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初日の記録-1

 やあ、常識の世界に住む諸君。


 僕の名は……そうだな、『ポーン』とでも呼んでくれ。

 チェスの雑兵だなんて、社会の雑兵にも満たない僕には光栄過ぎる呼び名だけど、まあそのぐらいの背伸びは、寛大な心でもって許してほしい。


 さて、僕は今、この記事をとあるネットカフェから書き込んでいる。

 12時間借りて1,000円ぽっきりの、激安ネットカフェだ。


 正直、快適とも清潔とも言い難い環境だ。

 汗臭いし、そこら中べとべとしているし、生理的な嫌悪感を免れないほど空気の淀みが酷い。

 ここに長居すると、何か良くない病気に罹ってしまう気がするほどだ。

 だけどそれでも、値段の安さには替えられない。


 まあそれはいい。

 それよりも、ここからが本題なんだが。


 ここから先の話は、常識の世界に生きる諸君には、信じられない話と思うかもしれない。

 だけど、これは僕の身に今、現在進行形で起こっている出来事だ。


 僕は今、ニート矯正収容所と呼ばれる施設にいる。

 僕が今いるネットカフェは、その施設内にある店舗のうちのひとつだ。


 ひとつの小さな街か、あるいはテーマパークのような場所を思い浮かべてもらうとイメージしやすいだろうか。

 端から端まで歩いて15分ぐらいだから、直径1kmぐらいの範囲だと思う。

 その範囲内に様々な店舗や関連の建物が立ち並んでいて、それ全体を指してニート矯正収容所と呼ばれている。


 収容所の端は全面、ダムのような高い壁で塞がれている模様。

 出入り口となる大きな扉はいくつかあるようだけど、収容者は出入り禁止。

 警備・監視役の黒服がそこらじゅうにいて、ちょっと抜け出そうという気にもなれない。


 さて、僕が何故そんな場所にいるのかというと、これは僕がニートであったからなのだろうと思う。


 大学を卒業するも就職活動ひとつせず、小説家になるんだと文章を書き続けてもう5年……いや、10年近くにもなるのか。まあそれはいいや。

 ともかくその間、完全に親のすねを齧って生きてきた。


 せめてアルバイトぐらいはしないとと思って、バイトの求人を探すことは何度かした。

 でも、ネット上で探してみただけ。

 そこから先の一歩が踏み出せずに、ずるずると今の今まで来てしまった。


 そんな今朝のことだ。

 自室で寝ていた僕は、部屋に突然押し入ってきた数人の黒服の男たちによって拘束され、拉致され、見知らぬ車や飛行機に乗せられ、強制的にこの施設に移送された。


 僕が解放された場所は、寝台が何十と並ぶ無機質で広い部屋だった。


 その部屋には僕のほかに、寝台の数と同数ほどの人──おそらくは僕と同じように連れてこられたのであろう──がいて。

 それとは別に、それよりも若干多い程度の人数の黒服が、部屋の隅で僕たちに目を光らせていた。


 僕の同類と思しき人たちは、その多くが僕と同じくらいの年であるように見えたから、だいたい30歳前後の人が多いんだと思う。

 男女比は、男7:女3といったところか。

 ちなみに、その人数のうち、大部分は寝間着パジャマ姿だった。……いや、僕もだけど。


 そして、その部屋の一際人目を引く場所に、一人の女性がいた。

 学校の教室で言うところの、先生が立つ演壇のような場所。

 そこに、スーツ姿で眼鏡をかけた、ビジネスレディ風の女性が立っていた。


 彼女は壇上のマイクを使って、僕たちへの演説を始めた。


「ニート諸君、ごきげんよう。私はここ、ニート矯正収容所の所長だ」


 よく通る澄んだ声が、部屋中に響き渡る。

 彼女──所長は、言葉の内容が僕らに浸透した頃を見計らって、話を続ける。


「ここがどのような施設であるかは、追々分かってゆくことだろう。今はそんなことよりも、諸君にとってより重大な情報を伝えることに専念したいと思う。すなわち、諸君がこの場所で、どうしたら飢え死にせずに済むか、という話である」


 ──飢え死に。

 その言葉を聞いて、ニートたちがざわめいた。

 所長はそれを気にした風もなく、話を先に進める。


「まず、重要な前提なのだが──当収容所内では、諸君らが人である限り認められなければならないとされている『基本的人権』の一部が剥奪される。つまり、これから諸君らは、人未満の存在として扱われることになる」


 所長の演説が、そこで一度、区切られた。

 ざわついていた周囲が、いつの間にかしんとしていた。


 僕はと言えば、この演説を聞いて、呆気にとられていた。


 ていうか、えっ?

 基本的人権を剥奪って、そういうの許されるの?

