新東京市街戦(4)
花山は震える体を叱咤して立ち上がった。
「抵抗が無駄だとわからないのであるか」
「わからないな。たぶん、死ぬまで理解できないよ」
「では死んでみるとよいのである」
虚人がゆらりと動いた。
――来る。
花山は構えた。
右手の方で想波が膨れ上がり、巨大な火球が飛んできた。
「つまらぬ」
虚人は左手を振って火球を打ち砕いた。
花山は火球が飛んできた方向に目をやった。
「あれがはじかれるなんて……」
そこには、驚愕の表情を浮かべている海城在歌の姿があった。
そして、彼女の背後には――
「颪島、灯希……」
花山は思わずつぶやいていた。
本当に戻ってきたのだ。政治家にも民衆にも化け物だと恐れられ、地上で生きていくことを諦めた彼が帰ってきた。
握った拳が震えた。大声で彼の名を叫びたかった。
「ほう五人か。少しはマシな戦いになりそうである」
しかし、目の前でつぶやく虚人のせいで、感動はふいにされた。虚人はぼんやり立ったまま花山に視線をよこした。
「よく話し合ってから我に挑んでくるがよい。相手は少しでも歯ごたえのある方がよいのである」
……こいつ。
どれだけ自分の力に自信を持っているのだろう。悠々とした態度には、負けるはずがないという圧倒的な余裕が感じられる。
悔しいが、花山は相手の言葉に甘えた。
「キリカ、来て」
「あ、ああ……」
キリカを引き連れ、花山は灯希たち三人のところへ移動した。
「よ、久しぶり」
四年越しの再会だというのに、灯希の挨拶は軽かった。彼は花山の後ろにも視線を向けた。
「キリカも無事そうだな」
「うん、なんとかね。二人だけじゃどうしようもない状況だった」
「見たとこ、虚人っぽいな。強いのか?」
「すごく強い」
花山は低い声で言った。これ以上ないほど実感のこもった一言だ。
「少なくとも、話し合いをさせてくれるくらいには余裕があるみたい」
「だから襲ってこねえのか」
「自信たっぷりってわけね。性格悪そうだわ」
在歌が虚人を睨みつけている。特大の火球――〈炸炎珠〉を無効化されたことがよほどショックだったのだろう。
「どうしましょう……全員で囲んで戦いますか?」
さっきはぐれた時と服装の変わっている時雨が言う。
「いや、囲むと時雨かキリカあたりを突破される。危険だ」
「ですよね……」
「弱くてごめん……」
ストレートな物言いに、時雨とキリカが申し訳なさそうに返した。
「いや待て、別に傷つけるつもりはなかったんだ。許してくれ」
「大丈夫ですよ、わかってますから」
「灯希君は無遠慮な言葉遣いが多かったもんね」
「……わかってくれてるじゃねえか」
「それで、どうするの」
花山は会話の軌道を修正する。
「簡単だ。俺が一対一で戦う」
「なっ……本気で言ってるの? あいつはすごく強いって――」
「心配するな。今の俺は最高に強いぜ」
何を根拠にそんなことを言うのか。
「花山、ここは灯希を中心にして、あたしたちは後方支援に回るわよ」
「そうだな。そうしてもらえると助かる」
「……わかった」
なんとなく、勢いで押し切られてしまった。
けれど、灯希の戦う姿を久しぶりに見てみたい気持ちもあった。この閉塞的な環境を打ち破ってくれるような、そんな戦いを期待している自分がいた。
†
「話し合いの結果を聞きたいのである」
灯希が虚人に近づいていくと、のんびりした調子で、相手はそんなことを言った。
「結論はシンプルだ。俺とお前の一対一。先に死んだ方が負けだ」
「全員ではないのか。つまらぬ」
「そう言うなよ。俺一人でも退屈しないと思うぜ」
「口だけは達者であるな。――よかろう、受けて立つ」
「武士道精神か? なんにせよ、こっちも全力で行かせてもらう」
「――面白い」
虚人の全身からすさまじい圧力が放たれる。だが、灯希はひるんだりしなかった。
「さっきの堕天使よりは強そうだな」
灯希は鬼の姿をイメージし、〈鬼身〉で体術を強化する。
わずかに下げた体勢から灯希が突っ込む。まず右拳。左手で止められる。続いて左拳、また右、そして左。連続で拳を打ち込んでいく。虚人は余裕を見せつけるように灯希の拳打を防いでいく。
打ち込んだ左手を引く。次の右手を動かしながら、灯希は竜の姿を思い出す。緑色の鱗に覆われた巨躯/強靭な四肢/痛みにびくともしない耐久力/圧倒的な剛力――灯希の右手から金色の粒子が舞い散った。
打ち込まれた右の拳は、受け止めた虚人の手のひらをもぎ取った。手首から先が吹っ飛んだ虚人は、動揺したように動きを止める。
「おらあッ――!」
超力を得た左拳が虚人の顔面を捉え、後方はるか遠くまで吹っ飛ばす。虚人は広場の隅まで勢いよくごろごろと転がっていった。
局所的に爆発的な怪力を宿せる〈竜四肢〉により、灯希の両腕両足が強化されたのだ。単調に拳をさばいていた虚人は反応が遅れたために、正面から受け止めた。だがそれは竜の前足による一撃にも等しい。あの大きさの手で防げるはずがないのだ。
虚人が立ち上がる。左ストレートを受けた顔面が歪んでいる。それも、少し経つうちに修復されていった。
「再生能力もあるわけか」
「貴様……なかなかやるようである」
「どうだ、一対一でも不満はねえだろ?」
「うむ」
虚人の膝が下がる。突進を仕掛けてきた。引いた右手に金色の粒子が見える。相手も〈竜四肢〉を使ってきた。
――おもしれえっ!
