閑話 シングルマザー奮闘記
佐々木佳代 55歳 女性 バツイチ
私には、もうすぐ32歳になる一人息子がいる。今でこそ立ち直ったけど、一時期は大変だった。自室に閉じこもり外に出ようとせず、どんなに説得しても働こうとしなかった息子。あの子を産んでからずっと一緒だったからわかる。あの子は愚痴をこぼすのが下手で、人付き合いが苦手な子だ。
「言い訳をするな」なんてお説教をする人もいる。
確かにTPOを弁えて、黙って相手の説教を聞く姿勢は大事だ。
自分の意見を言うべきところを間違えてはいけない。タイミングが大事。
長いこと社会で生きていれば、自然と理解してくることなのよ。
でも、あの子は言い訳をしない。いいえ、できないのだと思う。
でも、それはダメなの。一番ダメなことだと私は思うの。
自分の意見が言えない、自分の思いを伝えられない。それは、周りからは大人しく素直と思われるかもしれないけど大間違いなの。
それは自分を殺すこと。自分を押さえつける、抑圧しているだけ。
いずれストレスは溢れ出す。いつか決壊するダムのように壊れてしまう。
自分の思いを語ろうとしない。その結果、ストレスの発散が自虐につながってしまう。そんな、コミュニケーション能力が著しく低い性格なの。そして、それは、私のせい。わかっている。
全部わかった上で、社会復帰を促すしかない。人として生きてほしいから、そう言うしかない。
なぜ、こうなってしまったのだろうか。
あの子が小学生の頃、私は夫と離婚した。
お付き合いしている時は優しい人だった。働き者で私を気遣ってくれる、頼れる人だった。
でも。結婚後、長くは続かなかった。
働かなくなり、金をせびり、暴力を振るう。
手にした金で遊びに行き、お酒に注ぎ込む。
それを正そうと、周りに相談したりと自分なりに頑張った。
でも、ダメだった。諦めてしまった。息子に偉そうに説教する資格なんてない。
離婚を決めて、息子は私が育てることになった。
夫の両親も私に味方をしてくれて、拗れる事もなく離婚が成立した。
あの時、幼い息子はどう思っていたのだろう。
あの子は周りを気遣ってか、本心を語りたがらない。
本心を語らないのは億劫なのか、気遣いなのか、計算なのか。
あの時の私にはわからない。でも、自分の意見はきちんと伝えなさいと教えることにした。
これからは私が働き、この子を育てなきゃいけない。
立派な社会人に導く。それが親の勤めだと思っている。
そしていつか、孫の顔が見てみたい。それがささやかな夢だ。
その為に、息子には塾に通わせて勉強させなくちゃ。
将来、和真が大人になり社会人となるために。
でも、現実はうまくいかなかった。
離婚した夫は養育費をまったく払わなかった。
シングルマザーの私は、懸命に働いてお金を稼ぐしかなかった。
勿論、両親には相談して協力してもらった。
私は仕事で精一杯。だから母に和真の面倒を頼み、遅くまで働いた。
今思えば、それが原因の一つだったのかもしれない。
私からの愛情を伝えるのが不十分だったのかもしれない。
あの子の精神が、社会人として育たなかったのは……。
教育とは難しい。理想通りの子育てが出来る人を羨ましく思う。
そして時は流れた。
息子はすくすくと成長し、高校生になり身長は180を超えた。
少し筋肉が足りてないけど、背が高いと凛々しく見える。親の欲目だろうか?
