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17 魔術師まっぷたつ事件

「フィオナちゃん、心配したんだよ。ヴェイドが居るのに、君だけいないから焦っちゃった」

 本当に案じていたという顔のセザールさんに、「心配かけてごめんなさい」と、わたしは謝罪した。

「無事だったから良いよ。でもヴェイドがなんか疲れてそうだったから、フレイアに連絡したんだよね」

 そしてリュカがこき使われる羽目になったらしい。

「ほんと、いい迷惑だよ」と、リュカ。

「そ、そうだったの……」

 わたしは曖昧に笑い返しながら、内心冷や汗をかいていた。


 ヴェイドさんはやっぱり、おかしい。


 ブランシェ邸での晩餐の席につきながら、わたしは隣の水の魔術師から目が離せないでいた。そうしながら間違いなく、この人は“おかしい”と確信したのも無理はない。

 その魔術師の動きが、ある意味いつも通りの優雅な動きだったのは異論ないが、わたしの体にはひそかに衝撃が走っていた。

「に、人参を食べるわ……」

 そうなのだ、彼は人参を食べていた。

 晩餐のメニューに、あの赤い野菜の付け合せが出てきたとき、わたしは「あ、」と思ったのだが、ヴェイドさんは「なんてことはない」という顔をして、普通にもそもそと食べてしまったのである。

 あまりの事実、あまりの悲劇。

 前に散々、“この世から人参は滅びろ”と呪詛をはいた人とは思えない行動に、わたしは思わず戦慄していた。変だ変だと思っていたら、本当に変だ。いったいどういうこと?

「ちょっとフィオナ、人参、ニンジンてうるさいよ」

 驚愕するわたしに、とうとうリュカから横やりが入った。

 あきれた顔でわたしを見やる彼は、食事作法(テーブルマナー)もおかまいなしに、もうメインの肉料理に手をつけている。まあ、作法を守るという点においてはわたしも人のこと言えないのだけど、この屋敷の主人はそんなわたし達を微笑ましくながめている。『どのみち男爵家なんだし、ほぼ庶民なんだから気にするな』というのは、この屋敷に滞在した初日のセザールさんの言葉だった。ありがたい話だけど。

「だ、だってリュカ……人参を食べたんだもの」

 これって異常事態なのよ、天変地異の前触れよ?

 わたしは戸惑いがちにリュカを見る。

 彼は知らないのだ、ヴェイドさんがいかにこの赤い根菜を悪の権化として嫌っていたかを。フロディス邸では、わたしが手にしているのを見るだけで顔を強張らせていたんだから。

 わたしが教会を出るずっと前から、すでに屋敷に戻っていたというヴェイドさん。変な話だと思ったけど、やっぱり変だわ、と改めて思うことになった。

 もしかして教会堂に残してきたほうが本物だったのかしら? そんなふうに思いながら、わたしは前菜のサラダをフォークでつき刺した。




「ねえ、ヴェイドさん……墓地でのこと覚えてる?」

 食後のお茶が供されたところで、わたしは彼に切りだした。

 なんだか今日はお茶ばっかり飲んでいる気になるが、椅子に座っていることが多かったのだから仕方がない。貴族と椅子、そしてテーブルには、お茶がつきものなのだ。

 わたしに問いかけられたヴェイドさんはというと、やはりぼんやりとした様子でテーブルクロスを眺めるばかりだった。先ほどからやけに半眼になっているところを見ると、もしや眠いのだろうかと思い当たる。

「眠たいの?」

「うん」

 彼は短く答えた。

 なるほど、彼の異常行動は眠気に負けてのことらしい。まるで誰かに睡眠薬を盛られたかのような魔術師である。でもわたしは、なんとなく思うところがあって彼に訊ねた。

「魔力がないの?」

「うん」

 彼はまた、小さく答えた。

 幼子じゃあるまいし、それ以外に何かしゃべらんのかい! とこぼしたくもなったが、わたしはぐっと抑えた。

 これはわたしの予想だが、たぶん今の彼は魔力がからっぽに近い状況なのだ。過去にわたしも似たような状態に陥ったことがある。あのとき、わたしも異様な眠気に襲われて、意識を失ってしまったのだ。

 その理論で言うなら、彼はいま昏倒寸前のところだろう。

 その通り、彼は先ほど一度眠ったようだったが、彼はそんな状態になってまでもまた意識を取り戻した。だから多分、彼の膨大な量の魔力は依然として作られ続けているのだろう。体に巡る分の魔力がほとんどないだけで。彼に触れると、いつものあの優しい気配がわたしを包みこむことからも、それは分かる。

