翼を握る手(2)
市民ホールの入り口にその男は座り込んでいた。胸元に「星見」と縫いつけられている。見たところ三十代前半くらいだろうか。
「ホシミさん」
柴田が声をかけた。
星見はとろんとした顔を上げた。眠たそうだ。
自衛官としてはかなり痩せている方だった。もっとも服の下にある体は筋肉でガチガチなのかもしれないが。
「ああ、お疲れさまぁ。……ん、何時だ?」
星見は腕時計を見た。灯希にも針が見えた。午後、二時十五分。
「やや、もうこんな時間か。ふあぁ、仮眠が熟睡になってしまった……」
「星見さん、状況を考えてください。のんき過ぎやしませんか」
柴田がきつく言うが、星見は半分開いた目でぼんやり彼を見返している。
「だってねぇ……やる気もなくなるでしょ。こんなにボコボコにやられたのに規律とか秩序とかさぁ……」
とても自衛官の発言とは思えない。
彼の姿は、敵の猛攻によって心を折られた、としか表現しようがなかった。
「それでも人民の秩序を守るのが、今の我々の役目です」
「そうかい。まあ警戒はやるからさ、市民の相手は任せるよ。おれはどうもねぇ……」
「そのことなんですが、星見さんに頼みたい仕事が一つできました」
「ほえ?」
灯希は星見に近づく。
「ガイナーの颪島灯希と言います。星見さんにお願いがあって来ました」
「ほう……ガイナーね」
「俺たちはさっき、新入間基地の虚人を一掃してきました。今あの基地にガイアの使いはいません。なのでヘリを動かしたいんです」
「あぁ、んでおれに来てくれってか」
「そうです。動かせる人がいないとどうしようもない」
「ふーん……まあ、そういうことならねぇ」
よっこいしょ、と星見が立ち上がった。
「だが、おれ一人じゃどうしようもねぇぜ。格納庫から飛んで出れるわけじゃあねぇからな」
ひどくだるそうなしゃべり方だった。本当にやる気をなくしているらしい。
もしかしたら、とんでもない地獄を見てきたのかもしれない。ショックが人間の性格を一変させてしまうパターンを、灯希は四年前に何度も見てきた。
「整備士が生き残っていましたね。可能な限り人数を集めましょう」
柴田が言うと、星見は「うん頼む」と軽く返した。
「では声をかけてきます」
それだけ言って、柴田が走り去っていった。
「しっかしなぁ、どいつが残ってんだ? ぶっちゃけ、このあとなんに使うかを決めてから動いた方がいいと思うぜぇ」
「と言うと?」
「攻撃ヘリなら二人乗りだ。大勢は運べねぇ」
「ああ、そういうことか……」
灯希は仲間に向き直った。
「俺たちに必要なのはなんだ?」
「そりゃ、ある程度の人数が乗れるヘリだろーよ」
紅蓮が断言する。
「でも、大きすぎると狙われやすくなりますよね」
これは時雨の意見だ。
「攻撃力は低くてもいい。ガイナーが数人乗れればカバーできる」
花山も言う。
灯希は再び星見を窺った。
「……そういう感じなんですけど」
「UH-1だな……。ちょうどおれに動かせるやつだ。しかし、残ってんのかねぇ?」
「どういうものなんですか?」
「今崎UH-1アウルアイってやつだぁな。十人は余裕で乗れる。今年の春に配備されたばっかのだがね、見せ場もなく潰されちまった……」
「無事な機体があるかもしれません。見せ場はこれから作ればいいんですよ」
「……ほう、言うねぇ」
星見の目がだんだん生気を取り戻してきた。
「星見さん! 二手に分かれて向かいましょう! 子供たちは私が送っていきます!」
整備士たちを連れてきた柴田が叫んだ。
「おうよ!――じゃあまぁ、行ってみるかねぇ」
「お願いします」
灯希たちは頭を下げた。
おうおう、と軽く手を振って、星見は整備士たちの方へ歩いていった。
「少しはやる気出してくれたんかな」
「出してもらわないと困るけどね」
花山はあきれ顔だ。
「まあ、やってもらうしかないんだ。信じよう」
「これで無事な機体が残ってなかったら笑えるね」
「笑えねえよ」
そうなったら最悪の事態だ。星見の心は完全に折れるに違いない。灯希たちガイナーの士気も激減するし、池原の死も無駄になる。
「ま、平気じゃねーの? 綺麗な格納庫残ってただろ?」
「そ、そうですよ! 悲観的になっちゃだめです!」
紅蓮と時雨が前向きな言葉をくれた。
「うん、その通りだ。よし、それじゃあ出発しよう」
†
灯希たちガイナーは柴田の運転する車に乗った。
市民から借りた普通車だ。
灯希が助手席に乗り、三人が後部座席に乗った。紅蓮が真ん中に乗りたいとわがままを言ったが、時雨と花山に反対されてあえなく左端に追いやられた。
後ろから星見と整備士たちの乗った車がついてくる。
全部で十人となった一行は、新入間基地を目指した。
来た道を引き返して車は進んでいく。これといった障害はなく、比較的すいすいと走ることができた。
新入間基地が陥落した後、脱出した自衛隊員たちは市街地に散ってゲリラ戦を展開した。完全に破壊されてしまった大宮から流れてきた者もいた。
連絡も統制もとれない状態では、所属に関係なく特別班を組織するしかない。彼らは迷わなかった。そのため迅速な反撃に移ることができたのだ。
この街を襲ったのは、主に虚人の群れであった。
竜族なら一発の銃弾で倒せることもあるが、虚人の体表はある程度の柔らかさを持っているため、着弾の瞬間、威力が減殺される。そのせいで数発の銃弾が必要になった。
それでも街を徘徊するガイアの使いは、懸命な反撃によって確実に減っていった。こうしてスムーズに移動できるのは、その成果のおかげだった。
ガイナーがいなくても、人間側は一方的にやられてばかりではない。
灯希はそうした流れに心強さを感じていた。




