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11 理を統べし者

 魔王という存在を知ったのは、そのときが初めてだった。

 そんな存在がこの世にあったのかと、現実的でない言葉を前にわたしは思う。そういうのは、子どもが読むようなおとぎ話の登場人物でしかなかった。

 だが彼は、泣きはらしたわたしを見おろして、言うのだ。

「ぼくは人間じゃないんだよ、フィオナ。魔の理を統べる王……ぼくはそういう存在に、一番近い者なんだ」

 魔の理――つまり、魔の法則である魔術を意味しているのだろう。それを全て手にした者が、すべからく魔王であると。幼いころ読んだ本のせいで、魔王といえば魔物の王様というイメージが先だつわたしには、少し想像しにくい話だった。

「でもあなた、水の魔術師だわ」

 魔王なんかじゃない。

 そう言ってやると、彼は力なく「それはぼくが望んだからだ」と言った。

「ひとつの地位に収まってしまえば、そう簡単には手が出せない。ましてや水属性の使い手は少数派だからね、後続は現れにくいものだ」

 ヴェイドさんは、まるで体を預けるようにわたしを抱いていた。単に行儀悪く座っているだけだとも言えたが、きっと彼なりの他人への甘え方なのだろうと思い当たり、わたしは少し恥ずかしかったけど、そのまま動かずにいた。

「魔王になんて、なりたいわけ無いじゃないか。そういうのはもっと尊大な、フレイアみたいな人が成るべきだろう?」

 あなたも十分に尊大だけど、とはまさか言えない。

 彼の両足の間で、わたしは地面をじっと眺めていた。先ほどぶちまけてしまった石の塊が、夕日を浴びてにぶく輝いている。よく見てみると、魔術師の瞳と同じ青紫の色だった。

「もし魔王になっていたら」と、わたしは口を開いた。「ヴェイドさんは今ごろどうなっていたの?」

「きみと会えなかったんじゃないかな」

 そ、それは質問の答えじゃないわよ?

 まるで告白みたいな言葉に、わたしは頬が熱くなる。こんな状況でものんきに答える彼に思わず焦るが、それは話の続きの一部だったのか、彼は静かに続けた。

「魔王になったらカルクトに行かなくてはならない。魔術師協会の統括は、その地位に就いた者の仕事だからね。いまは空席なんだけど……」

 先代の魔王にあたるという人物は、いまは行方をくらませているらしい。

 なんて無責任な人だろうか。

 そうは言っても逃げ出したわけではないのだと、ヴェイドさんは話した。何か事情があったというらしいが、その内容までは彼も知らないようだ。

 聖地カルクトに魔王が不在のいま、ヴェイドさんはもう何年も前からその地位にと請われ続けていたそうだ。

 でも彼はずっと拒んでいた。

 請われる地位についてしまえば、人の傍で生きることはできなくなる。自分に、おまえは人なのだと言い聞かせることもかなわなくなる。

 そんな彼の心を思うと、わたしの胸の奥がつきりと痛んだ。わたし達は二人とも、人でありたいと願い続けている。それはとても切ない願いだった。

 彼は言う。

「魔王というのは、神の使いだとも言われている。だから“彼”は世界中の魔元素を管理する役目を担っていて……それは繕うという行為に例えられて、先代は繕い人とも呼ばれていた」

 世界を繕うだなんて、人知を超えた話だった。

 だからこそ、魔の理を統べるということは、人と道を違えることなのだ。すべての属性を手にして、そして人の時を外れた異なる者。ヴェイドさんの話を信じるのなら、そんな彼と魔王との違いは、かろうじて彼が人間としての理性や感覚を持っているという点だけだった。