 ぼんやりな魔術師に、「大人しくていいじゃない」と、軽い調子で言ったのはリュカだった。わたしはあきれ返った。

「大人しいって、あなた兄弟子に向かってよく言えるわね……」

 こんなのヴェイドさんじゃないと思った。

 彼はもっと堂々としていないと“らしく”ない。なんだか別の人を目の前にしているようで落ち着かない気分だった。

 こうして無気力な姿は、彼が綺麗な容姿をしていることもあって、まるで人形のようだ。しかし、こうして考えてみると、最近の彼はずいぶんと感情豊かだったのだとわたしは気づく。

 ヴェイドさんのことを、人間みたいだよね、と言ったリュカ。

 以前のヴェイドさんは表情も乏しく、動く人形みたいで気持ち悪かったと彼は話していた。彼に対してあんまりな言い方だと思ったが、わたしと出会う前の彼はいったいどんな様子だったのかと疑問に思ったのも確かである。

 だが、こんなふうに目の当たりにするのは望んでいない。

「あのねリュカ。わたしの話、聞いてくれる?」

 わたしはすぐ傍で頬づえをつくリュカに、顔をむけた。彼はわずらわしそうに「なに?」と、わたしを見返した。

「わたし、ヴェイドさんと一緒に精霊界に行ったの。今日のお昼すぎの教会墓地での話よ」

 精霊界と聞いて、リュカの瞳が好奇心にきらめいた。

 彼は本当に魔術関連が好きなのね、魔術師ってみんなこうなのかしら。内心そんなふうに呆れながら、わたしは続ける。

「精霊界からは無事に戻って来れたんだけどね、それが夕方ごろの話。墓地に生えていたアベリスが花を閉じていたから、たぶん四時から五時頃よ」

 野草のアベリスは、きっかり夕方四時を過ぎると花を閉じる、変わった植物だ。眠り草と言われるため、時計を持たない庶民の間では、時刻を知るためのひとつの手段だった。

「ねえリュカ、ヴェイドさんがこの屋敷に戻っていたのはいつ?」

「四時半」

 端的に返したリュカに、やっぱり、とわたしは口のなかでつぶやいた。わたしが教会に居たときと時刻が同じだ。

 でもそれでは、ヴェイドさんが二人いるということになる。

 わたしはなんだか気分が悪くなってきたが、魔術の世界ではそれがありえない話ではないということを、わたしは既に身を持って知っている。

「……リュカ」

 茫然としたわたしに、痺れを切らしたようにリュカが目をすがめた。

「さっきから何なの、フィオナ。言いたいことあるならはっきり言ってよね」

「ヴェイドさん、いま半分なのかもしれない!」

「はあ?」

「だってそうだとしか思えないわ。同じ時間の別の場所に、彼は存在していたことになるのよ。あなたが屋敷でヴェイドさんを見たとき、彼はわたしと一緒に教会にいたの。それも昏倒して! ずっと目を離さなかったから、絶対にそうだって言い切れるわ。彼は間違いなく二人なのよ!」

 まくし立てるわたしに、リュカがやや気圧されたようになった。そして彼はしばらく言葉を失ったあと、怪訝な顔で言った。

「あいつ、双子だったの?」

「そんなわけないじゃない」

 今度はわたしが呆れた顔をする番だった。

「ヴェイドさん、魂がふたつにされちゃってるのよ!」

 リュカがぽかんと口を開けた。



 ◆・◆・◆



 魂がふたつになるというのは、けっこう稀なことらしい。

 でもわたしは過去に、人間の魂と精霊の魂が分かれるという状態に陥ったことがある。だからありえないことじゃない、とリュカに力説したのだが、彼は渋い顔を見せた。

「いちおう言っておくけど、それはあんたが半精霊だったから起こった話だよ」

 普通の人間は魂をまっぷたつにされたりしない。そうなるなら、いっそ丸ごと奪われてしまうものだ。

 それがリュカの持論――というより、一般的な魔術理論だったが、ヴェイドさんがその“普通の人間”に当てはまるのかは微妙なところだった。だって彼は魔王の血を引いているのだ。

 正しくは体に魔王の血を受けてしまったと言えるが、それでも彼のひとつの体に、人間の血と魔王の血が流れていることには変わりない。ある意味、彼もわたしと同じような“半分だけ人間”なのだ。

 わたしがヴェイドさんの事情をかいつまんで説明すると、リュカは「なるほどね」と、腑に落ちない(・・・・)顔でうなずいた。

「じゃあヴェイドは、精霊界で、その死人使いにつかまったわけだ」

「首だけちょっとね」

「だから半分ってわけ?」

 それは知らないけど。

 でもあんな少し触れたぐらいで半分が取られてしまったのだから、さっさと“腕”を追い払って正解だったと、わたしはぞっとした。それと同じぐらい、あっさり半分を取られた魔術師がこんなに弱っていたのかと思い知ることになった。

