凡ミスに気がつく
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい。お昼ご飯できてるわよ」
息子の無事な姿を見て、心なしか嬉しそうに笑う母。それを理解している和真もまた、自然に安堵の笑みを浮かべる。玄関にリュックを下ろして防具を外す。風呂場で体の汚れを軽く拭いて落とす。未だに貴重な水の節約だ。
クイーンラットは昼食の後に解体して冷蔵庫に保管する。我が家の保存食にするつもりだ。
そしてお待ちかね、今日の昼食はオオネズミの挽肉で作ったハンバーグである。
家庭菜園で作ったジャガイモと人参と一緒に、玉葱をすりおろした醤油ベースのタレをかけて一口。
「美味い」
「んふふ。でしょう」
ダンジョンでの出来事を話し、これからの予定を伝えておく。モンスターの駆除を請け負っているのは和真一人ではないのだ。すれ違った人もいるし、複数のパーティでモンスターは駆除されていく。午後には比較的安全に動けるはずなので、特に危険は残っていない。それを理解している母は、夕飯の献立を考え始める。
「今日はさっそくクイーンラットのステーキにしようか」
「いいね。熟成肉も好きだけど、新鮮なのも美味いからね」
「じゃあ、ステーキで決まりね」
夕飯の献立も決まり、二人は昼食を食べ終えた。
母は片付けをして、和真はクイーンラットの解体に取り掛かる。
庭の木に吊るしての解体だ。通常なら時間もそれなりにかかるが、ステータスが成長している今の和真は難なく解体をしていく。
30分ほどで解体は終わり、部位ごとに分けてビニールに入れる。そして冷蔵庫や冷凍庫に入れて終わり。
母に一部を保存食にするように頼み、午後の仕事に出かけるのであった。
午後の内容は単純。今朝に狩ったオオネズミをリュックに詰めて肉屋に売りに行くだけだ。
リュックにオオネズミは二匹しか入らない。クイーンは一匹で限界である。そのため、まずは肉屋に行く。
駅前ダンジョンから徒歩10分。そこに、モンスター避けの柵に囲まれた大きい肉屋がある。ここでは荷車を借りられて、手数料を払えば皮も剥いで処理してくれる。行きつけの肉屋だ。ちなみに、荷車の貸出は無料である。
「こんにちはー。オオネズミを運ぶのに荷車を借りたいんですが」
「あー、佐々木さんか。裏にあるの使っていいよ」
「ありがとうございます。お借りします」
裏手に回り、大きめの荷車をガラガラと引いていく。あとは駅前で停めておき、ダンジョンと荷車を往復する地味な仕事をするだけだ。そしてオオネズミを集めておいた場所に行くと、明らかに数が減っている。 だが、いつものことだ。
ダンジョンに吸収されたかモンスターに奪われたか、または他の冒険者に盗られたのだろう。証拠なんてないから、気にするだけ時間の無駄だ。残ったオオネズミをリュックに入れて、黙々と往復して荷車に積んでいく。
結局、数は8匹になっていた。問題ない、いつものことだ。パーティなら見張りなどで手分けできるが、和真は一人なのだ。こういったデメリットは常に重く伸し掛る。避けては通れない孤独な道だ。和真は悲しそうに荷車を引いて肉屋に向かった。
「どうもー佐々木です。オオネズミ持ってきました。血抜きと内臓取りは終わってます」
「おーう、お疲れ! じゃあ、確認するよ」
「お願いします」
「にーしーろー、オオネズミ8ね。皮はすぐ剥げるけど、いつもの値段でいいかい?」
「はい」
「まいど!」
確認作業もすぐに終わり、裏手に荷車を戻して待機する。
しばらくすると、先ほどのおじさんが店の裏口から現金をもって出てくる。
封筒に入れたりしないで裸のままだ。
「お待たせ。8匹で307kgだったけど一桁は切り捨てで。で、相場はキロ300円だから9万で買取りするよ」
「ありがとうございます」
「またよろしく!」
肉屋の禿げたおじさんは、とてもいい笑顔の挨拶だった。
手渡された9万を数えて財布にしまい、本日の仕事を全て終えた和真は我が家へと帰路に就いた。時刻は午後4時半、あとはゆっくりと家で過ごす。
「ただいまー」
「おかえりー。今日も一日ご苦労さまでした」
これが佐々木和真という男の日常である。
あとは稼ぎを母に預けて風呂場で体を拭いて夕飯を待つだけだ。
洗濯物は母の仕事。防具や武器は自分でメンテナンスをする。
もっとも、汚れを拭いたり破損がないかを確認するだけだが。
「ステーキできたわよー」
母の呼び声が届くと、和真はすぐにダイニングキッチンに向かう。食卓にはすでに香ばしい料理が用意されており食欲を刺激される。夕飯はクイーンラットのステーキと、ご飯にカブとキュウリの漬物だ。
「「いただきます」」
こうして、佐々木家の仲睦まじい晩ご飯は始まるのだ。
「どう? 午後は何かあった?」
母から会話を始める。それぞれの出来事や気になる話題を話し合う。そういった食卓を好む佐々木佳代の毎日の日課である。
「……そうだね。ダンジョンに戻ったら仕留めたネズミが減ってたよ。今日が初めてじゃないんだけどね。やっぱ盗まれてるのかなぁ」
「えっ!? そんなことする人いるの? なにそれ、腹が立つわねぇ。でも、初めてじゃないなら何で対策しないのかしら。事務所への報告を後回しにして肉屋で売るのを先にすればいいんじゃないの? 何か理由があるの?」
「――――あっ」
「えっ!?」
「「…………」」
