それぞれの夜
ビル街を、竜族軍はゆっくり進んでいる。
伝令の騎竜がシャ・リュー将軍のもとにやってきた。
「敵は川を越えて街に入りました。道を塞がれたため我が軍の進撃が遅れております」
「そうか……」
シャ・リューは少し考えた。
先行して複製者を狙ったガルネアも負傷した。奴は竜族の中でも上から数えた方が早い実力者だ。それがやられたのだから、やはり地上人は侮れない。
これからどんどん暗くなっていく。無理に進んで奇襲を仕掛けられたら厄介だ。あの戦車とかいう兵器も民衆と合流したようだし、強行軍で成果を挙げられるとも思えない。
「歩きやすい道を探し、そちらから進む。先頭に伝えよ」
「承知いたしました」
伝令が騎竜を走らせていった。
「決戦は明日、か……」
†
夜になっても、街は静かなままだった。
竜族の軍勢が近くまで来ている様子もない。
四年前の戦争で、セルナフカとはまた別の堕天使が空襲を仕掛けてきた。それによって隅田川に支流が生まれた。戦後、巨大な溝は整備されて川となり、一川と名付けられた。その川の東側に広がるのが、ここ一川市である。
民衆を追いかけてきているのだから、竜族も西側から現れるはずだ。街に入るためには一川に架けられた橋を渡る必要がある。そのため、今は一川橋をトドロが見張ってくれている。
「ああ、やっと安眠した感じだわ」
夜十時を回った頃、在歌が病院から出てきた。後ろから花山もついてくる。二人とも服は血で汚れていたが、目立った傷はない。
病室で〈傷癒泡〉をかけてきたらしい。
「灯希、あなたも起きたのね」
「おう、大変だったみたいだな」
「まあね。でもみんなよく歩いてくれたわ。全員を守り切れればよかったんだけど、うまくはいかないものよね……」
竜兵の降下部隊によって、十数人の犠牲が出ていた。
「でもあれだけの人数をよく動かしきったと思うぜ」
「あたしも、正直もっと被害が出るかもって覚悟はしてた」
「キリカから話は聞いたよ、お前がまとめてくれたって。ありがとな」
灯希は在歌の頭を撫でる。
「ちょっ、灯希……⁉」
彼女は驚いたような声を出した。そこでようやく、灯希は自分の無意識の行為に焦って手を離した。
「す、すまん。ついノリで……」
「う、ううん……別に、いいっていうか……」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が挟まった。
そんな二人を、花山がじっと見ていた。
それから彼女は、ついついっとキリカの横に移動した。
「どうしたの?」
「…………」
キリカの問いかけに、花山は上目遣いを返した。そして視線をちょっと外し、また上目遣いをする。チラッ、チラッ、と視線がキリカに飛ぶ。そうされているうちに、キリカはようやく悟ったらしい。
「ああ、うん……花山、本当にお疲れさま」
キリカは花山の頭を撫でた。ちょっとさすって手を離す。花山はじっと無言でキリカを見つめている。見つめ続ける。
「あー……えっと、足りないかな?」
キリカは花山の頭を何度も撫でた。花山の目がやや閉じられて、とても心地よさそうな顔に変わる。唇の端がちょっと上がった。彼女がそんな表情を見せるのは初めてのことだった。
……おい、完全に落ちてるじゃねぇかよ。
灯希は文句を言いたくなった。
キリカがこちらに困った顔を向けてくる。
灯希は、
――好感度は振り切れてる、このチャンスは絶対に逃すな、逃せば確実に後悔する、お前のためにも花山のためにもここは全部受け入れるべきだ――
と若干怨念のこもった視線をキリカに返した。
「あのー!」
時雨が中央通りの方から歩いてきた。
「銭湯が使えることがわかりましたー!」
「え、ホントに?」
在歌が嬉しそうな声を出した。
「はい、ソーラーパネルが無事だったので使えるみたいです」
「いいわね、入りに行きましょ! あたし、もう血でベトベト」
「私も」
「俺も入っときたいな」
「もうけっこう入ってないもんねえ」
とはいえ全員で入ると急襲に対応できなくなるので、男女で分かれて見張りを行うことになった。
†
「ふあー」
在歌は湯船に浸かって脱力した声を出した。
「やっぱり、人間にはお風呂って必要だわー」
「そうですねえ」
隣で時雨が言う。
他にも入っている女性が何人かいて、それぞれの話題に興じている。
温かい湯と、もくもくと上がる湯気に包まれていると、それだけで戦いの疲れが癒されていく。〈傷癒泡〉で傷を塞いだからどこにも沁みたりしないし、湯を汚す心配もない。
「それにしても……」
在歌は一緒に入っている三人を見る。視線は、どうしても胸に行く。
時雨は言わずもがなだが、花山はそれより主張しているし、年下のトドロですら、すでにけっこう出てきている。
「あたし、もう成長しないのかな……」
思わずつぶやいてしまった。
「平たい方が楽でしょ」
「ちょっと、喧嘩売ってるわけ⁉」
花山の容赦ない突き刺しっぷりに在歌は大声を上げた。
「ま、まあまあ、在歌ちゃん落ち着いて」
そういう時雨の胸の上を、雫が滑っていく。
「くっ、これが強者の余裕……」
「灯希は大きい方が好きなのかな」
「え?」
「気になるんじゃないの?」
「なっ……ならないわよ! 別にそんなの気にならない!」
「ふーん」
花山が細目で見つめてくる。
「灯希のこと、気にしてないの?」
「う、そ、それは……」
返事に詰まった。
灯希に対して持っているこの感情がなんなのか、自分でも説明できないのだった。仲間としての意識? ただの友達関係? それとも憧れ? あるいは……恋愛感情――
「いや、ないでしょ!」
「急に大声出さないで」
「あたしはその、灯希はただの戦友としか思ってないから! それ以上は別に……」
「まあなんでもいいけどね」
「ちょっ⁉ 自分から振っといてそれはないんじゃない⁉」
「うるさい。静かに」
「くっ……!」
「ですが在歌さん」
トドロが輪に入ってきた。
「状況が状況ですし、素直になってしまってもいいと思いますが」
ごふっ、と在歌は吐血しかけた。
「と、年下に諭されるとか……」
「でも、素直になってもまな板に興味はないとか言われるかもね」
「か、花山ちゃんってけっこうSっ気あるよね……」
時雨がちょっと引いている。
「もういい……まな板は死ぬ運命なのよ……」
「在歌さん、悲観的になりすぎでは……」
「大きいのにあやかってみる?」
「え?」
「はいどうぞ」
「むぐっ――⁉」
在歌の顔が引き寄せられて、花山の胸に沈み込んでいた。
……あ、すごい、あったかい……。
なぜかとても安心してしまった。
「花山ちゃん、すごい……」
「恐れ知らずの行為ですな……」
時雨とトドロが感心したように言っている。
在歌はすべてがどうでもよくなっていた。
……あー、このままもう一回眠りたいわ……。
同性の胸の中で癒されるのも悪くないな、と思った在歌だった。
†
「……女性陣の風呂、長すぎじゃねえか?」
「しょうがないよ。もうちょっと耐えよう」
銭湯の外、街の外れでは男二人が夜風に吹かれていた。