 ――ぼくは基本、小心者だからね。自分を護ることでせいいっぱい。わざわざ四属性を学んだのも、実はそういう気持ちがなかったからとは言い切れないんだよ。


「だからあなたは、苦手な火も克服したのね」

 ただ目をそむけることが解決にはならない。

 それなら逆に立ち向かい、それを掌握してしまえばと彼は思ったのだろう。それが彼にとっての最善の、逃げる方法なのだ。

 わたしのつぶやきに、ヴェイドさんは小さくうなずいた。

「全ての魔術を理解することは、理解したうえで使わないという選択肢に繋がる。使う方法が分かっていれば、それを避けることも出来るんだよ」

「…………」

「狂っていることを周りに悟らせないためには、自分がどう狂っているのか理解する必要があったんだ。ただ、それだけのことだよ」

 なんて馬鹿なの。そう思いつくの、あなただけじゃないかしら。

「あなたは、狂ってなんかいないわ」

 ぽつりと言って、そして我慢ができなくなって、わたしは彼の首をそっと抱き返した。山の気温は下がるのが早い。陽が傾いた空から冷たい風がふいてくる。でも腕のなかの彼はあたたかく、いまここに生きているのだとわたしに訴えた。

 この彼の存在を支えているのが、彼の理性だというの? それとも狂いながら、彼は自分に“まだまともだ”と言い聞かせている?

 そんなの嘘だと、笑い飛ばせたらどんなにいいだろう。やがて小さな声で魔術師がわたしに問いかけた。

「フィオナ、ぼくは人間じゃないと先ほど言ったね。じゃあ正体は何だと思う?」

 生きている。

 こんなにも確かに、彼は生きている。

「人間よ。わたしの目にはそう見えるわ」

 なのにどうして、彼はいまにも消えてしまいそうに見えるのだろう。

 それは彼の時の石が関係しているのだろうか。それとも、魔術師ヴェイドの存在が魔王に近いということが? その疑問を心のおくに閉じ込めて、わたしは目の前の彼をじっと見つめた。

「まあ、……ありがとうフィオナ」

 わたしの視線の向こうで、彼は苦笑した。ここまで話した上でまだそう言ってくれるのかという、そんな思いを含んでいるような気がした。

「ぼくはこの世で七番目になる大魔術師の、血を引いているんだ。正しくは体に彼の血が流れているというべきかな」

「つまり?」

「一度死にかけたことがあってね、そのときに彼の血をもらったんだ」

「……そうなの」

 魔術師から血をもらうという行為。

 それはある意味、契約を交わすという魔術だった。魔石が魔術師の血をもって、その者の魔力を宿すように、ヴェイドさんの体には七番目だという魔術師の力が流れている。だとすれば、それは。

「じゃあ、あなたが魔王に近いっていうのは」

「その彼が魔王だ」

 ヴェイドさんが顔をあげた。

 青紫の瞳がわたしを見あげる。赤日の光が、彼の瞳を揺らしている。

「そのときから、ぼくは普通の魔術師ではいられなくなったというわけだ。黒い髪と人間としての時を捨てて、それでもギリギリ、魔王にならずにこうして存在しているんだよ」

 水の魔術師として、

 このリスタシアで。

 彼はそこまでして、なぜ生きたいと思ったのだろう。三百年前、二七だった彼に何があったというの。

「ならどうしてあなたは、いま魔術が使えないの?」

 どうしてあなたは、ここに来て消えそうになってしまっているの?

「時の石が弱ってしまった」

 と、ヴェイドさんは言った。

「ぼくは人として欠陥だらけなんだ……魔力は作れるけど、それをとっておく器が無い」

 器?

「普通じゃなくなったときに壊してしまったんだ。だから時の石の耳飾りを身に着けて、体の外に流れ出る魔力をくいとめていた」

「えっとその……器って壊れるものなの?」

 話が飛躍しすぎて、頭が追いついていかない。

 彼の言う“魔力の器”というのは、“人の心”と同じぐらいあいまいな定義を持つものだ。

 人は器を見ることが出来ないし、それを簡易的にはかる装置は存在はするものの、正確なものではない。わたしも彼に魔力量が多いとは言われたが、実際にそれがどれほどかは分からないのだ。

