新東京市街戦(1)
少女は強い日差しに晒されている街路を歩いていた。
肩で息をしていて、今にも倒れそうだ。
彼女の正面には、壁にヒビの入った大きなビルが立っている。建物の名称を示すプレートは、火炎か何かに炙られて溶け落ちている。
遠くからは未知の生物の鳴き声が聞こえた。
……もう、あたしたちだけじゃ……。
荒れる呼吸を落ち着かせてから、ビルの中へ入っていく。人の気配はない。
「こんなのって……」
少女は呻くようにつぶやいた。
ホールの中央に死体の山ができていたのだ。囚人服の少年少女たち、制服を着た大人の男たちの骸がオブジェのようになっている。建物全体から、わざわざ死体を集めてきて重ねていったらしい。
まるで、自分たちの力を誇示するかのように。
〈ガイアの使い〉と呼ばれる存在と人類が戦争を繰り広げたのは四年前の話だ。
太平洋上に突如出現した漆黒の巨大な斜塔――通称〈ガイアの親指〉。その中から、空想の存在だとばかり思われていた生き物の大軍が現れ、世界各国を襲った。
あの時、人類は勝った。
人間の中に、ガイアの使いとまったく同じ能力を使える者が出現したからだ。現代兵器との共同戦線により、ガイアの使いは、ガイアの親指の中へと立ち去っていった。
なのに、戻ってきた。
前よりさらに厄介な存在になって。
復興した東京が連中に占領されるのも時間の問題だ。
だったら、賭けに出るしかなかった。
彼女はたった一つだけ、逆転できる手があると思っていた。それが成功するかはわからない。しかしこのままではどうせみんな死ぬ。だったら賭けてみたほうがいい。
少女は一階を歩き回って管理室を探し当てた。キーボックスはすぐに見つかった。あれはここにあるだろうか。
――地下の、特別監獄の鍵は。
キーボックスにも鍵がかけられていて開かない。
少女は目を閉じてイメージした。
ガイアの使いの中に、〈鬼〉と命名された種族がいる。二足歩行、黒い毛に覆われた、筋骨隆々の存在。奴らの腕――その腕力を記憶から引っ張り出して、複製する。
少女の右腕が黒い靄のようなものに包まれた。腕を縦に一振り。キーボックスのフタが一撃でひしゃげ、外れた。
ガイアの使いの身体能力、あるいは異能などを見て、映像として覚えて、思い出して、複製する。そうすることで様々な現象を発生させる術式――それが想術だ。
この力があったから、人類は勝てた。
だが今、新たに攻めてきているガイアの使いは、人間の想術使い――ガイナーを上回る能力を持っている。
「あった……!」
地下特別室と書かれた鍵を発見した。
それを掴んで少女は管理室を飛び出す。地下への階段を見つけると、バリケードを蹴り飛ばして駆け下りた。
下りきった先に見えてきたのは、無機質な銀色の鉄扉だ。
この向こうに彼がいる――。
戦争で目覚ましい活躍を見せた彼。終戦後には、その強大すぎる力を恐れた政治家たちから、民衆から忌避され、やがて地上を去っていった彼。
今、東京を救えるのは彼しかいなかった。
わがままは承知だ。
あのとき共に戦ったのに、助けになってあげられなかったのだから。
それでも、戻ってきてほしかった。
――だから、あたしが行かなきゃいけないんだ……。
少女は一つ頷くと、鍵穴に向かって、右手を伸ばした。
†
颪島灯希は鉄棒を使って懸垂をやっていた。やることがなかったからだ。
四年前の大戦後、この地下室に閉じこもってからはとにかく暇で暇で仕方がない。かといってゲームはあまり好きじゃないし、読書も趣味じゃない。なので体を鍛える以外には暇つぶしがないのだ。
今でも時々思い出す。
灯希を恐怖の対象としか見てくれなかった世間。それを知って、なんだか全部がバカらしくなってしまった自分。
――はいはいわかりました、地下で静かに生活しりゃいいんでしょ? そうしますよ。でも筋トレ用具とちゃんとしたメシだけは下さいよ?
