[22]愛を知らぬ女vs愛に生きる女
私の名は、バーバラ・クエスティア。
私は出来損ないだった。
それは幼い頃の事、私は緊張すると、例えば人前に立ったりする時など、すぐに動悸が速まり鼻血を出してしまう子供だった。
「バーバラさん、またですか?」
いつだったか、家庭教師の先生が呆れたように言ってきた事があった。
「ごめんなざい……」
私の鼻血は特に体の異常では無く、生まれ持った体質であるという事は医者に診てもらってはっきりとしていた。だから知っている人には誰にも心配されない。それどころかこの先生のように呆れる人すらいた。
「あなたのお母様は国王の親衛隊隊長、亡き父上も王国軍の将軍であらせられたというのに、その娘であるあなたがそのような体たらくでどうするのですか」
そんな事を言われても、私にはどうする事も出来ない。嫌だと思っても勝手に出てきてしまうのだ。
嫌いだった。この体質も、こんな体質である自分自身も。全部が嫌いだった。
そんな私でも、一つだけ、確実にその体質の事を忘れて打ち込めるものがあった。
剣の稽古。これも専属の先生がいたが、稀に母上が稽古をつけてくださる時もあった。
「バーバラ、また腕が上がったわね」
稽古が終ると母上はそう言って笑顔で私の頭を撫でてくれる。
「お前は強くなるよ。多分この私よりも強くなれる。だから頑張りな。頑張っていればその為の努力はいつか報われる」
「はいっ!」
私は母の言葉を素直に信じていた。それは、子供の単純さとかそういう事ではなく、母が血の滲むような努力の末に今の地位を、国王からの絶対の信頼を得る最強の騎士となった事を知っていたからである。
だから私も努力した。いつだって努力した。
そして私は母に追いついた。親衛隊の隊長という地位に、血筋ではなく実力で上り詰めた。
そこに至るまでには多くの困難があった。心が折れかけたか分からない。でも私は努力を、上を見続ける事をやめなかった。
私がそうまで頑張れたのは、母と、そしてクレア様の叱咤激励があったから。
私が親衛隊の一隊員の頃からクレア様は私を気にかけて下さった。
私も、あの方の女神すらたじろぐ様な人智を超えた美しさにすぐに心を奪われた。
この方を守る為にも自分は親衛隊長の座に就く。そう思い日々の厳しい訓練にも耐えられた。
そう、私はこの方の為に殉ずる覚悟を常に持って日々の任務に当たっている。
その時がいつ訪れるのか。今日なのか、それとも何年も先なのかは分からない。
でも、ひとつだけ確実に言えるのは、その時、私は絶対に迷う事はないだろうという事だ。
私の命は、この方の為にあるのだから。
「そうか。ヒポリトがメガやられたから復活したのか」
「そういう事のようだな。だがそんな魔術のメカニズムなど今はどうでもいい」
私は剣を振るう手に力を込める。
「まずはクレア様に刃を向けた貴様を倒すっ。全てはそれからだっ!」
私の振るう刃が奴の刃に命中し火花が散る。
「私だってセガールの軍人の端くれ。このツルク、ギガ簡単には負けないからよろしく」
「そうか、貴様の名はツルクというのか」
私は、自分でも不思議だが口の端から笑みがこぼれる。
「良かったよ。倒す前に名前が聞けてっ!」
更に力を込めて刃を押し込む。金属の擦れ合う音がうるさく響き合う鍔迫り合い。
奴も言うだけあって技量はそれなりのようだが、しかし力はどうやら私に分があるらしい。
時間をかける利点はない。速攻で決める。
「そういうあなたはあのバーバラでメガ間違いないね」
全ピンクで眼帯を付けた奇妙な剣士はねっとりとした気味の悪い口調で私の名前を口にする。
「なんだ、私の事を知っているのか?」
「メガ有名だよ。ソニード最強の剣士。その美貌も含めてね」
ツルクはそんな事を言いながら回転するように二本の刃を振るってくる。
「美貌、か。女としてはそう言われれば喜ぶべきところなのだろうが」
私の視界の隅にクレア様が映る。クレア様は心配そうな目で私を見ている。
私を、見ている。
「女としての美しさなど今はまるで興味がないなっ」
一層力を込めて剣を振るう。
ツルクは私の一撃にわざと弾かれるように後方に飛んで距離を取る。
「その言い方、ギガむかつくね」
奴の顔に、今まで以上に冷たく、そして鋭いなにかが宿る。
「そんなセリフがメガ吐けるのは美しさを生まれ持った者だけ。そういう台詞、聞かされている側はっ」
奴の上体が大きく沈む。それが何を意味するのか、私にはすぐに分かった。
「ギガ虫唾が走る」
発射。まさにその言葉が似合う。弾丸のように弾き出されたツルクの体が突撃してくる。
二本の刃はその鋭い先端をこちらに向いている。
