後日の記録-5
それから僕は、黙々とポヨン狩りを行なった。
有言を実行するためには、1分1秒たりとも無駄にできない。
ただただフィールドを歩き回り、ポヨンを撃破するという作業を、僕はその日、延々と行ない続けた。もちろん昼の休憩は抜きだ。
それでも、最初2~3時間ぐらいはまだ良かった。
退屈な作業も、目標に着々と近付いていると思えば、それなりに楽しむこともできた。
13時前ぐらいまでには、今日の撃破数合計は18匹をマークしていて、このペースでいけば18時までに45匹はあながち不可能な数字ではない気がしていた。
それに、僕の脳裏には「奥の手」があった。
18時になるとドロップタイムは終了し、エネミーはお金をドロップしなくなる。
だから、普通は18時になったら狩りの時間は終わりと考える。
だけど、ミッションの条件を満たすための「撃破数」に関しては、18時までに満たさなければならないという決まりはない。
だから18時を過ぎても、18時50分の強制ログアウトまで、幾分かのロスタイムがあるのだ。
それも考慮すれば、日次報酬条件を満たせる可能性は、かなり高いんじゃないかと踏んでいた。
空手形を発行したとはいえ、まったくの勝算無しではなかったのだ。
だけど──残念ながら僕は、自分の運の悪さまでは、計算に入れていなかった。
「くそっ! どうなってんだよ!」
時刻にして、15時前頃。
1匹のポヨンに遭遇した僕は、悪態をつきながら、そいつを木の棒で叩いて撃破する。
あっという間の戦闘終了だ。
13時を過ぎてからのエンカウントの内容は酷いものだった。
何の因果か知らないが、5回連続で、ポヨン1匹との遭遇を引いてしまったのだ。
そうなると、戦闘は楽だが、撃破数のペースは落ち込む。
20~30分に1度しか敵とのエンカウントがないことは変わらないのだから、1回のエンカウントでのポヨン出現数が少なければ、その分だけ目標達成は困難になってしまう。
でも……「何の因果か」と言ったけれど、多分、何の因果もないのだと思う。
たまたま、連続で1匹遭遇が起こっただけのことなんだろう。
こんなことは今初めて起こったようなことではないし、今起こって不思議なことでも何でもない。
ただ、今それが起こったら困るという条件下に、僕が置かれているというだけの話だった。
実際、その後は2匹や3匹との遭遇も普通にあった。
だけれども、時間を追うにつれて、目標達成が不可能であることが、徐々に明確に見えるようになってきた。
それでも、湘北高校バスケ部顧問の言葉を胸に、僕は狩りを続けて……。
17時55分。
あと5分でドロップタイムが終了するタイミングに滑り込みで、僕は2匹のポヨンと遭遇、撃破した。
ここまでのポヨン撃破数は、38匹。
日次報酬条件の45匹には、7匹足りない。
18時50分にはHPとMPを全快してログアウトを完了していないと、今持っている、ポヨンを倒して得た分のドロップ金の3,800円すら没収されてしまう。
だから万一にも、それに間に合わないということがあってはならない。
そしてエネミーとの遭遇は、20~30分に1度。
1回のエンカウントで遭遇するポヨンの数は、最大で3匹。
「無理だ……」
僕は草原フィールドで仰向けに倒れ込んで、CGで表現された夕焼け空を見上げる。
8時間以上も飲まず食わず休まずで狩りを続けた僕は、もうとっくの昔にくたくただった。
意志の力だけでここまで頑張ったけど、その意志も、もう挫けた。
あるいは、今持っているこの3,800円をすべてナナに渡せば、彼女の今日のカプセルホテル宿泊費と、最低限の食費ぐらいにはなるんじゃないかと思ったけど──よく考えてみればそれも厳しい。
今の僕が獲得金を持ってログアウトするためには、回復所を利用しなければならない。
今日の狩りで7レベルに上がった僕は、回復所の利用料として1,400円を支払わなければならないのだ。
ひょっとしたら、街で善良なプレイヤーを見つけて、お金を預かってもらうこともできるかもしれない。
だけどそれは、その人物に全額をネコババされるリスクを視野に入れなければならない。
それに、仮にそれがうまくいったところで、ナナに全額を与えた僕は、今日の夜を無一文で過ごさなければならない。
空腹のまま、路上で寝る自分の姿を思い浮かべたら……さすがに悲しくなってくる。
「くそっ……!」
僕は草原で仰向けになったまま、涙を流す。
悔しかった。
無力感と、不条理を呪う感情と、自分は決して間違ったことはしていないという想いとがぐちゃぐちゃになって、僕の心と思考を掻き乱す。
これでダメならどうすれば良かったんだよ……。
あの重病人のナナを、働かせるべきだったってのか?
確かに、1~2時間だけでも一緒に動いてもらっていれば、結果は変わっただろうけど……でも、それは結果論でしかないだろ。
今の視野は、7時間前には見えなかったものだ。
運次第では僕1人でクリアできた目標ではあるし、逆の極端な話をすれば、ナナを8時間ずっぽり働かせていたって、ずっとポヨン1匹としか遭遇しなければ達成できなかった目標だとも言える。
いわば、最初から運ゲーなのだ。
だけどそう考えれば、ミッション受注時のXの値を決定しているのも僕だ。
もしXを180でなく160に設定していれば、日次報酬条件は40匹となり、今日の目標は達成できていただろう。
あるいは、160でなく80に設定していれば、運が最悪であったとしてもクリアできたはずだ。
でも……だからといってあのときの僕の判断が間違っていたとも思えない。
数字を少なく設定すれば、その分だけ報酬額が減る。
ナナが病気で動けなくなることを考慮に入れなかったあのときの僕が迂闊だったとは、どうしても思えなかった。
だから、あのミッションシステム自体が元々おかしいんだ、と思った。
そしてそもそも、この生活自体が無理ゲーであり、クソゲーなんだ……と。
そう考えたとき、あのビジネスレディ風の所長の言葉が思い出された。
『貴様らはこのゲームをクソゲーだと判断した──そこまではいい。だが、それをクソゲーだと判断したのに、なぜ真正直に、正面からぶつかることしか考えなかったのだ?』
あのとき所長は、そう言った。
だとするなら……また、何かルールの穴があるのか?
だけど、考えてみても思いつかない。
一体どんなルールの穴があるというのか……。
『自ら選択肢を狭める、その無自覚的な視野狭窄だ』
……いや、違う。
ルールの穴があるに違いないと、「そこに正解があるはずだ」と思い込むことすら、きっと視野狭窄なのだ。
いや、そもそもの話。
「どこかに正解が存在するはずだ」と考えることすら、視野狭窄なのかもしれない。
そうだ。
よく出来た1人用のゲームは、プレイヤーが「正解」の選択肢を選べば、必ずプレイヤーが報われるようにできている。
そうなっていたほうが、多くのプレイヤーから、「面白い」と評価されるからだ。
だけど、よく出来たゲームじゃないなら、その限りではない。
最初から正解の選択肢がないなんてこともありうるし、最善手を打っても結果がついて来ないことだってある。
そういったゲームは、クソゲーなどと呼ばれたりする。
この生活をクソゲーと考えれば、最善手を打ち続けたとて、報われるとは限らない。
何をどうしたって、行動に対して、結果があるだけ。
そう考えれば、随分と思考はクリアになった。
僕は起き上がると、すぐに行動を開始した。