少女たちの撤退戦(2)
竜族の将軍、シャ・リューは隊列の最後尾で騎竜に乗っていた。
……まさか本当に敗れるとはな。
偵察兵からセルナフカの敗北を聞き、シャ・リューはすぐに軍勢を動かした。海沿いの街にはすでに大部隊を上陸させていたので、あとはどこに向かうかを決めるだけだった。そこで、どうも堕天使軍が苦戦しているようだとの報告があったので、彼らの辿った道を北上していった。
……地上人ながら大したものだ。
シャ・リューは感心せずにはいられなかった。セルナフカは相当な腕の持ち主だ。たとえ彼に油断があったとしても、地上人には倒せないと思っていた。だが奴らの力は想像以上だった。
……礼を言うぞ。
シャ・リューは内心で笑った。
これで東京攻撃部隊の全指揮権がシャ・リューのものになったのだ。セルナフカとはどうにも性格が合わなかった。それを消し去ってくれたのだから、地上人には感謝したいくらいだ。
……まあ、これから叩き潰してしまうのだがな。
前方から伝令の騎竜兵がやってくる。
「敵は民衆を連れて大規模な移動を開始したようです」
「つかず離れずでついてゆけ。敵の中に脱落者が出始めた頃に突撃を開始せよ。速度に変化が出なければ降下隊を使え」
「承知いたしました」
伝令が来た道を戻っていく。
……戦場とは非情な場所なのだ。
敵は皆殺しにし、通り過ぎるのみ。それが竜族のやり方だ。堕天使どものように、敗者に群がって尊厳を犯すようなやり方は好まない。
……悪く思うな、地上人よ。
†
竜族の隊列には変化が見られた。
先頭の兵士が変わっているのだ。首から数珠のような物をさげた竜族が横一列に並んで進んでくる。歩兵はその後ろだ。
数珠を持った竜兵は口の前に右手を持っていって、何かを唱えているように見える。
大軍だけでも圧力が尋常じゃないのに、あんな不気味な兵士までいられたらますます気力が削がれる。
「なかなか進んでいかないわね」
「仕方のないことだ。何せ突然だったからね」
「関城さん、眠れました?」
「多少は。少なくとも行動するのに支障はないよ」
多くの民衆はきっとそうではないのだろう。眠れず、体力を消耗した状態で歩いているはずだ。最初の襲撃から、安心して眠れる時間など誰もとれていないはずだった。
「在歌」
花山が声をかけてきた。
「どうかした?」
「少し攻撃した方がいいかも」
「……確かに」
竜の軍勢はやや歩調を上げてきた。あれが一斉に走り出したらすべてが手遅れになる。あれだけ密集しているのだ。先頭が転べば後方の進軍にも影響が出るだろう。
「よし、やってやろうじゃないの」
「自分も手伝うであります!」
「待って、トドロは手を出さないで」
「なぜですっ⁉」
ショックを受けた顔だった。
「あなたの攻撃は広い範囲に届くから、本当にまずい状況になるまで温存しておきたいのよ」
「はあ……」
納得いかない顔をしているが、ここは我慢してもらいたい。
トドロはすでに高火力の想術を連発しているのだ。いつ限界が来てもおかしくないと在歌は考えていた。
在歌と花山は最後尾から離れた。
迫りくる竜族軍に対し、同時に〈炸炎珠〉を発現して放つ。狙いは先頭の足元だった。火球が飛んでいき、路面に着弾――
「え?」
――しなかった。
数珠を持つ竜兵が右手で印を切ったのだ。透明な幕が膨れ上がって火球を飲み込み、消滅させた。遠距離攻撃系の想術を吸収する〈限透明近青幕〉だ。
「あいつら竜法師か」
花山が冷静に言う。
「やっぱり考えて列を組んでるね。だったらもっと上を狙おう」
「上?」
「灯希がやってたでしょ。〈炸炎珠〉に別の想術を当てて火の雨を降らせるやつ」
「あ、ああ、そうね」
「じゃあ在歌が先やって」
「……わかった」
在歌は〈炸炎珠〉を練り上げる。さっきより巨大な火球を作って、竜族の上空に飛ばした。
花山が追撃の〈炮烈波〉を放つ。
竜法師が反応した。一体が上空に〈炮烈波〉を撃つ。それが花山の熱波と激突して相打ちになった。火球の爆散は失敗に終わり、宙に舞った火球は〈流砲〉の水流によって消滅させられた。
「だめだ、守りに特化しすぎてる」
「何か、次の手を……」
「たぶん、何をやっても無駄撃ちになる。おとなしく退くべき」
「でも、このままじゃ……」
「じゃあここで想波を涸らす?」
「う……わかった……」
それ以上の攻撃を諦め、在歌と花山は移動列に戻った。
民衆たちは先を急いでいるはずだが、なかなか進んでいかない。竜族は歩くスピードを変えて、こちらと一定の距離を保っている。まだ攻め込んでくる気配はない。
「まいったな、こちらが疲れてくるのを待ってるんだ」
関城が苦々しげに言った。額には汗が噴き出している。
悔しいが、竜法師がいる以上、有効な反撃が出せない。
在歌たちはただ歩くしかなかった。
民衆の列は懸命に前へ進んでいる。後方で竜が吹き鳴らす笛の音が聞こえるのだろう。恐怖心がエネルギーを生んでいるのだ。