突いてくる。そう確信した私は剣を、刃では無く面の部分を正面に向けて防御の構え。
直後、奴の刃が私の剣を突いてくる。が、思っていた程の衝撃はない。
この程度ならば切り返せる。私は奴の攻撃の隙を窺った。
そして、その瞬間はすぐに訪れた。
二本の刃を交互に突いてくるツルク。その連続する攻撃の切り替えの瞬間、大きめの隙が生じた。
今。私の中で号令がかかる。
一歩足を踏み出し、剣を小さくだが振るう体勢を取る。致命傷は期待できないだろうが奴を戦闘不能にする程度ならば……っ。
私は油断をしたつもりはない。しかし、この一撃で勝負は決まる。そう、長年の経験からくる勘が告げるのを感じていた。
もし一つ失念している事があったとするならば、それは……。
「切り札をメガ使う時」
相手がまともな人間ではなかった事だ。
「ぐぅ……っ!」
一体何が起こったのか。気づけば、血を流し地に膝をついている私がいた。
そして、そんな私を見下ろすツルクの姿があった。
「これぞ切り札。メガ隠しておいて正解だった」
奴は自分の左目を触る。特徴的な眼帯がされていた、その左目を。
「目だけにね」
奴の眼帯は吹き飛びそこに隠されていたものが露わになる。
眼球の代わりにそこに収められていた硝煙を噴き上げる銃口が。
「自らの体を、改造したというのか……っ」
奴の弾丸は脇腹に命中していた。致命傷は逃れているものの、今も血は流れ続け体からどんどん力が抜けていく感覚がある。
体の一部が欠損した人間に対し、欠損した部位を機械化するなどの改造を施す非人道的な行為が過激な武装組織などで行われているという噂は聞いていた。
だがまさか、セガール帝国の軍人にまでそれが行われていたとは。
普通の人間を相手に戦っていると思っていた私の油断だったとするならば、この痛み、苦しみよりも悔しさが先立つ思いだ。
「おや、弾はメガ貫通しなかったのか?」
奴はそんな私の心の動きなど分かるはずもなく、ただ私の傷を見て、そして、
「今メガ取り出してあげる」
刃を傷に突き刺した。
「ぐぁぁぁぁぁっ!!」
脳天を突きぬけるような痛みに思わず声が出る。
「ほら、ほら、メガ大人しくしていないと弾が取れない」
ツルクはただただ淡々と刃を突き立てていた。それを楽しんでいるとかそういう様子はない。
心からの兵器。戦い、相手を体だけではなく心から殺すにはどうすればいいのかを考え、そして実行した。それだけの印象を受けた。
そんな奴に、空っぽな、戦う為だけに生きる人間に私は負けようとしている。
血が流れすぎたのか痛みの感覚が麻痺し始め、意識も段々と遠くなっていくのを感じる。
ここまでなのか……。
私は志半ばでの最後を覚悟した。
「バーバラっ!!」
しかし、遠のいた意識は、その人の声で一気に引き戻された。
クレア様。私がこの世界で最も慕うその人が、そこにいた。手にはどこで拾ったのか大きな花瓶を持っていた。
「あなたっ!バーバラから剣を抜きなさい!そして離れなさいっ!」
「クレア様……っ」
駄目です、逃げてください。という言葉は口から漏れる血に邪魔されて紡げなかった。
「クレア王女。メガ邪魔をしないでほしい。それともあなたから死ぬ?」
ツルクの目がクレア様に向けられる。
このままではクレア様が殺される。
クレア様が、私のせいで、私が不甲斐無いばかりに、殺される。
させない。それだけは、絶対に。
「うぐおぉぉぉっ!」
未だ私の脇腹に刺さっている奴の刃を掴む。あらん限りの力を込めて。
「まだそんな力がメガ残っていたのか」
「クレア様だけは……っ!絶対に死なせないっ!絶対にぃ!」
血はまだ流れている。意識だっていつ飛んだっておかしくない。
とてつもない窮地。しかし、なのに、私の体の底からは不可思議な程に力が溢れてきていた。
クレア様の為に。そう考えるだけで、私の体は動いた。
「お前の様な者に、私はぁぁぁっ!」
「え、ちょっ」
ツルクの顔が一瞬戸惑いに染まった瞬間だった。
脇腹に刺さった奴の刃が、砕けた。
「馬鹿なっ。メガ握力だけで刃を……っ」
「驚いている場合かっ!」
私は拳を振るった。行先は、もちろんツルクの顔。
その白く整った顔が歪む程に力を込めて、奴を殴り飛ばした。
跳ねるように飛んでいく奴の事を見ながら、私は脇腹に刺さった奴の刃を引き抜いた。
それこそ気絶しそうな程の痛みが全身を駆け巡るが、なぜかそれでも私は倒れる気がしなかった。確信が持てた。
体内でなんらかの興奮物質でも分泌されているのだろうか。だから私は倒れずにいられるのだろうか。
そうかもしれないな。そうでなければ、今私の鼻から伝う液体の正体に説明がつかない。