灯希も〈竜四肢〉を維持したまま受けて立つ。超力が激突して大気が揺らぐ。常人には目で追えない速度で拳が行き交う。虚人も間違いなく本気で挑んできている。灯希も全力で応じ、相手の動きについていく。
そして何回目かの交錯。灯希は拳を開いた。相手の左ストレートを手のひらで受け流し、懐に入り込む。左腕で一撃すると、虚人の体がわずかに後退した。それでも距離はほぼゼロに等しい。灯希は左手に漆黒の波動――〈影迫波〉を発現させて虚人の胸元へと撃ち込んだ。この想術が使えるのは何も堕天使だけではない。見ることさえできればガイナーだって使えるのだ。
〈影迫波〉の波動を、虚人は両手を出して受け止めた。灯希は放出をやめず、撃ち出し続ける。虚人は徐々に押されて、地面には相手の両足の跡が延びていく。
「ぬうっ」
唸り声とともに、虚人が横へ跳んだ。これ以上防ぐのは不可能だと判断したのだろう。この時を待っていた。
灯希は力強い踏み込みから疾走し、人差し指と中指を相手の体めがけて突き込む。
二本の指が虚人の胴体に突き刺さった。
「その程度では止められないのである」
「いや、もう終わりだよ」
イメージ――氷の世界/結晶/氷柱/真っ白な樹/立ち並ぶ樹氷――相手を体内から凍結させる〈凍空彫氷樹〉の想術が発動した。
虚人の体が膨らみ、たちまち全身が凍り始める。やがて氷は氷柱のような形になって虚人の皮膚を突き破り外に出てくる。栗のイガのように多方向へ氷柱が広がる。
命を使った樹氷が出来上がっていた。
「ふう……」
灯希は振り返って右手を上げた。
全員が駆け寄ってきた。
「すごいわ! 灯希がいればホントに世界を変えられそう!」
在歌が真っ先に近寄ってきて、灯希の両手を取った。嬉しさのあまりか、ぴょんぴょん飛び跳ねて満面の笑みを浮かべている。
「灯希君、すごいです」
「やっぱり、君だけは別格だね」
時雨とキリカも安心した表情になっていた。
灯希は花山を見た。黒髪をポニーテールにした少女は、何か言いたそうに口を動かしていたが、なかなか言葉が出てこないようだ。
しばらく待っていると、
「よ、よかったと思うよ……」
やっとの様子で、それだけを口にした。
「ところで、この辺は二人だけだったのか?」
「うん、残念ながらみんなはぐれちゃってね」
灯希の質問にメガネのブリッジを押さえながらキリカが答えた。この少年はガイア戦争の前は浮浪児だったらしく、自分の名字も名前の漢字も知らないそうだ。だからみんな、ただキリカと呼んでいる。
「兵士級はかなり倒したけど、その上の族長級が強いんだ。そいつらが集団で襲いかかってきて、そのせいでバラバラになった」
「兵士級で、族長級で、その上に将軍級もいるんだな?」
「奴らの話から勝手に名前をつけただけなんだけどね」
「将軍級は異常に強いと」
「何人か、ガイナーの子が殺されたんだ。それも一瞬でね……」
キリカはつらそうな顔をした。
「この近辺の部隊を統率してるのは堕天使の将軍級だと思うわ。八枚羽のやつ」
「なるほど。つまりそいつを倒せば相手が浮足立つかもしれねえんだな」
「でも、いくら灯希でも危険な相手よ」
「わかってる。まずは戦力を整える方が先だ」
時雨がおずおずと挙手した。
「あの、きっと生き残った人たちがどこかに集まっていると思うんです。まずはそこを探してみた方がいいんじゃないでしょうか……」
「会っても追い返されそうな気がするけどな」
かつての経験から、灯希は自然とそんなことを言っていた。
「話さなくてもいいんです。人のいる場所さえわかっていれば、守ることができます」
「なるほど……」
優しい時雨らしい考え方だ。
「だったら、まずは難民キャンプを探すべきかな」
キリカが言って、全員が頷いた。