沈黙する二人。一方は自分の間抜け具合による恥ずかしさで。もう一方は抜けてる息子に呆れて。場の空気は何とも言えない気まずさに満ちていく。そう、和真は抜けているのだ。少し考えれば気づきそうなことを気づかないことがよくある。彼自身もそれを自覚しており、同時に悩んでもいる。所謂天然なのだ。少し耳が赤くなっている。
「うん。美味い。やっぱりオオネズミよりもクイーンラットの方が旨味があるね」
空気を変えるための強攻策に出た和真。
今までの流れを無視した料理の話題に進路変更である。
「そうね。やっぱり美味しいわ。健康にも良さそうだし」
それを瞬時に理解して流れに乗る母。
「そうか、よかった」
「ふふ」
食卓の空気が正常に戻る。これもまた、佐々木家の食卓のいつもの光景だ。
「でも、母さんの体調が良くなってよかったよ」
「全部和真のおかげよ。なんだか力が湧いてくる気がするわ!」
気がするのではなく、実際に湧いているのだろう。一時期、和真の母は体が弱っていたが今では健康体だ。いや、若返ったと言っても過言ではない。活力に満ちて肌にハリがある。皺も少なくなり40代と言われても疑わないだろう。
SNSでもステータスの強化だけでなく、若返り効果など様々な効果があると多くの証言が書き込まれている。研究機関では現在調査中だが、ほぼ間違いない確かな情報と考えられている。やはり、モンスターの肉には何かがあるのだろう。
そしてもう一つ。モンスター肉の効果は、そのモンスターが強ければ強いほど特殊な効果も比例して高まると言われている。これは確定ではないが、和真は正しいと考えていた。それは、オオネズミとクイーンラットでは食べた時のステータス上昇量が違うからだ。
いずれ、その辺りは研究機関が突き止めて、正式に発表されるのだろうな。などと考えているうちに、夕食をペロリと平らげた和真。
こうして、おいしい食事を堪能して眠りについて一日が終わる。
……はずであったのに、今日はここから最大の波乱が待っていた。
「「ごちそうさまでした」」
「ところで和真。お見合いの話が来てるんだけど」
「――――ッ!? ゲハッ ゴハッ ゴホゴホッ」
「ちょっと、大丈夫和真?」
突如母から放たれる爆弾発言。思わずギョッとして咳き込み始める和真。
彼にとっては青天の霹靂であった。
「か、母さん。お見合いって、俺に? 冗談でしょ、相手にされないよ」
「そんなことないわよ。冒険者の稼ぎはいいから、か弱い女性に人気なのよ?」
母の言葉は事実である。
身を守る手段が求められる混沌とした治安において、ステータスを鍛えている冒険者は憧れの存在である。もっとも、最弱のモンスターを倒すだけで表示上では簡単になれるのだが、冒険者組合に所属して積極的に活動している男性は強い傾向にあった。
そのため、組合に所属している独身男性の需要はそれなりに高いのだ。
この事実は和真も理解しており、ふと以前に見たSNSの書き込みを思い出した。
ID:1「この前さ、モンスターに襲われてた女性を助けたんだわ。ギリギリ間に合ってホッとしたよ。それで、その後その子に惚れられて告白された。ぶっちゃけ好みじゃないので断ったんだけどね。それから女性がワラワラ寄ってくるようになってモテ期に突入したわ」
ID:46「羨ましいshine」
ID:87「お前、冒険者組合に所属してるだろ?」
ID:1「ああ、してるよ。何でバレたし」
ID:87「やっぱりね。今、組合所属の冒険者ってだけでモテるらしいよ。稼げるし」
ID:46「ちょっと冒険者になってくるわ」
ID:53「いてらー。お墓準備しとくね^^」
ID:1「いてらー。そうだったのか、確かにモンスター倒せるなら良い仕事だからなぁ」
ID:87「だな。実は俺もそうなんだけど食い放題だもん。彼女5人いるし」
ID:46「shine」
そんなやりとりがネット上で溢れかえっていた。死ぬ危険性は高いが、金を稼げる強い男というのは、いつの時代でも女性に人気なのだろう。上位の冒険者に至っては、一日で簡単に百万二百万を稼いでしまう。
ダンジョンで稀に見つかる宝箱。その中身次第では数千万、いや、数億円もの値段がついた前例があるのだ。夢や浪曼を求める男性にとって大人気の職業になり始めていた。
「でも、俺はまだ弱いし。トップ連中とは収入が違いすぎるよ」
「何言ってるの! 今日だって14万も稼いできたのよ? 十分じゃない」
「物資不足で物価自体が高騰してるから、相対的には不十分だと思うよ」
「生活するには十分でしょ! 相手も承知の上で話が来たんだから」
「いやぁ、でもね。その(孤独の特性のせいで絶対に結婚できないと思うんだ)」
「……もうすぐ32歳になるのに、結婚しないつもりなの?」
母の視線が突き刺さる。
追い詰められる和真。別に願望がないわけではないのだ。それ以上に自信がなく、特性の件で悲観的になっているのが主な原因である。すでに生涯独身は覚悟しているのだが、本音を言うと母が消沈しかねない。それが理由で多くを語れないでいた。
「わ、わかったよ。多分断られると思うから期待しないでくれ」
「会うだけ会ってみなさい。じゃあ、この話は決まりね」
「……わかった」
母の威圧に強引に押し切られた和真はしぶしぶと承諾する。
どうせ時間の無駄だろうにと思いながらも一番大事な質問を忘れていたので母に聞く。
「あー、そうだ。相手の年齢は?」
「12歳よ」
「ぶっ!」
和真は即断った。




