初日の最後~後日の記録-0
ナイトパックで12時間1,000円ぽっきりの激安ネットカフェ。
僕はその中のあてがわれたわずかなスペースにて、背もたれがいっぱいまで倒されたリクライニングシートの上で目を覚ます。
今、何時なんだ……?
時間を確認しようと、今時珍しいブラウン管テレビのスイッチをオンにする。
ブッという起動音とともに徐々に明るさを帯びていく画面には、4時37分が表示されていた。
僕は、たった今頑張って点いたテレビの努力を嘲笑うように、再びその電源をオフにする。
4時半過ぎって、ほとんど寝れてないんじゃないか……?
昨日、午後の活動をすべて終え、残りの生活保護費を受け取ったとき、僕の手元には1,645円があった。
あの殺風景な建物を出て、ナナと別れた僕は、弁当屋で税込み270円ののり弁を購入。
寝床にする予定だったネットカフェは飲食物持ち込み可だったので、中で食事をした。
のり弁は揚げたて熱々の白身魚フライなど、あれこれのおかずが乗った結構なご馳走だったけど、やはり食後に油っこさを感じるのは否めない。
緑茶が欲しくなった。
この激安ネットカフェにはさすがにフリードリンクなんてものはなく、店内に自販機が置いてあった。
でも、150円のペットボトルのお茶を買うのはさすがに憚られた。
この激安ネットカフェでは、入店時に1,000円を支払うシステムになっている。
そして、ネットカフェのナイトパックというのは、一度入ったらその後の出入りは制限される。
というか、一度出たら再び料金を払って入り直しになる。
実質、僕はこのネットカフェ内に閉じ込められたような状態になる。
ネットカフェ内で水飲み場を探していると、カップ麺用のお湯が入ったポットを見つけたので、そこから白湯を拝借した。
コップがなくて困ったけど。
食事をした後は、パソコンを立ち上げて、今日の出来事を小説投稿サイトに書き連ねていった。
パソコンの型式がめちゃくちゃ古くて動作が遅いこととか、キーボードが硬いこととかでストレスは溜まったけれど、それでもこうしてパソコンを使って文章を書けることは、僕にとって嬉しいことだった。
我ながら猛烈な執筆速度で書き続け、気が付いたら深夜の12時近い時間になっていた。
僕はうん、と伸びをする。
さすがに長時間同じ姿勢で執筆し続けていたので、体が凝り固まっていた。
僕はそこではたと思い出す。
明日は朝9時前にはログインしないと、遅刻ペナルティがあるんだった。
しかも恐ろしいことに、目覚まし時計がない。
これはまずいと思って、僕はパソコンを閉じて、ブランケットを借りてくると、リクライニングシートを倒して横になり、目蓋を閉じた。
だけど、周囲は明るいし、音はするし、何より昨日まではそんな早い時間に寝てなんていなかったものだから、全然寝つけなかった。
あまりにも寝つけなかったので、僕は途中で寝ようとすることを諦めて、再びパソコンを立ち上げ、再び文章を書き始めた。
そうこうしていて、ようやく眠気が襲ってきたのが、3時ちょい前ぐらいだったと思う。
翌朝起きられるのか不安だったけど、もうそのときには、そんなことはどうでもよくなっていた。
そんなことよりも、そのとても長かった気のする1日分の疲労を、さっさと解消してしまいたくて、僕は眠りに落ちた。
そうして目を覚ましたのが今、4時半過ぎなのだから、多分2時間も寝れていないんだと思う。
体はだるく、軽く頭痛がする。
さらに、喉が痛む──この淀んだ空気のせいなのか、空調による乾燥のせいなのかは分からない。
寝ている間にかなり汗を掻いたみたいで体はベトベトしているけど、今はその発汗のせいか、逆に寒気がする。
僕は、温もりを少しでも確保しようと、ずれ落ちかけていたブランケットを手繰り寄せる。
