日銭稼ぎ
(では、行きますか)
右手側の道を進むことに決めた和真。
ここからは技能の『隠密』を発動して移動する。
今の和真にとって低階層のモンスターは油断さえしなければ驚異ではない。
それに多数に囲まれる事態になっても、生き延びることは可能なのだ。
できれば避けたい事態だが、最悪の場合でも切り札があるのは心に余裕を生む。
和真は忍びながらも獲物を求めて、怯えを見せずに一本道を進んでいった。
昔の彼を思えば立派になったものだ。きっと誰もがそう思う孤独な戦士に成長していた。
それでも薄暗い坑道の中で、敵の気配を探りながらの移動は集中力を多く使う。
その緊張や疲れを感じさせない彼の表情は、頼れる男の顔つきに見える。
(そろそろ開けた場所に出るな……)
徐ろに、左腰に下げたビニール袋を確認する。
これが活躍する時が来たのだ。
開けた場所の手前、坑道の通路でメイスを地面に置きビニール袋を右手に持った。
そして。
ぶんっ 『投擲』発動。
勢いをつけて全力で開けた場所に投げる。投擲の発動により速度と飛距離が上昇している。直後、びちゃりと臓物の撒かれる嫌な音が辺りに響く。
鼻を刺激する悪臭が漂い、血の匂いが際立つ。すぐさま地面に置いたメイスを右手に持ち直し、周囲を警戒して身構える。
ペタ ペタ ペタ ペタ
それは、少しずつ、少しずつと近づく生々しい音。足音のようだが、オオネズミとは差異を感じる響きだ。
静かに、警戒するように歩いているようだ。それがオオネズミとの違いである。
和真が何度か聞いた覚えのある音と気配。和真はこの足音の主を狙っていたのだ。
ぢゅうぢゅう
オオネズミよりも悍ましい何か。不気味に掠れており、聴く者の神経を逆なでにする不快音。
その気持ちの悪い鳴き声に特徴がある。
しかし和真は、狙い通りに獲物が現れてくれてほくそ笑む。「今日も稼げる」と。
「こっちだよ」
ぢゅうっ!?
和真の声に反応して、再度気色悪い鳴き声を上げる生物。それを真正面から捉える。
どうせ距離があり、隠れる場所もないので不意打ちは厳しい。
ならば、広い空間よりも狭い通路で迎え撃つ。囲まれないための行動だ。
通路の広さは人が二人並べば余裕がなくなる。そのくらいの狭さだ。
和真は腰を落とし、盾を構えて迎撃の姿勢を見せる。
ぺたぺたぺた ちゅう ちゅう ぺたぺたぺた
「そうだ、もっと来い」
さらに通常のオオネズミも集まりだした。
どうやら開けた場所には多数のモンスターがいたようだ。
オオネズミにはいくつかの習性があり、その習性を生かして和真が集めたのだ。
それは、仲間の血の匂いに集まるというものだ。
嗅覚自体は優れていないが、内蔵の臭いなどの濃い臭気であればそこそこの範囲に届く。
その結果、わらわらとオオネズミが集まりだした。そして、一匹だけ大きさの違う個体が目に映る。
ぢゅう
それは、オオネズミよりも2倍は大きい醜悪なネズミ。成人男性をも圧倒する存在感を放つモンスター。 オオネズミのボスであり母、クイーンラットである。その後ろには通常のオオネズミが10匹は見えている。間違いなく群れだ。
和真は長期戦を覚悟して気合いを入れ直す。
カチカチとクイーンラットは凶悪な前歯で威嚇音を出して近づいてくる。
ペタ ペタ ぺたぺたぺた
ジリジリと距離は縮まる。
しかし焦らない。和真は焦らずに盾を構えて迎撃を狙う。
下手に動くよりは盾とメイスを上手く使い、狭い通路で戦う方が有利だと経験上学んでいたからだ。
この程度の数であればなんとかなる。切り札もあるし負けはない。和真は冷静に状況を判断した。
そして。
ぢゅうぅあぁっ
これまで以上に不気味な鳴き声とともにクイーンラットが攻撃命令を下す。
その合図と同時にオオネズミが和真目掛けて突撃を開始した。
闇雲な攻撃ではなく、他の個体と連携した戦術である。
クイーンラットという群れのボスがいるからこその戦いを、オオネズミは始めたのだ。
「ふっ!」
和真が力を込めて左手を振るう。左右真正面、3方向からの同時突貫攻撃を放つオオネズミに対して、和真は盾を右側から裏拳の要領で反時計回りに殴りつける。
ドンッドンッドンッ