 よくは知らないけど、自然権とか言って、仮に憲法改正とかしても奪えない、すべての人が持つ生まれつきの権利だとかだった気がするんだけど……。


 僕の周りの同類たちも似たり寄ったりなことを考えたようで、静かだったその場は、やがて騒ぎの場となった。


「ふざけるな!」

「何の権利があってこんなことするのよ!」

「横暴だ! 今すぐ家に帰せ! もちろんこの精神的苦痛を受けたことに対する慰謝料は払ってもらうぞ!」

「政府主導なのか!? 責任者……いや、総理大臣連れてこい! 俺たちの前で土下座させろ! この税金喰らいどもが!」


 所長に向けて口々に罵声を浴びせかけ詰め寄る、何人かのニートたち。


 けれども、そう言って詰め寄った連中は、周囲の黒服たちによってあっという間に制圧された。

 殴られ、取り押さえられ、猿ぐつわを食まされて、強制的に大人しくさせられる件のニートたち。


 僕はそれを見て、なるほどと思った。

 人権剥奪っていうのは、こういうのを言うのかと。


 騒ぎが一区切りしたところで、所長の演説が、何事もなかったかのように再開される。

 おそらくはこの流れ、予定通りなんだろうな。


「さて、諸君らは現在、無一文である。住む家もない。このまま何もせずにいれば、お腹が減っても何も食べられないし、夜寝る場所も野晒しの路上しかない」


 言われて僕は、自分の体のあちこちを触って確認する。

 当たり前だけど、寝ているところを寝間着パジャマ姿のまま拉致された僕が、財布を持っているわけがなかった。

 確かに無一文だ。


「そのまま日が経てば、諸君はやがて餓死するだろう。我々は、諸君がそうなってしまっても、一向に構わない」


 所長が冷淡に言い放つ。


 なるほど……社会のダニであるニートは、人権が剥奪されたこの地で野垂れ死ねということか。


 いや、しかし。

 それだと話が少しおかしい。


 所長は最初に、僕らが飢え死にしないための重大な情報を与えると言っていたはずだ。


 僕は所長を見据える。

 彼女の眼鏡の奥の瞳が、僕を見て、ふっと笑った気がした。


 だがそんな気がしたのも一瞬のこと。

 所長は会場全体を見渡し、次の言葉を放った。


「だが、そうなりたくないというのであれば、我々には諸君に対し、生活保護を与える用意がある」


 ──生活保護?

 いや、なんだそれは……どういうことだ?


 生活保護制度っていうのは確か、日本国憲法25条1項が規定する『生存権』に基づいて制定された制度だ。

 最近、不正受給やら、金額が多すぎるやらで話題に上がることも多い。


 日本国憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」としていて、その理念に基づいて決定されている生活保護の支給額は、確か東京都の独身で月13万円以上とかいう話だった。


 働かないで13万円も貰えると聞いたときは、僕も何だそりゃと思った。

 例えば、時給900円のバイトで1日実働8時間、週5日働いても月15~16万円ぐらいにしかならない(しかも手取りはもっと少なくなる)のだから、この数字だけ見たら、働くのがバカみたいに思えてくる。


 けど僕らみたいな、ただ働いていないだけのニートが生活保護の対象になることって、基本的にはなかったはずだ。

 生活保護って、障害者とか、どうしようもない母子家庭とか、そういう「訳あり」の人たちに支給されるものだった……はず。

 僕らニートには、お前らは働けるんだから働けよと、役所でそう厄介払いされておしまい──そんな話だったと記憶している。


 それに、さっきは人権剥奪とか言っておいて、今度は逆に生活保護とか。

 一体、何がやりたいんだこいつらは?


「ただし、諸君がこの生活保護を受給するためには、やらなければならないことがある」


 疑問に思っている僕をよそに、所長は話を続ける。


 やらなければならないこと──働けってことか?

 いや、でもそれだったら、生活保護じゃなくて給料になるはずだ。


 だけど、次に所長の口から出てきた言葉は、その僕の思考を混沌の彼方に追いやるような、突拍子のないものだった。


「諸君らは、我々が開発したVRヴァーチャルリアリティMMORPGにログインして、そのゲーム内で金を稼ぐことができる。我々は、その獲得金額に応じた生活保護金額を、諸君に与えよう」


 ……は?


 あれ? ……あれ?

 いや、色々おかしくないか?


 まず、VRMMOって、あの最近流行りのライトノベルとかによく出てくるアレだよね?

 そんなもの現代の技術で……って、待てよ、VR技術自体はだいぶ昔からあるわけだから、政府が極秘裏に開発を進めていたとかで、現代ですでに技術が出来上がっているとか、あり得ないとも言い切れないのか?


 いや、まあいい。

 仮に技術自体は可能だとしよう。

 だとしても、何だってそれと生活保護が結びつくんだ?


 だけど、そんな風に混乱する僕を置き去りにして、所長はサディスティックに言い捨てるのだった。


「せめてゲーム内でぐらいは働けよ、このクズども!」



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