005.少年よ我に帰れ
ふたたび、退職しました。
『いや、お兄ちゃんさすがに早すぎない? で何が原因だったのよ』
「人間関係……」
俺の一言に、大学から帰ってる途中らしい妹は珍しく笑わなかった。
電話口に「まあ何があったか、話してみんしゃい?」と軽く応答してくれるのが、有難いといえば有難い。
こっちもあまり深刻な風に応対しなくて済むからね。
まあそのアレだ、今回も研修期間での解雇通知という扱いになった当日、そのまま、やはり家に向けての帰路だった。
色々と鬱積してきていたものが一気に爆発してしまった、というのも原因だけど、それでもまだ物足りないのか、鞘花に色々ぐちぐちと、でもまあ笑い話になる程度に語調とかを調整する。
「あー、んー、…………。もともとさ、お店の感じが前のところと結構違うって話はしてたじゃんか」
『してたねー』
「前のところに比べて、店長がカリカリしてたりとか、先輩たちもあんまり優しい感じの人じゃないというかさ。パートのおばちゃん先輩は、まあ、あの人は別枠で菩薩だとして……。まあほら、でもさ、そういう職場の空気の違いってさ。こう、よくある感じのことだろうしさ。韓ドラとかの新人イビリとかほどじゃいし、まあやってられるかなと思ったんだけど」
『なんでそっちに例えたの……?』
「で、さ。ほら、店長さんとあんまりほら、ソリが合ってないというか、そこまで親しくないわけじゃないか。俺からすればほら、先輩たちから煽られたり馬鹿にされたりする方が、店長と話す回数より圧倒的に多いというか」
『お兄ちゃん、それが常態化してる職場って、それもうダメダメだと思うんだけど……』
前の職場みたいに、じゃれ合い程度だったらというわけじゃないけど、まあやり玉に挙げられたりして馬鹿にされるのも、慣れていると言えば慣れている。
主に小学生時代に。
かろうじてあの頃は、俺のキャラクターを受け入れてくれる友達とかもいたから良かったのだけど、あいにくと今回は勝手が違う。
首のマフラーとか、包帯にツッコミが入るのは解る。
ただ、それを解いた時点で出た痣に対して、馬鹿にしてくるのはちょっと違うと思う。
おまけにまぁ、店が違って勝手が違う部分もあるだろうに、そこの能力が足りないことを名指しして槍玉にあげてつるし上げるのは、もはやパワハラとかじゃなかろうか。
まあバイトしてる理由が、お金をどうしても稼がなければならないというような類の理由じゃないので、やめようと思えばやめられなくもない。
なので別に、録音して裁判とか起こしてどうのこうのとか、職場の環境を改善してどうのこうのとか、そこまでのことを考えたりはしてなかった。
正直に言って、そこまで、そういう働き方改革だとか、そういうのには興味がない。
『それで、どうしたの?』
「まあそのくらいならね、正式採用になった後に店長に言おうとか、いろいろ思ったりはしたんだけどさ。でもね、ほら、マネージャーさんが来てさ」
『地域の統括してる人だっけ? 社員さんの』
「そそ。で、どうも店長、何かトラブル起こしたみたいでさ。でたまたま、こうね、先輩から裏のディスク整理を命じられてた俺が目に留まってさ。後はほら、あれあれ、サンドバック状態」
『ど、ドンマイ……』
今回のトラブルも全部、お前を採用したせいだとか、お前の教育に時間をつぎ込んでそっちに注力することが出来なかったからだとか。
いやいやそのりくつは可笑しいだろっていう話で。
それは、確かに何パーセントかはそういうのもあるかもしれないけど、俺に全部の責任を押し付けるのってそもそも次元が違うだろっていうお話で。
そうか、斎藤店長と白倉町店長でここまで違うか……、疲れてるのかな? 寝れてないとか、どちらにせよ大丈夫かなこの人。
あと謂れのないことを言われれば、こっちだって嫌な思いの一つもするわけで。
で、たぶんその時の心境が顔に出たんだろう、店長は、それはもう漫画みたいに顔を紅潮させながら、その場で解雇通知を言い渡してきた。