重量物に3度当たる音が響く。三匹目への威力は相当下がっているが、それでも吹き飛ばすには十分だ。盾での攻撃はノックバックによる時間稼ぎでしかない。吹き飛ばされたオオネズミの下方より、第2陣のオオネズミが和真の喉元を目掛けて飛びかかる。
ドスンッ
重い音。
すかさずメイスによる一撃が頭部を粉砕する。強打と命中、そしてクリティカルの発動した一撃だ、手応えは十分。続いて、さらに後続のネズミより左右からの突貫攻撃が放たれる。振り下ろしたメイスを正眼の構えにして盾とともに左右からの攻撃を打ち払う。
ドンッという重い衝撃とともに、二匹のオオネズミは後方に吹き飛ぶ。そして、最初に弾いた三匹のオオネズミが立ち上がり、再び攻撃に加わってくる。
ドンッドンッ グシャッ
盾とメイスで弾き飛ばし、隙を見て頭部を砕く。砕かれた頭蓋は血飛沫と混ざり、汚い染みを地面に残す。そんな攻防が続き、一匹、また一匹とオオネズミは数を減らしていった。しかし、連続で休みなく動いている和真は次第に呼吸が荒くなる。汗も吹き出し、ジリジリと通路の後方に押され始めていた。
「ふうーふうー」
肩で息をして酸素を取り込む。顔からは汗が流れる。
オオネズミの数は随分減った。そこで、ついに真打は和真の前に立ちはだかる。
ぢゅう
大きい。まさにオオネズミのボスという体格だ。180を超える身長の和真が圧迫感を覚える。これで数度目の対峙だが緊張は隠せない。敵意と殺意に満ちた視線を和真に向けてくるクイーンラット。
カチカチという威嚇音が辺りに響き、和真の脈が早まっていく。
「来いっ!」
それが合図となった。
和真の声と同時にクイーンラットが真正面から突撃する。
考えなしの力任せ、戦術などなくなっていた。しかし、質量による突進攻撃ほど怖いものはない。
迫り来る凶悪な前歯、醜悪な体躯。それらが目の前で加速してくるのだ。恐怖で体が震えるのを感じる。
「はああぁぁっ!」
気合一発。
恐怖も震えもねじ伏せる咆哮。
クイーンラットの突進に対して盾を構えて迎え撃つ。
腰を落として足を踏ん張り、力比べに和真は出た。
受け流すことはできない。正確には受け流すとクイーンラットとオオネズミに挟撃される配置になるからだ。それは下策。ならば、真正面から全力で押し返す。その可能性があるからこその判断だ。
ドゴオォンッ
空気が震えるのが分かるほどの音が響く。
重量物同士が衝突した光景を音だけで幻視できる迫力だ。
和真とクイーンラット。その両方が弾かれ後ずさる。引き分けだ。
しかし、だからこそ得物の長さが有利となる。
同時に体勢を整えて、両者が攻撃に転じる。
クイーンラットは剥き出した前歯で攻撃するために、再び間合いを詰めようと行動した。
――――がっ。
ズガンッ
クイーンラットに衝撃が走り重低音がなる。
なぜなら和真にとって、間合いを詰めるという動作が不要な距離なのだ。
それが得物を持つ人間の優位性である。強打と命中、そしてクリティカルが発動したメイスの一撃がクイーンラットの頭部に直撃して体勢を崩させる。
さすがはクイーン、オオネズミと違い一撃程度では倒れない。ボスとしての強さ、群れを率いる個体としての意地は見事だ。しかし、体勢を崩した相手に時間を与えるほど和真は素人ではない。
ドスンッ ズガンッ ドゴンッ バキョッ
無慈悲な連続攻撃がクイーンラットを襲う。その先に待っている結末は明らかだ。
連続した破壊音が頭部から発せられ、その度に血飛沫が和真を汚していく。
そしてクイーンラットの体が地面に崩れ、ズタズタに破壊された頭部が命の灯火が消えたことを教えてくれる。
クイーンラットの最期だ。
「……ふぅ。なかなか強かった」
その後、ボスが倒されても戦意を失わないオオネズミ達を駆除するまで、大した時間はかからなかった。
終わってみればあっけない。オオネズミ13匹とクイーンラットの群れだったようだ。和真は耳を切り落とし、血と内臓だけを取りクイーンラットをリュックに入れる。入りきらないオオネズミは、一箇所にまとめて後で取りに来る。運が良ければ残っているだろう。
「疲れたな。……戻るか」
それは狩りの終わり。
和真は十分に駆除を終えたと判断して、疲れた足で復興支援事務所に向かうのであった。
◇
「駆除報告に来ました」