「ぐ、ぐがぁぁぁっ!な、なんでメガそんなに力が残っている!」
ツルクが立ちあがる。顔を思い切り殴ったせいか奴の切り札であった眼の銃口も曲がってしまっている。
「なぜ、か。答えは簡単だ」
私は床に落ちた剣を拾い、構える。どんなに体と心を騙せていようが、そう長くは持たない。これが最後の一撃。
「クレア様への愛故に、私は倒れる訳にはいかないのだっ!」
「わ、訳がメガ分からない……っ」
ツルクの戸惑った顔も悪くはないが、しかしそれももう見納めにしなければならない。
「終わりだ、ツルク」
それはほんの一瞬のこと。
私の剣がツルクの剣と交差し、そして決着するまでの、一瞬。
そう。一瞬で勝負はついた。
「な、なん、で……っ」
ツルクの手から剣が滑り落ち、奴自身も膝をつく。
「答えは簡単だ」
私はゆっくりと剣を鞘に収める。
「愛ある者が勝つ。私はその道理に則っただけだ」
「テ、テラ……訳が分からないっ」
ツルクはそれを最後の言葉にして倒れた。致命傷は与えていないから恐らく気絶したのだろう。いくら敵とはいえクレア様の前で人の生き死にをお見せするのは気が引ける。
「ぐぅ……っ!」
私も緊張の糸が切れたのか一気に意識が遠のく。
「バーバラ!」
倒れそうになった私の体をクレア様が受け止めてくれる。
「申し訳ございませんっ。クレア様のお召し物を汚してしまいっ」
「いいのよ。バーバラはわたくし達を守る為に戦ってくれたのだもの。この程度気にしない」
「しかし……」
言葉を繋げようとする私を遮るように、クレア様は私の事を抱き締めて下さる。
「わたくしは今まで一度としてあなたの血を気にした事はないつもりよバーバラ。だから今回も全く気にしてはいない」
クレア様は、手や顔まで血で汚れているにも関わらず笑顔でそうおっしゃって下さる。
「ありが、とうござい……」
その言葉に、クレア様の温もりに安心したのか、私の意識は急速に混濁し、そして黒く染まった。
「バーバラ?ねぇ、バーバラ!返事をして!今寝てしまったら……!」
クレア様の声が耳から脳に届く。でも、それに答えるだけの力が湧かない。
こんな事では臣下として、親衛隊長として失格だ。
でも、今は、とても眠いのです、クレア様……。
…………。
……。
「バーバラ!ねぇバーバラ!」
クレアは腕に抱いたバーバラに呼びかけるが、しかし彼女は眠るように目を閉じたまま動かない。
「いやっ、いや……っ。死んでは駄目っ!死んではっ」
クレアは必死に呼びかけるが、しかし相変わらず反応は無く、腹部の傷からは血が流れ続けている。
早く医者に、でも今この状況でまともに治療なんて出来るのか。クレアの中を様々な思考が流れては絡み合い時間ばかりがいたずらに過ぎる。
「ジン様……っ」
ほぼ無意識に声に出ていた。もしジンがいれば、この傷も一発で治してくれるのに、と。
しかしそれは叶わぬ願望。彼は随分前にこの国を出ているのだ。そんな人に助けを求めるなど出来るはずがない。
だったらどうすればいいのか。考える間にもバーバラの体から血は失われていく。
もう、時間はない。
「なんだ、この状況は?」
最悪、という言葉はこういう時に用いられるべきだろうか。セガールの兵士達が続々とクレア達の元にやってきた。
「ん?そこにいるのはまさか、王女じゃないのか?」
兵士の一人がクレアの姿に気付く。
「間違いないな。事前の情報ともぴったりと当てはまる」
「護衛は……いない事はないようだがもう虫の息だなありゃ」
兵士達はクレアに近づく。
「いやっ、来ないでっ、来ないでっ」
クレアはバーバラの体をひしと抱きしめたまま、ぐっと目を閉じた。
もう駄目なのか。ここまで頑張ったのに、全部無駄だったのか。
「そんなの、嫌……」
それが彼女の最後の呟きになった。
「セガールの兵士よ!武器を捨ててこの場を離れなさい!」
声が響いた。凛とした女性の声。
クレアは驚き眼を開けてみると、自分の前に一人の女性が立っていた。
知らない女性。でもなぜか既視感を覚える綺麗な銀色の髪。
一体この人は誰なのか。しかし彼女の言葉通り兵士達は武器を捨てると全員ばらばらにこの場を離れ始める。
「い、一体なにが……」
目の前で起こっている状況が分からずにただ茫然としているしか出来ないクレア。
「ちょいと失礼」
の前にもう一人、その人は現われた。
その人は現れるなりバーバラに向かい拳を振り上げる。
クレアは、その人の顔を見ると、すぐに笑顔を取り戻した。
「ジン様!」
「おうよ、天堂ジンの帰還だ!」
ジンはバーバラの傷に思い切り、ステータスのバグった攻撃をぶち当てた。