新都知事にそんなことを言ったのは覚えている。小物感あふれるガキだったなと思う。
懸垂を終えて、シャワーを浴びて、いつもの服を着た。スーツである。
閉じ込められてやる代わりに、彼は快適な生活を要求した。スーツを作ってもらったのもその一環だ。ちゃんとした服を着ていれば、精神的に引き締まって堕落せずに済む。
ネクタイを締め終えた時だった。
聞き慣れない金属音が聞こえた。
この地下室はリビングを中心として、周囲に生活に必要な部屋が整っている。音は出入り口の方からした。だが妙だ。食事や物資は出入り口横のコンベアを使ってやりとりする。人間がこの部屋に入ってくるなど、一年以上なかったはずだが……。
扉の開く音がした。
本当に誰か入ってきたらしい。
灯希はドアを開けて出入り口へ向かった。
「お前……」
懐かしい顔が、そこにはあった。
赤い長髪や、ふっくらした頬に走った切り傷を忘れるはずがなかった。少女は額を押さえて、つらそうに呼吸を乱していた。
「在歌、大丈夫か」
少女――海城在歌。あのガイア戦争でともに戦った仲間だった。
「なんなのここ……入った瞬間、すごい頭痛が……」
在歌は苦しそうだ。
「この部屋の壁な、なんかよくわからんけどガイナーの思考を妨害する電磁波が出てるっぽいんだよ」
「あんた、こんなところでずっと生活してきたの?」
「おう。あの新都知事、どうやってこんな嫌がらせシステム作ったんだか。まあ文句言うと色々こじれそうだから黙ってるんだよ。――それより、どうしてここに?」
「奴らが戻ってきたの」
「……ガイアの使いが?」
「しかも、今度は前よりも強いし、統率も取れてる。東京はもうほとんど奴らに占領されちゃったわ」
「それは何日前の話だ?」
「五日前の話よ」
まだ一週間と経っていない。それなのに、もうほとんど?
「そういえばお前、普通に入ってきたよな。上の管理人どもはやられたのか?」
「ええ。みんな死体になってた」
「道理でメシが流れてこないわけだ」
三日ほど新しい食事が来なくなっていたので、貯蔵しておいた食料と水で過ごしていたのだ。
「それで、どうしようもないから俺にも参戦しろと?」
「あなたの力がないと、どうにもならないわ……」
「はあ」
と灯希は重い息を吐いて、壁に背中を預けた。
「俺が終戦後にどんな目に遭ったのか、忘れたわけじゃないよな」
「……もちろん……」
「いいように戦わされて、終わったら危険人物だから消えてくれ、だぞ」
「わかってる」
「わかってんなら、なんで来たんだッ」
思わず怒鳴っていた。
「俺はもう、あんなくだらねえ大人のためにこき使われるのは御免だ! てめえらでなんとかしろよ!」
「でも、戻ってきてほしいの!」
「どうして!」
「……琴音を、覚えてる?」
「お前の妹だろ」
「あの子は、殺されたわ」
「なっ……」
「市街戦で、逃げてる小さな子を守ろうとして死んだ。死体はないわ。もうあいつらに食べられてしまったから、あたしはあの子の最期の顔を見ていない」
「お前……」
「あたしは琴音の分まで戦うつもりだけど、あいつらは四年前よりずっと強くなってる。今のあたしじゃ力が足りない……。でもね灯希、このままやられっぱなしなんてあの子が浮かばれないじゃない! あの子は人を守って死んだのに、あたしたちが全滅させられたら、琴音はただの無駄死にになってしまうの! そんなのは……絶対にいや……」
「だが……東京には他にもガイナーがいるはずだ」
「みんな頑張ってるわ。普通の奴ならいくらでも倒せるけど、〈将軍級〉って呼ばれてる奴の強さは尋常じゃない。それで大けがを負った仲間がたくさんいる。あいつを倒せるのは……」
「俺しかいないってか。そりゃちょっと買いかぶりすぎじゃねえのか」
「いいえ、そんなことない。あなたは四年前から一人だけずば抜けていたもの」
「だけどな……」
