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12 好きか嫌いか

 当然だが魔石を作ったところで、肝心の魔術を使う者がいなかった。

 転移陣は描けるが、魔力の込め方がわからないわたしである。ヴェイドさんに術者を代行してもらえばよかったのだが、それを許す彼ではなかった。

 彼はわたしに魔術を使わせるのを嫌うのだし、そしてなにより、リフレイアさんを嫌っている。

 なんだ結局、リフレイアさんがこちらに来るのを待つ以外、なす術はなかったんじゃないの。わたしは一夜干しした後の耳飾りを見つめながら、これ以上なく落胆していた。

 青紫の石は、いまはわたしの血に染まってしまい赤黒い石に変わっている。

 せっかく綺麗な色だったのに、と残念に思ったものだけど、わたしが込めた魔力を使い切れば色はもとに戻るのだそうだ。そう考えると、やはりわたしの母親が残した石や、ヴェイドさんの左耳の耳飾りは特殊な魔石なのだと思えた。

 わたしはひとつ息をつくと、すぐ隣へと顔を向けた。

「ヴェイドさんは楽しそうね」

「べつに楽しいわけじゃないけど」

 しかし嬉々としてるわ。

 いまはブランシェ邸の一角、ヴェイドさんにあてがわれた部屋のなかだった。

 彼はぶあつい絨毯の上にあぐらをかいて、研磨後のターフェリープをひとつひとつ検分しながら――彼は結構な量をリュカの工房に持ち込んだようだ――羊皮紙になにか書き込む作業の、真っ最中だった。彼のなかで或る一定の基準があるらしく、石たちは二つの群に分けられていく。

 自分が魔王候補なのだと明かしたわりには、いつもと変わらない彼だった。それも当然かと思う。彼はいままでその事実と付き合いながら、のんびり三百年も生きてきたのだから。

 わたしはそんな彼の様子をながめながら口を開く。

「あなたもしかして、時の石と似てるから、そんなにたくさんその石(ターフェリープ)を探してきたの?」

「いや、まさか」ヴェイドさんが顔をあげる。「もちろん同じ石だから探してきたんだよ。でもさすがに、本物の時の石のように高純度のものはなかなか無いね」

「そんなに綺麗なのに……」

 あなたの耳もとの石の代わりにはならないのね。

 彼の様子を見ていると、時の石を作るというのは少しだけ、途方もない作業に思えてくる。

 やりきれない思いを隠してじっと彼の片耳を見つめていると、ヴェイドさんはそれに気づいたように首をかたむけた。さらりと銀色の髪が揺れて、窓からの陽の光にきらきらと透ける。

「ねえ、フィオレンティーナ」

「え?」

 改まった呼びかけに、わたしは思わず胸が高鳴った。

 気がつけばわたしの手は握られており、石と同じ色の、水底の瞳がわたしをのぞきこんでいる。何かを考えているような視線に、いきなり何なの、とわたしは固まる。

 彼がわたしを真っ直ぐに見るのは、普段あまり無いことだった。逆はたくさんあったんだけど、こうして真剣な顔をされると、わたしはどうしていいか分からなくなる。

 そこで初めて、彼がわたしに見られるときにどんな気分になるのか思い知った。知り合ったばかりのころ、彼が困った顔になることが多かったのは――彼があの顔をするときは、それは経験のない場面に直面したときだったのだ。

 わたしは声にならない声で、か細く彼の名前を呼んだ。鼓動が痛いのに、少しだけ不安な気持ちになりながら、そして彼の言葉を待った。

「きみの魔力、ちょっと貸して」

 殴ってやろうかこんちくしょう。

 そんなはしたない発言をのみこんだわたしを、誰か本当に褒めてほしい。


「良い結果は出ましたか、魔術師さん」

 わたしは体のだるさを感じながら、思いきり顔をしかめてやった。

 ヴェイドさんときたら“石に魔術構成を刻む”だとかナンだとか言って、わたしの魔力を自分のものと同じような気軽さで使うものだから、結構な体力を持っていかれる羽目になっていた。人には魔術を使わせないくせに、自分のことだと棚にあげる魔術師だった。

 先の発言も魔術が使えない彼に皮肉をこめて言ったつもりだが、ヴェイドさんはなんら気にしたふうも見せず「うーん、まずまずと言ったところだな」と、顎さきに手をあてて言った。

 そんな彼の目の前には小さな魔法陣と、その中心でくだけ散った貴石の残骸がきらきらと煌めくばかり。そしてわたしの右手は、彼の左手に。

 まあ要するに、ヴェイドさんの実験は見事に惨敗のようだった。いちおう、「まずまず」という発言から、結果として何か得られるものはあったようだが、

「ああ駄目だ、フィオナ。ぼくもう死ぬかもね」

「ええっ?」

 いきなりやけくそにならないでよ。

「ちょっとヴェイドさん、なにいきなり諦めてるのよ」

 得られるものがあった? と思った矢先にこれだ。わたしは苦い顔で彼を見やったが、彼はうんざり顔でわたしを見かえす。

「たまには諦めたくもなるよ。とっとと死んで魔王になったほうが楽なんじゃないかとすら思えてきた」

「馬鹿ね」

 わたしはため息をついた。

「あなたそんなことしたら、リスタシアに居られないんでしょう?」

 それに、そのままの魔術師ヴェイドで居られるという保障もない。

 彼はわたしが精霊化したとき、人間の面が表立ったときとは違う性格をしていたと言っていた。だから、きっと魔王になってしまえば、彼もそうなってしまうのだろう。

 そんなの嫌だとわたしは思う。

 ヴェイドさんがどんな姿だってかまわないと思うが、出来るなら今の彼でいてほしいのだ。

「あなた、わたしに責任を取ると言ったわ」

 わたしは彼をまっすぐに見る。

「魔術師は自分の魔術に責任を持つ職業でしょ? だったら諦めないでよ。あなた、ずっとわたしの夫でいなきゃ駄目なのよ」

「それって情熱的なプロポーズみたいだ」

「ぷ、ぷろっ!?」

 言われてみればそうだと思い、わたしは瞬く間に赤面した。

 ヴェイドさんはそれを楽しむように微笑んだ後、「普段のきみならそんなこと間違っても言わない」と、わたしに言った。「契約の反動なのかな、フィオナ。きみってば、ずいぶんと水の大精霊(ウンディーネ)になってきてるね」

