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13 夢と散歩

 ◆・◆・◆



 遠い遠い、むかしの記憶。

 紅い水たまりのなかで、生きてほしい、と彼女は言った。

 生かされたのだと後に分かった。

 あのときすでに、彼の体は時を止めた。

 ずっとずっと死にたかったのに、

 終わらない命が、今日、このときまで――…



 はっと目を覚ますと、わたしの視界に部屋の天井が飛びこんだ。その拍子に目もとからひと筋、涙が流れたのがわかった。

「夢……なの?」

 窓の外に明けの明星をながめた後、慣れない感触のリネンのなかで、わたしは汗だくになってしまった額をそっと手で覆った。少し見慣れない景色が見えるのは、ここがフロディス邸じゃなくて、彼の血縁にあたる人の屋敷だからだ。

 慣れない環境は人の心を惑わすという。だからだろうか、なんだかずいぶんと、悪い夢を見てしまった気がする。

 わたしはベッドに起きあがったまま、無意識に胸もとの指輪を握りしめた。手が不思議なほど冷えている。

 あれは、血だまりのなかで誰かを抱きしめているような、そんな夢だったように思う。ただの悪夢だと言って片づけていいのかすら分からなかった。たぶん、あれは人を失ったときのそれなのだ。夢のなかで感じた絶望感が、まだわたしを取り巻いてすらいるように思う。母親を失ったときですら、あんな体験はしたことがない。

 ただの夢だと思っていいの?

 誰かの夢に入りこんでしまったと言われたほうが、まだ納得のいく気分だった。今のわたしは人間というよりも、水の大精霊に魂を引っ張られつつあるようだから、なおのこと。

「ヴェイドさん……」

 いま無性に、水の魔術師の顔が見たいと思った。あの温かくて優しい気配に抱きしめられて、大丈夫だと笑ってほしい。彼はいつだってわたしの心の支えなのだ。

 ……と、ここまで思ってわたしは我に返った。


「って、あんな人のところに行くわけないじゃない」


 やだやだ、わたしあんな魔術師に頼るわけないじゃない。変な夢を見たからって、どうかしてるわ。

 だって彼に酷くあしらわれたのは、つい昨日のことなのだ。わたしの指輪を奪うためだからといえ、からかい半分にキスの真似ごとをするだなんて! 今思い出しても怒り心頭になりそうなわたしは、夢のことなんて忘れて、あの憎き水の魔術師を思い浮かべた。

 ――言っただろう、きみは好きか嫌いかの世界にいるって。

 言ってくれたわね、ヴェイドさん。

 わたしをいいように手玉に転がす様は、さすがに超年上の所業だと感嘆したものだったが、それでも許せるものと許せないものが、わたしにもある。

 今のところ絶対に許さないと思っているわたしは、またクッションに八つ当たりしたい気持ちを抑えながら、心地よいベッドのなかを後にした。







 シャメルディ男爵、もといセザールさんに散歩にゆこうと誘われたのは、その日の昼さがりのことだった。先日「散歩に行こう」と言っていた彼は、その約束を果たすつもりらしかった。

 それでもってヴェイドさんを徹底的に避けていたわたしは、喜んでセザールさんの話に乗ったわけだけど、なぜか玄関先で花束を抱えた彼を見て思わず首をかしげていた。

「花束なんて持って、どこに行くの?」

「教会の裏墓地」

 セザールさんはあっさりと言った。

 そ、それって散歩とは言わないんじゃあ。

 初めて一緒にいくお出かけにしては、えらく殺伐とした場所である。つい、おどろおどろしい風景を想像してしまったわたしは、反射的に顔を引きつらせた。

 まあ、彼のお散歩コースがどこだろうと、同伴するわたしが口出しできたことではない。この町のことはあんまり知らないわたしだった。

 しかし墓地って。

 わたしの心の突っ込みに気づくことなく、セザールさんは揚々とわたしの手を引いて丘をくだっていく。わたしは、さりげなく歩調を合わせてくれる彼と歩きながら、その反対側の手につかまれた、色とりどりの花束をぼんやりと眺めた。

 わたしの視線に気づいたらしいセザールさんは、

「いやね、最近墓荒らしが出るっていうもんだから、調べないわけにはいかなくて」

 と、苦笑しながら言った。花束を持っているのは、ついでに彼のご先祖のところに顔を出すつもりだっただけのようだ。

 というか、墓荒らし?

 わたしは眉をひそめながら彼に訊ねた。

「セザールさん、町に変な人が出るっていってたのって、もしかして」

「ああ、変な人って、要するに墓荒らしのことね」

「…………」

 まさかそっちの変な人だったとはね。

 墓荒らしと、町の変態(ないしは人さらい)とでは、危険度がちょっと違うのではとわたしは思った。墓荒らしのほうがなんとなく、より嫌な感じがした。しかも墓を掘り起こすなんていう、あきらかに普通じゃないことをしているのだし。

「そういう調査、従者さんか町の警備隊の人にお願いすればよかったじゃない」

 なにもあなたが直接出向くことは無いんじゃないの。

 男爵といえど仮にも貴族の一員なのだから、彼にも下に仕える者はいるはずだ。だが、セザールさんはわたしの言葉を否定するように、右手の花束を軽く振ってみせた。

「でも自分の目で確かめるぐらいはしたいだろう? それが僕の領主である責任だと思ってるけど」

「勇敢なのね」

「まあタネ明かしをすると、ひとりじゃ行けなくて君を誘ったわけだけど」

 なんじゃそら。

 僕の屋敷の者には内緒だよ、と冗談ぽく言うセザールさんに、わたしは思わず噴き出した。なるほど、年下のわたしを連れ出そうと思うぐらいには恐かったらしい。四十路だと言った彼は、意外に気が弱いようだ。