『いやいや、そげなこと、不当解雇じゃなかとですか……?』
「不当解雇だけど、正直、それを盾に争うだけのメリットがないというか。まあ、辞められるなら御の字みたいな感じだし」
なぜか鹿児島系の訛りを発動する妹に、思わず苦笑い。
いや、実際働き始めてから二週間以内だし、実質個人面談と言い張れなくもない状態だったから、そのあたりの法的な問題は、はクリアしてそうではあるけど。
いや、でもアレだな、面接のときは結構良い人っぽく見えたんだけどなぁ……。
リップサービスというか、猫をかぶっていたというか、営業モードとかいうアレなんだろう。
色々苦労してるんだな、あの店長さんも。
ちなみに前の店舗については、斎藤店長がちゃんと即日解雇手当をくれたりしてるので、その辺りは問題なしだったとは言っておく。
「まあ、あっちのときとは状況も違うし、別に大した話じゃないんだけどさ。一つだけ気がかりと言うか、アレなことがあって」
『何? アレって』
「そのさ……。結局、俺、研修期間終わってないんだよね、どっちも」
『あっ…………』
そう、バイトを始めると研修期間終了前に解雇されるというような、妙なジンクスというか、そういうのが出来上がりつつあるのだ。
二度あることは三度あるというし、今度はさすがに業種を変えてみるかな…………。
『うぅん……、おいそれとは、元気出そうよとは言えないし、アレだー。私の女の子友達、紹介でもする?』
「なんでさ」
『いや、ほら、アレあれ、こーゆー場合は女の子に慰めてもらうといいらしいのだ。うん。昔、テレビか何かでやってたと思う』
「知識うろ覚えじゃないか、妹ちゃんや……」
なお、言われてみれば俺はその番組のことを覚えていたりもする。
確か職場に異性、特に若い女性がいないと、男性社員の発揮できるスキルが落ちる、とかいうレポートのまとめ結果だったはずだ。
正直、かなりアレな内容の放送だったとは思うのだけど、レポートのまとまった結果にはなるほどと思うところもある。
つまるところ、人間の三大欲求は、食う、寝る、ヤる、の三つ。
そのうち、魅力的な異性が近くにいると、その相手のために本能的にエエカッコシイになるとか、そんな話だったはずだ。
あるいはそうならずとも、三つ目の本能が刺激されて、普段よりもエネルギーとか、バイタリティがすごく良くなって、仕事の効率が上がるとか、そんなのだった気がする。
だからまぁ、落ち込んでるときに女の子に慰めてもらうと元気になるっていうのは、確かにあるのだろう。
別に、エロい意味じゃなくっても。
ただそうは言っても、現実問題、そう軟派な性格ではないのだ。
拒否ではないけど、困惑の感情が勝る。
通話を終えて、再び端末の画面を見る。
高校の友人に連絡とってみようかと思いはするけど、躊躇。
今の自分の状態が、胸を張れる状況じゃないというのも手伝って、ためらわれた。
「とはいったって、受け入れないといけないんだけどなぁ……。ちょっと、おやつでも食べて帰るか」
おやつにしては一時間くらい遅れてはいるけど、まあ許容範囲ということで一つ。
自分にご褒美ではないけど、落ち込み気味なことは事実なので、奮起する意味も込めて、ちょっとだけぱーっとやろう、ぱーっと。
まあ駅前でぱーっとやろうとしても、学生に毛が生えたくらいの経済力な俺には限界があるのだけれども……。
「――――っと、おわ、っ、すみませんっ」
「――――ン? ああ、悪い。大丈夫か?」
ぼうっとしながら歩いていたら、人に正面から激突して転んだ。
駅近くの高架下、この時間にしては人気が少ないけど、まあそんな場で尻もちをついている自分はちょっと間抜けに見える。
それはおいといて、こちらに左手を差し出す男の人は、なんというか、こう、一言で言えば、貧乏なホストって感じの人だった。
黒髪にくたびれた―スーツ姿。
