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初日の記録-6


 ゲームにログインするための寝台の並んだ部屋を出ると、これまた殺風景な廊下に出た。

 トイレと水飲み場があるほかは何もないコンクリート製の廊下を抜けると、鉄扉のある玄関口に出た。

 ビルの非常口を連想させるその鉄扉を開くと、開いた扉の隙間から、眩しい日の光が差し込んでくる。

 ここに至って僕は、この廊下にも、さっきまでいたあの部屋にも、窓がひとつもなかったことに気付いた。


 扉の外に出ると──そこは商店街だった。


 正面にはコンビニ、その両隣りには立ち食い蕎麦屋と牛丼屋、それ以外にも回転寿司屋やラーメン屋、スーパーマーケットなどが軒を連ねている。

 僕たちの出てきた建物はと見ると、廃ビルを思わせる装飾っ気のない建物だった。


 ちなみに、そのごく普通の街並みに立つ僕とナナの2人は、寝間着パジャマ姿である。

 ……うう、なんだこれは。

 新手の虐めか?


 なお、僕も恥ずかしいが、ナナはもっと恥ずかしそうだ。


 ……うん、ナナには悪いけど、パジャマ姿で恥じらう女子の姿は、男子的にはぐっと来るものがあるね。

 胸大きいし。


 さて、とは言え、衣服の問題は現状ではどうしようにもない。

 600円じゃ服は買えないだろうし。

 いや、ものすごく安い店だったらひょっとしたら買えるかもしれないけど、そうしたら間違いなく昼飯が食べられなくなる。


 とりあえず僕とナナは、恥ずかしいのは仕方ないと諦めて、各々食事の調達に向かうことにした。

 食事後に落ち合う約束をして、僕たちは一旦別れる。




 ひとりになった僕は考える。

 さて、どこで食事をしようかな、と。


 600円あるけど、今はなるべく節約したい。

 服の問題もあるけど、それより何より、僕の予想が正しければ、この後──夜に僕らは厳しい現実に直面するはずだから、今ここでは、なるべくお金を残しておきたいところだ。


 それほど大食漢でもない程度の、平凡な成人男子である僕。

 その僕がそこそこ満足できる食事を調達するには、だいたい200~300円前後というのが最低ラインになると思う。


 200円あればカップ麺の大きめのサイズのものが買えるし、あと30円ぐらい足せば立ち食い蕎麦屋でかけそばが食べられる。

 300円ぐらいになるとぐっと選択肢が広がって、牛丼屋の牛丼だとか、弁当屋ののり弁だとか、そういうかなりちゃんとしたものが食べられるようになる。


 もちろん自炊ができればもうちょっと安上がりでいろいろ食べられるのかもしれないが、料理ができるかできないかという技術的な問題以前に、そもそも僕らには調理場が与えられていないので、それは選択肢には入れられない。


「……牛丼だな」


 僕は選択肢を一通り頭の中に思い浮かべると、何となく、そこに行き着いた。




 僕は牛丼屋に入り、適当な席に着く。

 注文を聞きに来たおばちゃん店員に、牛丼の並盛を注文する。

 僕は寝間着パジャマ姿だったけど、堂々と。

 こういう時は変に恥ずかしがったら負けだ。


 まあ、テイクアウトして件の寝台部屋で食べれば露出時間は減らせたんだろうけど、僕の中には、牛丼はテイクアウトで食べてはならないという不文律がある。

 持ち帰る間にご飯がタレを吸ってしまったら、この手の牛丼は一気に残念な食べ物になる。

 すぐ近くだからそんなに気にすることもないんだろうけど、それにしても、安っぽいテイクアウト容器じゃなく、重みと質感のあるどんぶりで食べたいという想いがある。


 注文して1分ほどで、牛丼が運ばれてくる。

 ホカホカの牛丼を見て第一チェック。うむ、見栄えは上々。肉が少なすぎるということもない。


 箸で肉を一切れつまみ、口に運ぶ。

 ジューシーな肉のうまみと、タマネギの甘みが絡まった風味あるタレ味が絶妙なハーモニーを奏で、口の中に幸せをもたらしてくれる。


 うん、うまい。ここの店員さんはいい仕事をしているな。

 僕はその牛丼の出来に満足すると、紅生姜を丼の端に一つまみだけ乗せて、一気に牛丼を掻っ込みにかかる。

 ちなみに、牛丼一口に対して紅生姜一切れというのが、僕の辿り着いた黄金比だ。


 よくネット上で、一度食べただけでどこの牛丼屋が一番うまいとかまずいとか、肉の量が多いとか少ないとか言っている素人がいるが、僕に言わせればあんなものはまったくのナンセンスだ。

 この手の店は、同じ看板を出している店でも、店によって全然味や盛り付け具合が違ったりするし、同じ店であってもその時々でかなりの差が出てくるというのが、僕のこれまでの経験から割り出された真理だ。

 どこのチェーンが一番うまいか、肉の量が多いかという話をしたいなら、せめて各チェーンで5回ずつ、店を変え時間を変え、食べてからモノを言えと言いたい。


「ふぅ……」


 牛丼を綺麗に平らげると、店員さんに温かいお茶を注文する。

 寿司屋のような質感のある湯呑みで、緑茶が運ばれてくる。

 湯呑みを口に運び、熱いお茶を啜る。


 ……はぁ。

 この、口の中に残った牛丼の脂を緑茶で洗い流す瞬間もまた、至福のひと時だ。

 牛丼に熱い緑茶という組み合わせを発明した奴は、天才に違いない。


「……お前は実にうまそうに牛丼を食うな」


 そのとき突然、隣の席から聞き覚えのある女性の声がしたので、僕は椅子から転げ落ちそうになった。




「……なっ、な、な……何でここに……」


「なんだ、私が牛丼を食べに来てはいかんのか?」


 僕の隣の席には、さっき僕とナナを中学生呼ばわりし、僕を手下扱いしてゲームの裏技の説明をさせた、ビジネスレディ風の女性がいた。

 い、いつの間に……。


「いえ、別に悪くはないですけど……あそこにいなくていいんですか?」


 あんたがいないと、ログアウトした人がお金貰えなくないか?


「生活保護費の支給業務なら、部下に任せてきた」


 ああ、なるほど。


 しかし……生活保護費ねぇ。

 ちょうどいい機会だから、疑問に思っていたことを聞いてみるか。


「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」


「なんだ」


「なんで賃金じゃなくて、生活保護って言い方なんです?」


 僕はそのことが、ずっと頭に引っ掛かっていたのだ。


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