月と天窓
「おや、ぼくに気がついたんですね。いやはや、長かった。このぼくのひげくらい」
猫頭の紳士が、水平のおひげを傾けて笑いました。猫の紳士は、長い紺色の毛を髪の毛みたいに3つにまとめていて、留め具は丸い玉で、毛は水中にあるように漂っていました。美しく揃った5本の指は白手袋につつまれ、ぴしと着込んだスーツは華奢で背の高い男性の体つきでした。
見慣れないランタンが、机や壁にまで彫り込まれた細かい細工の影を強調し、こんなにうす暗くても、凝った彫り物が施された本棚に乱雑に本が詰め込まれているのがわかりました。紳士はその1冊を手に取ると、中を読む様子もなくめくり始めます。まるで手に取る本はどうでもよかったかのようでした。
「この物語にぼくは関係がありません。ぼくが出てくるわけでも、ぼくが書いたわけでもない。だけれども、自分が関係ない世界ほど気になるし、首をつっこみやすい。あなたがたはそれを好奇心とも呼びますね」
猫の瞳がシャボン玉のように、くるくると色が変わります。
「ぼくは好奇心は旺盛ではありません。本を読むのは好きですがね。きっとあなたがたは好奇心がおありなのでしょう。そうでなければぼくに気が付かない。あなたがたはぼくにないものを持っていらっしゃる」
ちょっとだけ表情をゆるめた猫の口には、貝がらの飾りみたいな歯がならんでいました。すると紳士は、本棚の群に同化してしまった戸棚に手を伸し、白いカップとソーサーと濃い茶色の粉が入った瓶を取り出そうとして、おやと声をあげました。
「折角おいしいカヒをご馳走しようと思ったのに、粉乳がありません。これは残念。あなたがたも知っているでしょう、コーフィーと言うんでしたか。ぼくのところのカヒは、粉乳をいれないととても飲めませんが、これがまた驚くほどにおいしいんです。あなたがそれを知らないままなのは、とても足りないですね。しかたない」
紳士はそう言うと、カップとソーサーと瓶をもとの戸棚にしまいました。ガラス戸をぱちんと閉じると、すこし自分の尻尾を気にしてから、シャボンの瞳をまばたきました。
「さて、そろそろ行くべきです。ぼくは関係ないから、ぼくと話をしすぎるのも問題だ。悪いけれどもぼくはおしゃべりが好きなようなんです。引き止めるつもりはなかったのですが、謝ることにしましょう」
紳士はすこしだけ、ぺこりと頭をさげました。そのうしろで、ぴんと立った柔らかそうな尻尾が揺れていました。