「……どういうこと?」

 わたしは目を瞬いた。

「水の大精霊は、人と恋に落ちるめずらしい精霊だけど」

 彼は言いながらわたしの髪をそっと撫でた。そのまま頬へ、そして顎さきへと手をかける。迷いなく触れてくる手つきに、彼が魔術師としてわたしに触れているのだと分かった。

 そして彼は一言、「元来、精霊は一途だ」と言った。

「ウンディーネの愛は命よりも重い。彼女達にとって婚約とはすなわち、相手の体が自分の所属になるという意味だ。だから人が相手を好きになるのとは違って、灰色の部分がない。相手の裏切りが死へとつながる一番の原因なんだよ」

 自分に属さないものは、不要なもの。

 白か、黒。

 中間が存在しない一途な精霊にとって、それは当たり前のことなのだ。

「でも、わたしはヴェイドさんが本当に好きなのよ」

「愛してるって言葉が出てこない時点で、きみは人間としてぼくが好きじゃないんだよ。きみが言う“好き”っていうのは、好きか嫌いかっていう精霊の世界のなかの話なんだ」

「なっ……」

 彼のあまりの言い様に、わたしは言葉を失った。

 なんてことを言うの、と思った。

 確かにわたしは彼に対して“好き”だとしか言ってこなかった。でも、この魔術師を愛してると、思わなかったわけじゃないのに。彼が知らないだけで、好きか嫌いかと問われる前に、わたしは色んな葛藤を彼に抱いていたというのに。

 それに愛だなんて言葉は、わたしが普通の人間だったとしても、好きだと口にするよりずっと気力が要るものでしょう?

 わたしは思わず、傍にあったクッションを彼にぶつけていた。

「なによあなた……ッ!」

「ちょっといきなり殴るのは無しだって、フィオナ」

 まさか怒るとは思ってなかったのか、彼は意外そうに目を見開く。

 なにが意外なものですか。ここまで乙女心を愚弄されて怒らないはずがないじゃない。わたしはわずかに視界がにじむのが分かった。

「あなた、ぼ、ぼくも好きだって言ったのに、やっぱり全然そんなこと思ってないじゃない!」

 きっとあれも、好きか嫌いかの範疇で言っていたことなのだ。そう思うと無性に腹が立った。つまり、彼はわたしと延々精霊ごっこをしていたということになるのだから。

 わたしの言葉にヴェイドさんは何も言わず、代わりにわたしの顔を見ていた。ほうけたような顔を見ていると、もう、我慢ができなかった。

 どうして彼は分からないの。彼の心には届かないの?

「自分が愛されてるって気づきもしない人が、知ったように言わないでよ!」

 胸のおくにつきりと突き刺さるものを感じながら、わたしがもう一度振りかぶったクッションは、彼にあっさりと受け止められる。ぽさりと、軽い音を立ててそれは絨毯の上へと落ちてしまう。

 そしてぼろぼろと流れる涙を拭こうともせず、わたしは真っ直ぐに彼を見つめた。

 どう見ても傷ついたのはわたしのはずなのに、どうしてかヴェイドさんのほうが、深く傷ついたような顔になっていた。青紫の瞳がつらそうに細められる。

 フィオナ、と彼の口がわたしを呼んだ。

「きみといると苦しい」

「え……?」

 その言葉に、わたしは眉をひそめる。

 苦しい……? その意味が一瞬わからず、わたしはなにも応えられない。

「人でいたいと思うのに、人じゃなくなっている自分に気づく。こんなに苦しいのに、ぼくは泣くことも出来ないんだよ」

 淡々と述べながら、彼はわたしに手をのばした。

 そっと首すじを撫でられて、くすぐったいと頭のかたすみでわたしは思う。彼の月あかりのような銀色の髪が小さく揺れるのが見えた。

「苦しいのは、どうして」

 ようやく絞り出した自分の声は、思ったよりも小さかった。なぜなら魔術師の瞳がすぐそこにあって、わたしはそれに魅入られていたから。

「人の気持ちを思い出すからだよ」

 そう言った彼の顔がゆっくりとわたしに近づき、唇が、ふれそうになる。見たことのない彼の顔に、わたしは反射的に後ずさり、かたく目をつぶった。――駄目、それは駄目ッ!

 わたしの怯えを感じ取ったのか、彼はふっと笑って耳もとにくちづけた。

「言っただろう、きみは好きか嫌いかの世界にいるって」

「……は――…」

 ぽん、と頭をたたく感触がして彼の気配が離れていく。

 次に目を開いたとき、魔術師の姿は近くにはなかった。

「きみの魔石はもらっていくよ」

「へっ?」

 わたしは思わず目を瞬く。反射的に手もとを見おろすが、そこにあったはずの魔石がない。少し離れた場所に立ったヴェイドさんは、いつの間にかその手にわたしの耳飾りを持っていた。

「ぼくが取ってきた石の最後の一個だし、きみの魔力もあるからいちおう役に立つだろう」

「あ、でもそれは」

 わたしが貰ったのに!

 それを最後まで言う間もなく、ヴェイドさんは部屋を後にしてしまった。





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