「で、もう半分はどこにあるって?」と、リュカがとんとんとテーブルの端を叩いた。

「一緒に来てくれるの?」

 問い返すと、彼は一気に不機嫌な顔になった。

「あんたにどうしようも出来ないでしょ。あんた無駄に力が強いから、下手に放っておいたほうが危なっかしい」

「ありがとう、リュカ」

 感謝した矢先に、「だいたいあんた、なんで魔術をちゃんと勉強しないのさ」と、リュカは非難の声をあげた。「ちゃんと学んでたら、うっかり精霊界に飛び込むなんて防げたのに」

「だってヴェイドさんが教えてくれないんだもの」

「あのねえ、あいつに師匠認定が下りるわけないでしょ。あんな国に引きこもってばっかの、自分さえ良ければいいってやつに、魔術師協会が許すもんか」

「……どういうこと?」

 首をかしげたわたしに、彼は「魔術会議だよ」と言った。

「五年に一度の頻度で、カルクトで世界会議が開かれるんだ。あいつは水の魔術師だってのに、俺の知る限り一回だって参加したことないよ」

「ええと」

 わたしは戸惑いがちに彼の話を聞いた。

 リュカいわく、聖地カルクトでは五年に一度の頻度で大魔術師、中位魔術師を招いての世界会議が開かれるそうだ。それに毎回参加することで、魔術師は“師匠”としての資格を獲得し、弟子を取ること――つまり、他人に魔術を教えても良いという権利を得るのだとか。リュカはリフレイアさんに着いて、何度かカルクトに訪れたことがあるようだった。

 でもヴェイドさんは、魔王になることを拒んでいたという事情から、カルクトとは疎遠だったようだ。

「だからあいつは、あんたがどれだけ請おうが、魔術を教える資格はないの」

「そうだったの」

 魔術に関する法律は、厳しいと聞く。勝手に魔術を教えるなんてしたら厳罰だろう。

 だからヴェイドさんは、一度は『魔術を勉強しろ』と言ったのにも関わらず、わたしに魔術を教えるそぶりも見せなかったのだ。

「でもだったら、他の魔術師の人を紹介してくれても良かったのに」

 まあ今さらどうでも良いことだったけれど。わたしはもう、薬師になる道を選んでいる。

「あんたが言い出さなきゃ言うわけないよ。ヴェイドはあんたに執着してるんだから」

 リュカはいい加減うんざり、という顔で、ぼんやりな水の魔術師を親指で指さした。

「自分からあんたを余所に弟子入りさせるぐらいなら、とっくにそうしてたって思わない? ねえフィオナ。師弟でもないのに、あんた達なんで一緒に暮らしてるのさ。そこに一切の疑問も持たなかったの?」

 疑問に思わないわけじゃなかったが、わたしは「一緒に暮らそうって言われたのよ」と眉じりを下げながら答えた。

「あっそう」

 彼はそう一言くちにすると、椅子に体を投げ出した。

「たぶんその頃から、あんたのこと好きだったんだよ。ヴェイドは絶対、認めないだろうけど」

「そんな」

 にわかには信じがたい話だった。

 あの魔術師が、わたしのことをずっと前から好きだった?

 精霊界からの戻り際、やっぱり愛している、なんて言われたことも本当は夢だったのではと思っているぐらいなのに、そんなこと信じられると思う?

 わたしは思わずヴェイドさんを振りかえっていた。銀色の美しい髪の向こうで、絵物語の精霊みたいに整った顔が、眠たそうに揺れている。

 そういえば彼とくちづけをしそうになったことを、わたしは突然思い出した。見た目はともかく、いちおう中身は年頃のわたしは、またしても顔からぼっと火が出る思いだった。あのときは咄嗟に拒んでしまったけれど――だって初めてだった――あのまま受け入れてしまったら、どうなっていただろう。

 悶々としていると、ぼんやりな魔術師が、かろうじてこちらを見る。

「なに勝手なこといってるんだい」

「ほ、ほら違うみたい」

「半分寝てるような人の言葉を、得意げに言わないでよね」

 リュカがひらひらと手を振った。

「それより話の続きをしてよ。あんた、もう半分を探しにいくんでしょ」

 それもそうだったと、わたしはリュカに向き直った。

「ヴェイドさんのもう半分は、町の教会にあるのよ」

「ふうん、俺が追い返されたとこか」

「そうよ」

 でも“彼”を置いてきてから、ずいぶんと時間が経ってしまった。

 さっさと人手を頼んで教会から連れて来ればよかったと、わたしは少し後悔していた。




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