やがて巨大な十字路にぶつかった。
標識を見る。正面へ進めば一川市だ。左へ行けばまだ無事な街があるかもしれないが、そこにあの大軍を連れていくわけにはいかない。
トドロがぴょんぴょん飛び跳ねて前の様子を確認している。
「どんな様子?」
「やっと半分が十字路を渡ったところですね。我々があそこに着くまでにはもうちょっとかかりそうであります」
「時間がかかりすぎるわ。このままだと――」
竜の吼える声が響き渡った。
上空に目をやる。――またあの飛竜だ。
「まずいっ、降下部隊が来るわ!」
飛竜が十字路の上を滑空していった。その背中から竜兵が飛び降りてくる。笛が一際強く吹き鳴らされた。
雄たけびが上がり、背後の歩兵たちが突撃を開始した。
「仕掛けられたね」
「いやいやいや、クールに言ってる場合じゃないでしょ⁉ 下手したら皆殺しにされるのよ⁉」
「戦うしかない」
花山は振り返った。
「竜法師は先頭を譲ったみたいだし」
「おーい誰かっ!」
列の横からキリカが走ってきた。
「僕が〈黒尖兵〉で向こうを足止めする! だから誰か降下部隊の相手を頼めないか⁉」
「自分が行きましょうっ!」
言うが早いか、トドロが前方へ走っていった。
「とにかく食い止めるんだ。十字路さえ越えてしまえば、相手は狭い道路の一方向からしか攻め込めなくなる」
キリカが胸の前で握り拳を合わせ、影の兵士を大量に発生させる。右腕がそのまま剣の形をした人型の兵士。
「行け!」
出現したのは三十体ほどだった。それだけでもかなりの技量だが、この状況では明らかに兵力が足りていない。
「在歌、援護するよ」
「ええ!」
在歌が〈青尖氷槍〉を、花山が〈砂礫錬貫槍〉をそれぞれ発現。
氷の槍と砂の槍が竜兵を貫いて倒していく。敵の隊列が乱れるが、死体を踏み越えて次の兵士たちが突っ込んでくる。そいつらはキリカの影兵が引き受けた。果敢に剣を振るって竜族と打ち合う。
在歌は〈炸炎珠〉を上空に放つ。角度は浅めだ。火球は山なりの軌道を描いて隊列の真ん中に着弾した。爆風が生まれ、炎がはじけて竜族が倒れていく。
キリカは休みなく兵士を発生させて前線に送り込む。だが、やられる数の方が多く、生成が間に合っていない。
「できるかな……」
花山がつぶやいて右手を出した。
右腕で風が渦を巻き始める。
「はあああああああっ!」
花山が大声とともに竜巻を撃ち出した。〈旋浄渦〉の想術だ。暴風が竜兵を巻き上げて最前線を大きく乱した。だが維持しきれなかったのか、竜巻はすぐに消失してしまった。
「だめだ、イメージが弱すぎる」
「でも今のは大きかったわ!」
竜族の隊列は完全に崩れている。これで時間が稼げるか――と思ったが、そんな期待は早くも打ち砕かれた。
最前線の兵士が脇に避け、後方の第二陣が前に出てきた。こちらは被害を受けていないから足並みがそろっている。彼らは最前線に立つと同時に走り出した。剣を構えて突撃してくる。
「在歌」
「なに花山!」
「少し下がるよ」
振り返ると、こんな状況でも列は進んでいた。
「わかった! キリカ、後退よ!」
「オッケー」
キリカも竜族の方を向いたまま下がっていく。
在歌たちも十字路に出た。降下部隊はトドロと時雨が相手をしていた。
「時雨っ!」
在歌は灰色の髪に声をかける。
「平気ですっ! わたしだって、戦えますから!」
時雨は剣を複製して竜族と渡り合っている。降下部隊はそこまで多くなかった。在歌と花山が加勢して一気に壊滅させる。
「在歌ちゃん、みんなも大丈夫ですか⁉」
時雨が在歌のもとに駆け寄ってきた。顔や腕に血がにじんでいる。相当無理をしたのだろう。
「平気。時雨こそ、みんなを誘導してくれてありがとね。助かったわ」
「いえ、わたしなんて……」
「はいそこで自虐はやめ。あたしたちも移動よ!」
在歌は時雨の手を引いて歩き始めた。
十字路を越えて反対の道路へ入っていく。
ここもまた、片側二車線である。両側にビルが立ち並び、歩道は狭い。戦えるガイナーは在歌、花山、時雨、キリカ、トドロの五人。このメンバーで弾幕を張れば竜族の進軍を遅らせることはできるはずだ。
五人は最後尾に一列になって、突撃してくる竜族を睨んでいる。
「いい⁉ 奴らがこっちの道路に入った瞬間一斉攻撃よ!」
四人が頷いた。
「カウントちょうだい」
花山が言うので、在歌は声を出した。
「五、四、三――」
竜族軍の先頭が十字路に入る。後続もどんどん渡ってくる。
「二、いち――」
今、と言いかけた瞬間に爆音が轟いた。
十字路の中央で黒煙が上がり、竜兵たちが吹っ飛ばされる。数十体が一気に肉塊に変わり、倒れる兵士が続出した。
「な、なに?」
今のはなんだ?
右方向から飛んできたようだが――
やがて新たな音が加わった。
機械的な音がどんどん大きくなり、十字路に姿を現した。高速で走ってきて、ためらいなく竜兵を轢き潰していくそれは、戦車の形をしていた。
在歌は思わず叫んでいた。
「二〇式!」