学力は平均よりやや上、運動は平均的。でも、英語は苦手。そんな子供だった。
大企業に就職なんて無理な願いを言うつもりはない。
中小企業だって問題ない。大事なのは働くこと。社会と繋がることなの。
そして、できれば仕事に誇りを持って生きて欲しい。それだけが願いだ。あと孫も。
和真の高校卒業が間近に迫ったあの日。
私の両親が交通事故で亡くなった。
対向車が反対車線を走行し、正面から突っ込んできたのだ。
相手の運転手は無事で、アルコールが検出された。
それからのことは思い出したくない。
裁判の準備、葬儀の準備、親戚とのやり取り、相続の手続き。
何もかもが苦痛だった。思い出したくない悲しい記憶。
通夜でも葬式で、和真は泣いていた。
私も泣いた。
高校卒業後、和真はすぐに就職した。
家から近い工場で、正社員として働き始めた。
もう立派な社会人だ。私にとっては一段落と言える転機。
育てた雛が巣立っていく感覚。まぁ、一緒に暮らしているんだけどね。
私としては、そろそろお嫁さんを見つけて孫を見せて欲しい。
それが正直な気持ちだった。でも、今時の子は30前後で結婚も珍しくないし焦る必要はない。
焦らずとも、そのうち結婚するでしょう。多分、きっと、孫の顔が見られるはず。
そんなことを思っていた時期もありました。はい。
そんなある日、息子が愚痴をこぼしたのを覚えている。
珍しいことで、私にとっては新鮮な出来事だ。
私にすら愚痴や人の悪口を言わないのに、何があったのだろう。
それ以上に、自分の思いを伝えてくれて嬉しかった。
私は愚痴を聴き、ストレス発散に付き合った。
いい機会だ。ストレスの吐き出し方を教えるチャンスだ。
私は息子とお酒を飲み、お互いに会社の愚痴を言い合った。
今思えば、あれが息子のSOSだったのだ。
なぜ、気づいてあげられなかったのか。
想いを伝えることが苦手な息子が、言い慣れない愚痴を突然言い出す不自然さに。
私が気づくべきだったのだ。
「あれ? 和真、仕事の時間よ。大丈夫?」
「……」
土曜日、私は休みだが息子は仕事の日だ。
会社の出社時間なのに和真が出てこない。
有給でもとったのか、なぜ出てこないのか。
「ねぇ、聴いてる? 返事くらいしなさい」
「……休みだよ」
「有給? 連休じゃない、良かったわね。たまにはゆっくり休みなさい」
「……」
手遅れだった。
私が気づいたのは、息子が部屋から閉じこもって出てこなくなった後だった。
息子は、すでに会社を退職していた。
最初は一時的なもので、ゆっくり休めば再就職先を探すだろうと楽観視していた。
私の悪い癖だ。息子を責める資格なんてない。
1年、2年、3年。
ずるずると時間は過ぎていく。
1年目で私は焦りを覚え、息子と話し合おうとした。
しかし、部屋に閉じこもり会話に応じてもらえなかった。
無理やり部屋を開けようにも、鍵をかけられ物で塞がれている。
「お願い。外に出てきて。大丈夫よ。まだ若いんだから」
私なりに精一杯やったと思う。
無理やり引きずり出そうとも考えたが、力で勝てるわけがない。
更正させる業者に頼もうともしたけど、そこまでするべきか迷っていた。
時間だけが無情にも過ぎていく。
生活がある。私も働かなくてはいけない。説得に費やす時間もあまりない。
そもそも聞く耳を持たない相手に説得は通じない。
少しずつ、少しずつ。私も諦念を抱き始めていた。
「私は働いているのに、部屋で楽に過ごせていいわね。羨ましいわ」
つい、口から出てしまった。
会社のストレス、息子の将来への悲観。
私にも暗く澱んだ感情が溜まっていたのだ。
嫌な考えが口からこぼれ始める。
それは、本心でもあり言いたくなかった言葉。
「働かないで食べるご飯は美味しい?」
「和真の同級生の子、結婚したのに。あ~あ」
「あんたより辛い人はいっぱいいるのよ。甘えよ、甘え」
「怠け者の息子を持って、私悲しいわ」
次々にこぼれ落ちる本心《悪意》。
それがどれだけ相手を傷つけて追い詰めるのか。
ただ、その言葉は正論である以上、正義。
私は働いているのだから、働かないものを否定する資格がある。
心の何処かで、そう思っていたのだろう。
「早く働きなさい」
「いつまでそうしているの?」
「日本で生まれた時点で幸せなのよ? 何でそれがわからないの!?」
「勇気を出しなさい。子供でも持ってるわよ」
止まらない。止まらない。止まらない。
