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中編-②

「熱も下がっておられますし、ここ数日は安定しておられましたから、大丈夫でしょう。ですが、念のために二、三日は安静にしておいてくださいね」

 真っ白で立派な髭を蓄えたお抱えの宮廷医が、脈を計り終えたのか手を離しながら頷いた。それにアルマは安堵したように息を吐き出し、傍にいた若い侍女に指示を飛ばしている。

 結局高熱の原因は分からなかったけれど、過労だろう、ということで決着がついたようだった。別にわたしは原因は何でも良かった。それよりも、熱で倒れている間のことの方が気になって仕方がなかったから。


 夢は夢として。どうして今更なのだろう。もうずっと忘れようとしていたのに、まるで忘れるなと警告されているような気がして、少し嫌な予感がしてしまう。

 たとえば、ローレンツ様に何かあったのか、とか。

 わたしが心配したところで、意味があるわけではないし、褒められたことでもないだろう。もうローレンツ様との縁は切れてしまったのだし、人妻でありながら夫以外の心配をするなんて、不義理もいいところだ。それも、過去の婚約者を、となれば不義理にも更に拍車がかかるというもの。


 それでも気になるものは気になってしまう。好きだという個人的な感情はさておいても、やっぱり人生のほどんとを一緒に過ごした人だ。なによりローレンツ様に何かあったとなれば、それはつまり、祖国にも何かあったということ。

 じんわりと、身体が嫌な予感で蝕まれていくような錯覚に陥る。

 聞けば、あの方は教えてくれるだろうか。どうだろう。多分駄目だ。倒れたばかりだし、絶対に教えてくれない。

 異常なまでに自分に優しい夫の対応は、すぐに検討がついた。けれどその優しさは、甘さとは違う。大切にされているのだと思うけれど、なんというのだろう。腫れ物に触れるかのような、という感じの優しさだ。


 まあ、でも祖国でのことを思えば当然だろう。むしろ婚約破棄された傷物を拾ってくれたことには、とても感謝している。だからこそ、出来うる限りのことをしてお返ししたいと思っているのだけれども。迷惑をかけてばかりなような気がしてしまう。特に、今回こんなことがあったばかりだから。

 ふう、と息を吐きだすと同時に、扉が開く。視線の先のアルマたちが頭を下げていた。わたしも視線を扉へと向けて、そこにいる人の姿を確認すれば頭を下げる。


「ベッドの上からで申し訳ありません、陛下」

「病人なのだから気にするな。むしろ起き上がっていて大丈夫なのか」

「はい。二、三日は安静にとのことでしたが」

「そうか」

 短い返事ではあったけれど、その声の中には安堵が混じっている。ちょっとぶっきらぼうで、声が低いせいか誤解されやすいようだけれど、陛下はとても優しい人だ。その一端が垣間見えた気がして、わたしの口元は綻ぶ。


 けれどすぐに口元を引き締めた。わたしが倒れて何日も寝込んでいた間、最も迷惑を掛けたのは、たぶん、他ならぬ陛下だから。

 ご自身のお仕事だけでも大変だろうに、その行程に後れを生じさせてしまったのだ。わたしは上げたばかりの頭をもう一度下げた。


「ご迷惑を――」

「迷惑を掛けられた覚えはない。よってその謝罪は無用だ。頭を上げろ」

 最後まで謝ることを、わたしは許されなかった。一段と低くなった声は、よほどお怒りなのだろうかと思わせられるほどの威力がある。淡々とした感情の乗らない言い方なのも、それに拍車をかけている。

 そうじゃないと分かっている。ただ本当に、言葉にされた通り迷惑を掛けられたなんて思っていない。分かっているわたしでも、一瞬肩を震わせてしまった。

 多分わたしの場合は、謝る必要もないほどに、期待されていないのだと現実を突きつけられたことも相まって。


 そんなわたしを見てか、呆れたような声が部屋に響く。

「イェレミアス、王妃様が可哀そうだろ。もうちょっと、言い方を考えろと何度言えば分かるんだ」

 陛下とは正反対に、随分と明るい声色。そうか、エアフルト様も来られていたのか。陛下にばかり気を取られていて気が付かなかった。エアフルト様にも随分と迷惑をかけてしまったことだろう。わたしは頭をあげる。


「……何も間違ったことは、言ってない」

「素直に心配していた、無事で良かった、でいいんだよ。ただでさえ声が低いから、相手に威圧感を与えるというのに」

 エアフルト様は肩を竦めていた。それを見た陛下は、眉間に皺を寄せる。そうすると、それだけで人一人くらいは殺せそうだ、とわたしなんかはいつも思ってしまう。元々陛下は渋いお顔をされているから。


 だからいつもエアフルト様は苦労されているのだと思う。わたしが嫁いできた当初も、必死に、本当に必死に陛下の良さとか優しさを伝えようとされていた。その時のことを思い出して、思わずふふ、と笑ってしまった。

「……マリウス。そういうことは言わなくていい」

 どうやらわたしが笑ったのを、エアフルト様の言葉を受けてだと勘違いしたらしい。陛下は更に眉間に皺を寄せて、表情を厳しくされた。当のエアフルト様はといえば、どこ吹く風といったご様子。