「おう、お疲れさん。無事だったか」
事務所に着く頃。空の頂点に太陽は昇り、もう昼飯時になっていた。程よい空腹感を抱きながら、和真は先に報告を済ますことにする。
「はい。これが証拠です」
そう言って、証拠となる耳が入った袋をカウンターに静かに置く。僅かに血の臭いが室内に溢れ、鉄臭さが鼻腔を刺激する。もう慣れているが、新人の頃は気分が悪くなる臭いだ。担当の隣にいる受付の年配女性が顔を顰めている。
「確認する」
担当の男は袋を取り、封を開けて中身を取り出す。カウンターには確認用のスペースがあり、汚れにくい抗菌性のプラスチックで加工されて出来ている。そこで一つ二つと数えていく担当者。その途中で彼は手を止めて声を漏らす。
「お。クイーンも駆除したのか、助かる」
彼が礼を言ったのには理由がある。実はクイーンラットは意外と厄介なモンスターなのだ。個体の強さでは実力のある冒険者にとって驚異ではない。しかし、クイーンラットは群れの形成と指揮、そして繁殖による増加など面倒な能力を持つ害獣なのだ。特に繁殖力が異常である。
通常のオオネズミは全て雄であり、クイーンにしか子供は作れない。そのため、女王蟻のように群れのボスとして君臨する。そしてオオネズミが一定数に達すると、迷宮から飛び出て人間を襲い始める。
さらには田畑まで荒らす。
戦う力のない者や、作物を必要としている人類にとっては害獣そのものだ。オオネズミ自体の肉が食料になるとは言え、犠牲者や農作物の被害を考えると微妙である。だからこそ、定期的な駆除依頼が冒険者組合に入ってくる。特に、繁殖の原因となるクイーンラットの駆除は喜ばれるのだ。
「クイーン1匹とオオネズミ15匹か。ボーナス込みで5万だな」
「ありがとうございます」
報酬5万円。これを高いと思うか低いと思うか、人によって別れるだろう。だが危険な仕事であり死ぬ可能性もあるのだ。例えば、オオネズミを倒せた程度で調子に乗り、ステータスを育てる前にクイーンラットの群れと戦い殺される事件は毎月発生している。
そう考えると、この金額は低いのかもしれない。だが、和真の考えは逆だ。高いと思っている。しっかりと鍛えてからパーティを組めば、クイーンラットの群れで死ぬ可能性は限りなく低い。パーティを組めない孤独な戦士である和真でも倒せるのだ。つまり、パーティさえ組めれば余裕なのだ、組めればだが。
それに加えて入手した肉は売れるのだ。その金額も含めれば、日銭としては上等だ。和真はそう考えている。
「確認してくれ。サインはここな」
「はい」
担当者に封筒を渡される和真。中には万札が5枚、確かに入っている。
金額を確認し、素早く指定の箇所にサインする。汚い字だ。
「サインしました」
「おう、お疲れ様。また依頼が行くと思うから、よろしく頼む」
「分かりました。その時はよろしくお願いします。お疲れ様でした」
挨拶が終わると振り返り、事務所の扉を開けて外に出る。最後に受付と担当者に向かってお辞儀をして扉を閉めた。
社会人のマナーである。そして、和真は対衝撃ケースに入っている携帯をリュックから取り出すと電話をかけ始めた。依頼の完了を冒険者組合にも報告するためだ。そして番号を入力しながら我が家に向かって歩き始める。
「はい。こちら日本冒険者組合、依頼報告センターです」
「もしもし、佐々木和真です。依頼完了の報告です」
「佐々木和真様ですね。暫くお待ちください」
「はい」
特に保留ボタンは押されず、あの音楽は聞こえてこない。かわりにカチャカチャとキーボードを打つ音が聞こえてくる。この一時の静寂が、何故か和真は苦手であった。
「確認できました。佐々木和真さん、綾瀬の駅前ダンジョンでの駆除依頼ですね?」
「はい、そうです。後で事務所からも報告があるはずです」
「わかりました、お疲れ様です。確認次第、また近場の依頼がありましたらご連絡させていただきます」
「はい、お願いします。では失礼します」
短いやり取りが終わる。これで依頼に関する報告は終わりだ。あとは家に帰り、母が作った昼食を食べてから駅前ダンジョン内に置いてきた処理済みオオネズミを肉屋に売りに行くだけだ。それで彼の今日の仕事が終わる、はずだ。