「働かなきゃ人間失格よ」
「もう大人なんだから、しっかりしなさい」
「情けないと思わないの? 恥ずかしくないの?」
「あんたなんて、産まなきゃよかった……」
言ってしまった。
その言葉を、言ってしまった。
自分でも止められなかった悪意の塊。
子供の存在を否定する最悪の一言。
親として失格だ、母として最低だ。
私はすぐに後悔した、言うつもりじゃなかった、勢いだった。
でも、もう取り返しがつかない。
ドンッ ドンッ ガシャンッ
息子が壁を殴りつける音が聞こえた。物を壊す音が聞こえた。
何かが割れる音、泣き叫ぶ声、罵詈雑言。
ダムが完全に壊れる瞬間。
息子に、その声に、その音に、その光景に、その瞬間に。
私は恐怖した。私は後悔した。私が引き金を引いてしまった。
和真は、さらに塞ぎ込んでしまった。
彼自身が一番もがき苦しんでいただろうに……。
もう、ダメかもしれない。私はそう思った。
それ以降、私は息子に話しかけることはなくなった。
最愛の息子から逃げたのだ。
辛い。私も辛い。何故、どうして、うまく行かないのだろう。
夫と離婚して、両親が死んで、一人息子が引きこもった。
人生が辛すぎる。もう、私も嫌になってきた。誰かに助けてほしい。
しかし、無情にも私の体は弱り始めた。
それも当然だ。もう私は五十路になる。
重いものなんて手首が痛くて持ち上がらない。
毎日のように肩は重く、目眩を起こす日が増えた。
息子を出産後、20年近くも事務として頑張ってきた働き先。
そこにも体調不良で迷惑をかけ始めてしまった。
年齢から見てお局だ。早く若い子に代えろと思われているに違いない。
……潮時なのかな。
私は意を決して上司に相談し、早々に退職が決まった。
退職金も出してもらえるし、生活もしばらくは大丈夫だろう。
少し寂寥感を覚えながら、私はパートとしての生活を始めた。
もう、正社員は厳しいと思う。体調不良で迷惑もかけたくない。
それ以上に疲れたのかもしれない。
これから我が家はどうなるのか。
息子は、ちゃんと生きていけるのだろうか。
孫の顔が見たかったな……。
その時の私はそう考えていました。
そして、再び時間は進み。
運命の日。
突如、体を突き上げるような強烈な揺れ。
地球が割れたのかと錯覚するほどの大地震。
警報が鳴り響き、外からは建物の倒壊する轟音が響き始める。
周囲からは悲鳴が上がり、多くの人が狼狽していた。
その時、私はパートの仕事で簡単な事務をしていた。
咄嗟に机の下に避難したのが幸いして無傷だ。
辺りを見渡すと多くの棚は倒れており、壁はひび割れて窓ガラスが割れている。
先ほどまで整理され綺麗だった新築の建物とは思えない。
もう仕事をしている場合ではないと、揺れが収まるのを確認して我が家へと駆け出した。
外に出て愕然とする。
道路が割れている。地面が液状化している場所もある。
電柱が倒れ、火花が原因で出火している建物もあった。
倒壊に巻き込まれたのか、どこからともなく呻き声も聞こえる。
阿鼻叫喚の地獄だ。眼前に地獄があった。
私は恐怖に陥り老いた体に鞭を打つ。
「和真! 和真ぁ! お願い、無事でいて」
心からの叫びだった。
どんなにダメな息子でも、どんなに未来が暗くても。
私にとってはたった一人の子供なのだ。
見捨てることなんて出来ない。
私は必死に家を目指した。
地面の割れ目を飛び越えて、段差が出来た道を這い上がる。
火災の熱になど負けない。そんな時間はどこにもない。
私は全ての力を振り絞って家へと急いだ。
そして。
「和真!」
家の前、そこには最愛の息子が立っていた。
倒壊した我が家を呆然と眺めて佇む我が子。
私は泣き出して後ろから抱きついた。
「和真! 良かった、無事だったのね。本当に、良かった……」
安堵。
それが、私の中に満ちた。
◇
あれから避難所生活を送っている。
家の近くの小学校だ。そこで配給される少量の食料で生き延びている。
何もかもが不便だ。お風呂になんて入れない、体を拭くので精一杯だ。
不幸中の幸いなのは、息子が家を出るときに避難用具が入った緊急用のリュックを持ち出していたことだ。親の欲目だと思うけれど、しっかりと準備しているのは流石と思う。
しかし、あれはなんだったのだろう。
大地震から一ヶ月ほどが経ったあの日。
自称神様が私たちに力を与えたと言う。
実際にだけど、私の体も光り輝き不思議な感覚を味わった。
