魔力を使い切ると、魔法は使えない。
二度と使えなくなる。
生涯使えない。
ちりちりと頭を灼くようにその言葉が耳元で鳴り続ける。
先生は魔法教練の最初の方ではよく魔法を使っていた。
でも最近は、上位貴族の子が実演している。
きっとこれは聞いてはいけないんだ。聞いてはいけないんだろうけれど。
だけど。
でも。
「先生」
「何だ、ヴァント?」
「せんせい……は、来年、どうなるんですか」
僕の言葉に、教室が水を打ったように静かになった。
「…………ヴァントは聡いな」
先生が困ったように微笑った。
「まず最初に、魔力を使い切ったから、魔法が使えなくなったからといって追い出されることはない。
全員入学時に誓約書を書いている。覚えていないやつもいるかもしれないが、卒業時にもう一度同じ誓約書にサインすることになる。
ざっくり言うと、外国に務めることはありません、という誓約書だ。同時に王国側は最低でも生涯本人が困らない程度の年給を支払う契約を結ぶ。これは引退しても有効の契約だ。
役職にもよるが、最低年給は小金貨30枚だったかな。まあ一般的な市民の年収くらいだ。この他に文官などへの就業斡旋もある。みんなはこの学校しか知らないからあまりピンと来ないかもしれないが、うちの学校は貴族の約半分が通う超上級学校だ。ここの教育を受けた卒業生となれば、内政官として非常に優秀で使いでが良い。
他にも様々な優遇措置がある。まあこのへんは詳しくは最高学年になったらやる。先生も全部は覚えてないくらいあるぞ。
これだけたくさんの優遇措置を、魔法が使えなくなった魔法使いにもやる。それだけの理由がある。何か分かるか?」
「――魔法の教育制度を、他国に奪われないためだ」
「我が国は周辺他国と、若干優位な友好関係にある。これは他国よりも魔法使いの数と質が勝っているからだ。正直、それ以外の戦力については隣国と同じくらいだな。あ、軍関係者には言うなよ?」
くすりと笑いが起こって、みんながファルシアをちらちらと見る。彼女のお父さんは軍の高官だったはずだ。
「戦争時に相手よりも一発多くの魔法を打ち込める。その自負と実績がこの国を若干優位に押し上げている。
その魔法使いの卵を見つける。魔法使いの卵を孵化させる。その教育方法こそが、この国を支えている。
その教育のすべてを受けた君たちを国外へ逃すわけにはいかない。
だから、優遇する。冷遇されてたらどんなに行くなと言われても行っちまうからな。そのあたりウチの王様は非常に理解がある」
「で、先生が来年どうするかだったな。俺は通常体育の教師に転向だ。来年も、多分再来年もお前らの授業を受け持つ。……魔法教練の授業では合わなくなるがな。
だから、」
だから、大丈夫だ。そう心配するな。
そう言って先生はいつもの笑顔で、僕を真っ直ぐに見据えた。
あの日、この時。
「ありがとうございます、先生。大丈夫です」
この時に僕は、教師になりたいと、そう思ったんだ。
僕は羽ペンを走らせて、魔法学及び魔法教練指導員の契約書に、名前を書き入れた。