「実際壊れたんだから仕方ないじゃないか」

 まあそうだけど。

 不機嫌そうに言われてしまえば、それ以上疑うこともできない。信じないのかと逆に問われる気分になる。

 わたしは彼が、このところ“疲れた”と口にすることが多かったのを思い出した。

 単純に、面倒くさがりな彼の口癖なのだと思っていたが、本当にそうだったのだろうか。いくらなんでも大魔術師なのだから、ちょっとやそっと治癒術や転移術を使ったぐらいでは、倒れないんじゃないだろうか。

 だとすれば、わたしと彼が出会ったころから、すでに“これ”は始まっていたのだ。

 時の石が弱ってしまったと話したヴェイドさん。彼は自分の異変に気づきながら、それでもわたし達のために力を尽くした。

 それはなんて、悲しいことだったのだろう。

 同時にとても悔しく思った。彼がわたしに何も言わなかったことが。

「……屋敷にリフレイアさんが来たとき、彼女はあなたになんて言ったの?」

「時の石を作りたいのなら、シャメルディに行け、と」

 その言葉を聞いて、わたしは彼の頭のてっぺんに顔を押し付けた。

「だから石ばっかり探していたの」

「ぼくには彼女に従うしかない」

 ヴェイドさんは言った。

「もう体も限界が近い。このまま人として命を落としてしまえば、魔王になるしか道はなくなる。……それを知っていたから何年も前から石ばっかり集めていたんだけど、フレイアはきっと分かってたんだろう。ただ綺麗な石を使えば、時の石を作れるもんじゃないって」

 彼のすぐ真横で、切り出された原石がきらきらと瞬く。青紫の綺麗な石。

 リフレイアさんに会いに行かなくてはいけないと、わたしは思った。このまま彼が石を探し続けるのを見ているわけにはいかなかった。きっとこの魔術師はわたしに助けを求めないから。

「明日リュカの工房に行くわ」

 素直になれないのはあなたの悪いところだわ。

 またひとつ彼の欠点を見つけながら、わたしはセザールさんの言葉を思い出していた。年上のあなたを、いつか必ず落とす作戦。

 もう頑張らないでと言いたいけれど、言ったところで届かないから。あなたが素直になれないから、わたしが真っ直ぐにぶつかるの。

 負けないでね、と彼そっくりの青年が言っていた。











「えっ、リフレイアさん居ないの?」

「そうだけど、そんなに驚くようなことなの」

 翌日、リュカの工房に訪れたわたしは、彼を前に落胆していた。

 昨日決意した通りにリフレイアさんに会いに来たわたしだったが、どうやら空振りのようだった。セザールさんと一緒に居ないとき、彼女はてっきりここに居るものだとばかり思っていたのに。

 そう言ってみると、リュカは顔を覆っていた布をずらして、こちらにあきれた顔を向けた。

「まさか師匠が、そんなかいがいしい親みたいな真似するわけがないでしょ。彼女、今ごろラヴィンバレーでのうのうと生活してるよ」

 ラヴィンバレーというのが、彼女が暮らす山のことらしい。

 詳しく言うならその向こう側の谷だそうだが、どっちにしろミニャールの町からは少し離れた場所にある。さすがに山の向こう側にまで行く元気は、わたしには無かった。

「じゃあ、リュカ。今すぐリフレイアさんをここに呼び出してもらえない、かしら……?」

「嫌だよ」

 彼は即答だった。

「誰が好き好んで、彼女に恩を売らせるっていうの」

 そうして、リュカはまた顔に布をつけて自分の作業に戻ってしまった。いまは原石の形を整えて磨いているのだと言った彼は、手慣れたようにギュルギュルとまわる魔導具を前に座っている。

「急ぎで聞きたいことがあったのよ……お願いよ、リュカ。彼女に会わせて欲しいの」

 わたしは耳障りな音を立て始めた“彼ら”を前に、懇願する。だがそれもリュカには通じない。

「あっそう。だからきみ、保護者“持参”でここまで来たってわけ」

「…………」

 振りかえった先には、尊大に椅子にふんぞり返る魔術師の姿。

 もうあえて言及はしまい。魔術が使えない以上、彼はこうしてわたしの身の安全を護るしかないというんだから、もう……もう。

 ヴェイドさんは、機嫌悪そうに目を細めたリュカを眺めながら「代金はちゃんと払っただろう?」と、動じることなく言った。彼のもとに整形前の原石を持ちこんだのは、他でもないヴェイドさんだった。彼は彼で、時の石を探し続けるみたいだった。