 普通なら、不敬だと言われるところだろう。けれど陛下とマリウス様は幼馴染らしく、同時に乳兄弟であらせられるらしいので、誰も何も言わないどころか、これが当たり前の日常であった。むしろ場合によっては、またやってるよ、なんて対応をされていることもある。

 この国は、祖国と違って王と家臣の距離も、民との距離も近い。その分陛下も苦労されているようだけれど、とてもいいことだと思う。


 わたしは僅かに口元を緩めて、陛下にそれは誤解だということを伝える。すると陛下は一瞬なんとも言えない顔をされたけれど、そうか、と小さく呟かれた。多分納得された、ということなのだろう。

 安堵したように胸をなでおろして、お二人に椅子をすすめた。むしろすっかり今の今まで忘れていたわたしは、怒られてもしかるべきだと思う。

 だが、そんなわたしの言葉に陛下は首を振った。


「政務の途中で抜け出してきた。だから、大丈夫だ」

「つまり、ユーディット様のお元気な姿を見て安心したから、さっさと仕事を片づけて戻ってくるねってことなんだけど」

 へらっと笑いながらエアフルト様が解説してくださる。陛下は無機質な声で「マリウス」とエアフルト様を呼んでいたけれど、それはつまりエアフルト様の言うとおりだ、と言うことだった。


 違うときは違う、と陛下ははっきりとおっしゃられる。声のトーンが無機質な感じだと、それは照れているとき。

 誰かに教えてもらえなくてもその違いを聞き分け、判別できる程度には陛下との時間を過ごしている証拠だった。


 *


 またあとでね、と手を振るエアフルト様と、無言のまま退室された陛下をベッドの上から見送って、息を吐く。

「陛下は本当に、王妃様のことを溺愛されておいでですね」

 嬉しそうなアルマの声に、わたしは曖昧に笑うことしかできなかった。


 確かに、傍目には溺愛しているように見えるかもしれない。忙しい政務の合間に、顔を見に来る。これは今日に限ったことではなく、普段何の変哲もない日でも変わらない。

 ふらっと表れて、わたしと少し話してふらっと政務に戻られる。特に意味のある行為じゃないだけに、仕事人間だった陛下が、と家臣たちは皆沸き立っていた。


 けれど、これはわたしだけが知っていること。

 わたしの元に訪れる陛下の瞳に、劣情とか、恋情は一切ない。そこにあるのは責任感のようなもの、とわたしは思っている。


 その証拠に、この結婚は白い結婚だ。

 つまり、結婚してから何年か経っているけれどわたしは乙女のままだということで。とはいえ、寝室は一緒だし、夜寝るときは同じベッドの上だから、誰もがこれが白い結婚だとは知らないだろう。エアフルト様辺りは、ご存知かもしれないけれど。


 なんてぼんやりと考えていれば、どうやらアルマに心配を掛けたらしい。不安げに覗き込んでくるアルマを安心させるように、わたしは微笑む。

「大丈夫よ。なんともないわ。でも、念のため夕食までは横になっていようかしら」

「それがようございます。……ああですけれど、その前に水分を取られた方が宜しいでしょう。お飲みになれますか?」

「ええ、お願いするわ」


 頷くと、アルマは水差しを持ってくると言って部屋を下がっていった。しん、と部屋の中が静まり返る。騒がしかったわけではないけれど、起きてから医者に見せられて、陛下の来訪があってと少しせわしなかったし、なんとうか、物寂しい。

 多分、あんな夢を見たせいもあるだろう。厄介だな、と息を吐く。


 それにしても、暇だった。横になるとは言ったって、寝れる気配は一切ない。とはいえ、歩き回ることは許されない。黙って抜け出したら、アルマだけではなく陛下からも無言のお叱りを受けることになる。存外、あれは怖いのだ。思い出してしまって、ふるりと身を震わせる。


 ちょうどその時。扉を叩く音が聞こえた。わたしはパッと顔をあげて、扉へと視線を向ける。

「ユーディット様、まだ起きてる?」

 エアフルト様だ。どうしたというのだろう。首を傾げつつも、起きていることを知らせるためにわたしは返事をする。けれど今、この部屋にアルマがいないことを告げればエアフルト様は少し困ったように声を上げた。


「うーん、どうしよっかな」

「あの、お急ぎでしたら扉を開けて……」

「それはそれで、ちょっと避けたいんだよね。俺の事情なんだけど……」

 扉の前でうんうん唸っているエアフルト様。多分、廊下に誰かが通りかかったら、間違いなく変人認定されるだろう。それはもう、今更なような気もするけれど。


「仕方ない。また出直すとするよ」

 暫くして。多分、アルマがまだ戻ってきそうにないと判断したのだろう。エアフルト様は決断を下されたようだった。

どうしてわざわざ、先ほど政務に戻られたばかりのエアフルト様が、それも一人で来られたのかは、気になる。けれどここで引き留めるわけにもいかない。アルマが戻ってこない以上部屋の中には入れない上に、エアフルト様にも政務があるのだから。

 わたしは分かりました、と告げて扉越しにエアフルト様を見送る。

 また部屋の中は静まり返った。わたし以外誰もいない静寂が満ちた部屋で、アルマの帰りを待った。


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