右手に白杖だったか、視覚障碍者の人が持ってる棒を持っていて、顔には銀色のサングラス。
うっすら見える目は半眼だけど、でも俺とか家族とかみたいな鋭さはない。
色々整えれば恰好良いい感じの人物に見えるけど、なんとなく俺はデアデビルを想起した。
一瞬、その風体を前に、なんとなく手を出すのをためらったものの、男性は特に気にせず俺の手をもって引き上げた。
「ちゃんと前は見て歩けよ。俺みたいに、ロクに前が見えないのもいるからなぁ」
「あー、はい、了解です。ありがとうございました――――ぐえっ」
しゃべり方がなんとなく母親を想起させる高圧さというか。
とにかく、なんだか落ち着かず、そそくさと足早に俺は立ち去ろうとする。
だが、男性は俺のマフラーを右手でつかんで引っ張って足止め。
こんなの、先々週にもあったなぁ……。
そのまま彼は、俺の額に右手の指を突きつけ、サングラスをずらして覗き込む。
「あの…………、なんです?」
男性の目は、こう、なんといったらいいか、うっすら濁っているような色をしていた。
網膜の茶色がわずかに赤っぽいというか、でも全体的に何か膜みたいなのが覆っているような色というか。
そして、突然そんなことをされて、ビビリながら身動きのとれない俺だった。
しばらくそうしていると、彼は「ふぅン」と、勝手に何かを納得したようだった。
「サタデー・ナイト・フィーバーって知ってるか?」
「え? あ、はい。知ってますけど…………」
「お前、あれの主人公と同じ相が出てるぞ」
「はい?」
相って何ですか。
というかそれ以前に、知ってはいるけど映画そのものは見たことはないのだ。
基本、俺の大好きな映画にオマージュというか、明らかにパロディなシーンが出てきて、なおかつ劇中の曲とかも流れたりするっていうのがあるので、名前だけはというくらいだ。
なのでそう言われても、よくわからないというか……。
俺の反応を見て察したのか、彼は「はンっ」と鼻で笑った。
「意外と奥が深いぞ、アレ。いや闇が深いともいえるが」
「は、はぁ……」
「まあ俺が今、『視た』ことによって少しは変わったみたいだが、ちょっと足りないなぁ。親のカルマは子にも流れるか。こっちもこっちで根が深い…………」
「すみません、ちょっと、本気で何言ってるかわかんないです」
正直な俺の感想である。
いや、万人が同じ状況に置かれれば、大概似たようなリアクションをとりそうなものだけど。
彼は右手で眉間のあたりをつまみ、しばらく唸ると。
「まあ、アドバイスだ。金はとらないからしっかり聞いておけ」
「あー、ん? はぁ……」
やっぱり意味がわからなかった。
あのマキナって子はかなり珍しいタイプの痛い人種かつ、本物の神様の可能性もなきにしもあらずかなとか思ったりはしていたけど。
どうも大概この人含めて、月城市は変な人が溢れかえってるらしい。
サングラスを戻すと、男性は構わず続けた。
「今日これから、お前は人生の岐路に遭遇する。物理的にもな。そこでお前は大概ヘタれるだろう。そうするのがお前にとって一番安全だし、冒険もなく、家族や友人に囲まれた今までの生活への道でもある。それが結果として、大きな犠牲を払っての社会への復帰だとしてもなぁ」
「えっと…………」
「だが、もし少しでもその状態に納得がいかないなら。少しでも自分の、己が欲するところに足を踏み出すつもりがあるなら、足を繰り出せ。ためらってる場合じゃない、理屈じゃない。いうなればそれは、試練だ」
「すみません、短くまとめてもらって宜しいでしょうかねぇ」
ため息をついて背を向けて、高架下から外に出る俺。
その背に、男性の声がかけられる。
「お前の好きな映画風に言うなら、『ジャンプしろ』ってヤツだ。踏み出すことをためらわなければ、お前はそこから脱出できる」
「――――――えっ」
言葉に動揺し、振り返る。
そこには誰もいなくって、ただ、男性がつい直前までいだろうところだけが、ほんのり水に濡れていた。