「あたしには野望があるの」
――急に何を言い出すんだこいつは。
「それはガイナーが差別されない日本を作ること。今は確かに追い詰められているけど、これはチャンスでもあるの。なぜなら、最初の攻撃で国会が吹き飛ばされたから」
「……へえ」
「四年前、ガイナー排斥運動を主導していた議員達は全滅した。だから、新しい日本を作るのにこんないい機会はない。ガイアの使いを撃退して、この国を変えるのよ。灯希、あなたのような人間をこれ以上増やさないためにも」
「なるほどね。お偉いさん方はみんな死んじまったのか」
「そうよ。奴らは最初に国の指揮系統を破壊していった。それで自衛隊の拠点や会議中の国会が狙われたの」
「連中に感謝してるか?」
在歌はふっと笑った。
「ぶっちゃけると、ちょっとね」
灯希も笑いそうになった。
大勢の人が死んでいるのに、それを聞いて喜ぶなんて最低だ。だが、間違いなく、これはガイナーが世界を変えられるかもしれない状況なのだ。
「いいぜ、協力するよ」
在歌の顔がパッと明るくなった。
「ホントに?」
「ああ。ただ、もう実戦から長いこと離れてる。期待しすぎないでくれ」
「もちろん、無理をしろなんて言うつもりはないから」
「よし、じゃあ出よう」
「ええ」
灯希は拳を出した。在歌も出してきて、二人の拳が軽くぶつかった。
†
「想術の使い方は覚えてる?」
地下の廊下を歩きながら、在歌が訊いてきた。
「大丈夫だ」
ガイアの使いたちは、太平洋沖に屹立する〈ガイアの親指〉と呼ばれる黒く巨大な斜塔から現れた。
ガイアの親指の内部には世界があり、灯希たちガイナーはその世界を覗くことが可能だ。
内部の世界では、鬼が歩き、竜が舞い、山は絶えず火山弾を撃ち出し、水が生き物を捕らえて溶かし、天からは光の槍が降る。
ガイナーは、そうした光景を、ガイアの使いが持っている水晶を使って覗き見ることができる。
例えば、火山から噴き出す緋色の熱波を見たとする。それを映像として記憶しておけば、思い出すだけでこちらの世界に複製して発現させることができるのだ。
ガイナーが誕生する条件は不明だと言うが、研究は行われているようだ。
想術の原理についても、ある程度の解明はできている。
ガイナーになった瞬間、その人間の脳が変化するのだ。脳の内部に想域と呼ばれる部位が新たに作られる。ガイアの親指内部で目にした光景は、すべてこの想域に記憶される。
戦闘に入ったとする。
熱波の事象を思い出したい――と頭が考えると、想域が震動して、想波と呼ばれる不可視のエネルギーが発生する。意識をコントロールして、想波を発現させたい部位まで送り込めば、あとは自由に想術を発現させられる。
想波の生成量は、ガイナーによってかなり差があるようだ。想波が多く濃いほど、発現する現象も明確な形をとるため、威力も上がる。灯希が大戦果を挙げられたのは、想波の生成量がずば抜けて多かったからだ。たとえ戦闘から遠ざかっていたとはいえ、感覚はそう簡単に忘れられるものではない。きっと大丈夫だ。
廊下から、扉を出た瞬間のことだった。
「――な、んっ……!?」
灯希は激しい衝撃に襲われ、よろめいた。
在歌が支えてくれる。
灯希の体はガクガク震えていた。
これは、この感覚は――
「ちょっと、大丈夫なの?」
「……在歌」
「な、なに?」
「俺、ひょっとしたら大変なことになってるかもしれない」
「ど、どういう意味?」
「頭がやばいくらいクリアなんだよ。いいイメージが一発で浮かんできそうだ」
「え?……あ、もしかして、あの電磁波の中でずっと生活してきたから、想域が自然に鍛えられたとか?」
「ああ、たぶんそれだ。あーやっべぇぞこれ。期待してもらっていいぜ」
在歌が嬉しそうに笑った。
「頼もしいじゃない。足を引っ張らないようにサポートするわ」
「おう。そんじゃ、行こうぜ」
二人は走り出した。