しかし、それだけだ。それ以降は何の変化もない。
不思議なパワーも特に使えない。謎だ。
本当に神様だったのだろうか? 少なくとも、周りの避難者はそう信じているらしく、祈りを捧げている。最近では特に目立つ光景だ。正直、私にはよくわからない。いたらいいなとは思うけれど……。
いるのなら、すぐに助けてほしい。
人手が足りないのか、自衛隊も警察もここにはいない。
都心部の重要な場所などに人手を割いていると噂で聞いた。
そのため、治安も悪く物資も少ない。
周りはお年寄りが殆どで、道路が酷い状況なので移動もできない。
このままだと餓死者が出る。いいえ、それだけじゃない。
化物だ。
化物が出るらしい。人を襲い、人を殺す化物が。
自衛隊も警察もいない避難所で、そんな化物が出たらどうなるか。
頭の悪い私にもわかる。
だから、神様。お願いします。どうか助けてください。
そう願ってしまうのは傲慢だろうか。
避難して約3ヶ月が経った。
もうダメかもしれない。
食べ物が残りわずかだ。相変わらず電気も使えない。水も足りない状態だ。
瓦礫に埋もれた死体のせいか、遠くから異臭もする。衛生が最悪だ。
動ける人は移動してしまい、ここには老人と諦めた人だけしかいない。
私もここで死ぬのかな。
いい人生とは言えないね。でも、息子が隣にいる。
最後は息子と一緒か。孫の顔が見たかったけど、仕方がないね。
せめて、せめて『最期』まで。一緒に。
「母さん、無駄かもしれないけど最後まで頑張ろう」
そんな時、食糧不足で痩せこけた息子が言い出した。
右手に金属バットを握り締め、どこかへ向かおうとしている。
どこへ? わかってる。多分、化物と戦うためだ。
周りから聞いた話だけど、駅前にはダンジョンが出現したらしい。
そこからついに化物が出たと騒いでいた。周囲の人たちは諦念からか動かない。
ただ怯えて震えているだけだ。そして、私も。
「あんただけでも逃げなさい」
私は言った。
息子は化け物と戦うとは言ってないけど、私は確信していた。
この子はそういう性格だ。きっと不安にさせないために説明しないのだ。
だから、無理なことはしないで一人ででも逃げて欲しかった。
本当は最期まで一緒にいたいけど、息子一人でも生きて欲しい。
「大丈夫だよ」
その思いは通じず、息子は一人で消えていった。
私は動けなかった。諦念。諦めていたのだ。
あぁ、本当に。本当に情けない親だ。息子を責める資格なんてない。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
本当に、今までありがとう。
私は目を閉じて、静かに祈った。
奇跡があるのなら、どうか息子を守ってください。
そう願った。
そして。息子は帰ってきた。
神様、ありがとうございます。
それがあの時の私の想いでした。
それからすぐ、電力は復旧しました。
新たな配給も届き、なんとか持ち直したのです。
息子が化物の肉を食べようと言い出した時は正気を疑いましたが、今となっては英断に思います。少しずつ日本は落ち着き、食料事情も改善していきました。
この、終わりそうな世界で。
息子と一緒に暮らす日々。将来は暗いですが、何とか生きています。
あの日以来、息子は働くようになったのです。
化物を倒し、人助けをして、瓦礫の撤去を手伝い、私を守ってくれています。
「母さん。あんま無理しないでいいよ。後はやっておくから」
「母さん。俺、冒険者になったよ。給料も稼げるから、なんとか頑張るよ」
「どう? オオネズミの肉、結構うまいでしょ。味がしっかりしていて美味しいよね」
「俺が稼ぐから、母さんは家事をお願いね。戸締りに気をつけてね」
息子の口数も増えて、一緒に食事をとっています。
昔と比べれば不便ですが、生きることはできています。
新しい住まいも手に入れて、親子二人。なんとか過ごしています。
お父さん、お母さん。天国で見ていますか?
貴方の孫は元気ですよ。あぁ。私も、そろそろ孫の顔が見たいわ。
そう言えば、お見合いの話も来てるから、ちょっと相談してみましょうか。
どうやらその子、息子に助けられたことがあって好きになったみたいね。
まだ若いけど、将来結婚すればいいんだし、婚約なら問題ないでしょ。
12歳だけど、将来に期待ね! それまで息子を好きでいてくれるといいけど……。
まぁ、ダメ元よね。