目は、存外冴えている。
でも頭は朦朧としていて、もっと寝たいと言っている。
もっと寝たいけどすぐには寝られそうにない──そんな感じだった。
けど、寝るにせよ起きるにせよ、随分と中途半端な時間だ。
もう一度寝について、9時過ぎまで寝過ごしたらと思うと、寝てしまうのも少し怖い。
結局、いろいろ心配するのが面倒くさくなった僕は、もう起きて活動を始めることにした。
無料で借りられるシャワー室に行って、シャワーを浴びる。
シャワー室も清潔感とは縁遠い状態で、湿気と相まって、吐き気すら催すほどだった。
僕は最低限の汗をシャワーで洗い流すと、逃げるようにシャワー室を後にした。
その後、セキュリティボックス(こういうものが設置されていること自体が怖い)から全財産の375円を取り出して、僕はネットカフェを出た。
そこで気付いたけど、昨日入ったのが19時半ぐらいだったから、12時間なら7時半には出なければ追加料金を取られてしまうところだった。
遅刻ペナルティが発生する9時にばかり気を取られていたけど、あそこで二度寝していたら危ないところだった。
「ふぅ……」
僕はネットカフェから出て、夏の早朝の空を見上げ、ほっと一息をつく。
早朝の空気は、驚くほど清涼だった。
これは……気持ちがいい。
ただ、その気分を台無しにするものが、道端にわらわら転がっていた。
パジャマ姿のニートたちだ。
毛布1枚かぶっていない者もいれば、果てには少数だが女子まで転がっている。
確かに、スタートダッシュが早めの僕らでさえカツカツの金銭状況なのだから、寝場所確保のための1,000円すら払えない人間が出て来るであろうことは、分かるんだけど……。
色んな意味で、大丈夫なのかこれは?
治安とかの問題を抜きにしても、夏場だからと言ってこんな路上で毛布もなしに寝ていたら、間違いなく体調崩すだろうと……。
そのとき、思考を進めた僕は、ゾッとした。
……ちょっと待て。
病気になったら詰むぞ、この生活。
最初に頭に浮かんだのは、僕らが今、健康保険証を持っていないということだ。
つまり、医療費の本人負担が、3割ではなく全額になるということ。
ちょっとした風邪なんかでも、初診料、診察料、薬代合わせて数千円……下手すると1万円ぐらいかかるんじゃないだろうか。
当然だけど、僕らにそんな大金の持ち合わせがあるはずもない。
まあ、それはいいとしよう。
人間には医者や薬になんか頼らなくても、自然治癒能力がある。
ちょっとした風邪程度なら、家で温かい布団に潜って、栄養のある食事をとって、ゆっくり安静にしていれば、いずれは治るものだ。
一番の問題は、僕らには今、それすらも不可能であるということだ。
家もなければ、温かい布団も望めない。
栄養のある食事をとるためにはお金が必要で、ゆっくり静養していたら食べ物も睡眠環境も確保できない。
──無茶苦茶だ。
僕はここの異常さにはすでに慣れた──攻略したつもりでいたけど、とんでもなかった。
そして、思い出したかのように、僕の体が倦怠感、頭痛、喉の痛みを訴え始める。
別に、今すぐどうこういうような体調ではない。
だけど、わずか1日のネットカフェ暮らしで、健康度がごっそり奪い去られた実感はあった。
冗談を言えるような心境ではないんだけど、ピンチの時こそ笑えと、誰かが言っていた気がする。
だから僕は、野菜の星の王子様の言葉を呟いてみた。
これからが本当の地獄だ、と。
名誉棄損になるといけないので一応注釈。
ネットカフェの環境に関する記述に関しては、ネット上の様々な記事を参考にはしましたが、物語の演出上の都合による部分も多々含んでいます。
実在するネットカフェの実情とは異なるかと思いますので、ご了承くださいませ。