 そんな彼に親しみを覚えていると、セザールさんは感慨深そうに息をついた。

「ああ、こんな風に接してくれるのはフィオナちゃんだけだ。僕の周りの人ときたら――まあとくにフレイアなんだけど――、僕をいじめることばっかり考えるもんで」

「そ、それはもう運命としか言いようがないわね……」

 諦めなさい。そもそも、リフレイアさんを恋人に選んだ時点で終わってる(・・・・・)

 というか、四十路になるまで妻帯もせず、いったいあなた何をしていたのと斬りこみたいところだったが、何だかんだ、彼はいまとっても幸せそうだったから良しとしよう。

 わたしは、ヴェイドさんそっくりの青紫の瞳を見あげた。

「ねえセザールさん。どうしてあなた、リフレイアさんと付き合おうと思ったの?」

「うん?」彼がこちらを見る。

「この前はわたしの話を聞いてくれたから、今度はセザールさんのことも知りたいの」

「うーん、そうだねえ」

 わたしの問いかけに、セザールさんはやや考えこんだ。それからしばらくの間があって、彼は「じゃあ馴れ初めからいこう」と言った。

「僕とフレイアが知り合ったのは、リュカ君がこの町に来たときだっていうのは話したね」

「ええ、この間きいたわ」

 二人が仲よくなるきっかけは、領主であるセザールさんに、リフレイアさんがリュカをこの町の職人として雇ってくれと頼んだこと。そしてラヴィンバレーからしょっちゅう下りてくるようになったリフレイアさんは、彼と交流を深めたのだと聞いていた。

 彼女はわたしに“綺麗なヴェイドも大好き”発言していたことだし、彼に似たセザールさんを気にいるのもおかしくはなかった。

「でもそこからどうやって仲を深めたかまでは話さなかったね」

「まあ、そうね」

 徐々に近づいてくる教会堂の影を遠目にみながら、わたしは彼にあいづちをうった。

 石造りのためか、全体的に灰色をした教会堂は、町の喧騒から離れた場所にひっそりとたたずんでいた。心なしか、大通りよりも荒めの石畳が伸びている。

 そこをのんびりと歩きながら、「彼女はねえ」と、セザールさんは言った。

「彼女はねえ、やっぱり見た目通り奔放な女の人だった。リュカ君のことを頼みにきた翌日に、気づいたら僕の屋敷の宝物庫を漁っているところを家令に発見されたり、なぜか食堂で勝手に一番高価な食器でアフタヌーンティーをしているところを発見されたり、あと一セットそれ割られたり、ちなみになぜか未だに宝剣がひとつ消えちゃったりしてるんだけど」

「あなたよくそれで叩き出さなかったわね」

 ちょっとセザールさん、人が良いというレベルの問題じゃなくないかしら。

 わたしは容易に想像がつく彼女を思い描き、げんなりとした。そして他人の家でよくやるわと思いつつも、彼女ならやりかねないと妙に納得してしまうのは何故だろう。

「でも助けられたところもあったんだ」

 セザールさんはわたしを見て微笑んだ。

「シャメルディの地精霊のこと、ヴェイドに相談しろと助言したのは彼女だった」

 その言葉に、わたしは彼の顔をじっと見あげた。彼は続ける。

「ヴェイドとはそれまでずっと疎遠だった。正確には僕の祖父の代からだったと思うけど、もう何十年もここに訪れたことは無かったようだからね。先日は地精霊がいなくなって気候が大荒れで困ったけど、彼は偉大な魔術師だと聞いていたから、まさか捜索を頼めるとは思っていなかったんだ」

「リフレイアさん、あなた達の橋渡しをしたのね」

「そういうことかな。彼女が僕に興味を持ったのだって、自分の弟子を気にかけていたからだって言っていたし」

 彼はヴェイドさんそっくりの、青紫の瞳を優しげに細めた。ヴェイドさんの遠い血縁にあたるという彼は、こんなささやかな場面で血のつながりを感じさせる。

 恋しいなとわたしは思った。

 悔しいけど、わたしはどんなにひどいことを言われても、あの魔術師のことは到底嫌いになれそうにない。それも含めて彼が好きなのだと思ってしまうあたり、きっとわたしも狂っているのだ。あなただけが、おかしいんじゃない。そう言ってやれたら、どんなに良いかと思ってしまう。

「フィオナちゃん、フレイアは孤独が嫌だったんだ」

 そんなことを思っていたからだろうか、ぽつりと言ったセザールさんの言葉がやけに耳についた。

「フレイアが奔放な理由はね、人を怒らせて自分に注目を集めるためなんだ。多分、彼女もそうしたいとは思っていないんだろうけど、そこに気づいてしまったあたり、僕も損な役回りだなって思ったよ」

 人が良すぎる彼は、彼女の孤独から目がそらせなかった。本当はリフレイアさんだって優しい心の人なのだと、彼が気づくには、そう時間はかからなかっただろう。

「じゃあ、年下が年上を落とすコツって、まさかあなたの体験談?」

 もしかしてと思って訊いてみると、セザールさんはにやりと笑った。

「だいぶ頑張った」

 やたら得意げに言った彼に、わたしはまた噴き出すことになった。




.

長いぜ。

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