「だいたいあんた達、いい度胸してるよね」

 そう言ったリュカは、いまは目もとしか見えないはずなのに、とっても苦々しかった。

「俺は新作を作ってるって前に言ったはずだけど、石を磨けだなんて。俺は研磨師じゃなくて彫金師だっていうのに、何の冗談なの……?」

「あなたその割には手馴れてるわね」

 マスクの向こうで愚痴る彼に、わたしは冷静に返した。

「邪魔だってはっきり言って欲しいわけ?」

 そう言いながらも、手を休めないリュカだった。

 何だかんだ石のこととなると引き受けてしまうのだろう。彼はヴェイドさんが持ちこんだ石を相当気に入ったようだったから。最初はごつごつした表面だけだった石だが、いまはリュカの手によって丸く小さく、なめらかな顔を見せている。

「綺麗な石だわ」

「ターフェリープっていうんだよ。この地方の山奥にしか存在しない石だ」

 リュカは小さな石を陽にすかしながら言った。

 明るい光に透ける石は、きらきらとリュカの顔を青紫に染めあげる。まるで小さな花が散りばめられているかのようだ。

 そう思っていると、「別名、スミレの貴婦人とも呼ばれている」と、リュカが付け加えた。

「意外と親しみのわく名前なのね」

「……でもここまで純度が高いのを、よく見つけてきたなって思うよ」

 リュカは背後の魔術師に振りかえった。

「あんた、これをどっから見つけてきたの? 場合によっちゃ宝石職人の人生を左右するよ」

 えっ、そんなに!?

 思わず目をみはったわたしだが、ヴェイドさんは頬づえをついたまま返事をする。

「そりゃあ、ぼくも三百年も生きてるからね。ここいらで知らないことはなにもない」

「ふざけたこと言うと、この石全部ここで叩き割るよ」

「へえ、リュカルス。だったら代金八十万ルクスはお預けだ」

「……あんた、せこい大人だ。俺そういう人嫌いなの」

 けっ、と悪態をつきながらリュカは石に顔をもどした。そして視線はそのまま、彼はわたしに手のひらを突き出した。

「な、なによ?」

「気が変わった。……この前、あんたに台座をあげたよね。あれ出して」

「え?」

 この間、試作品だと言って作っていた耳飾りのモチーフのことだろうか。わたしはおずおずとそれを取り出すと、彼の手のひらに落とした。

 いったいそれで何をするのかというと、

「よし、完成だ」

 パチンと研磨後のターフェリープを、リュカは迷わずその台座にはめてしまった。慌てたのは今度こそヴェイドさんだった。

「あ、こら、誰が勝手に魔導具を作れっていったんだい」

「うるさいな。これまだ魔導具じゃないよ。師匠じゃないし、俺はそんな簡単に魔導具は作れないの」

 そう言いながら、リュカはわたしの手に、完成した装飾品を握らせた。

「“人間の”あんたに教えてやろう」

 ふいに真面目な顔になったリュカに、わたしは目を瞬いた。

 わざわざ、わたしのことを“人間の”と言ったのは、先日ヴェイドさんがわたしを“精霊”と言ったのに対抗しているのだろう。そこまでは分かったが、彼はいったいどういうつもりだろう。不思議に思っていると、「あんた察しが悪いね」と、リュカが顔をしかめた。

「わ、悪かったわね」

 魔術の心得なんて、これっぽっちもないのよ。

 本当、かわいくない弟だわ。でもそう思ったのは一瞬だけで、わたしは次の彼の言葉に顔を輝かせることになる。

「これに血を一滴たらして、一晩月夜にさらすんだ。そうしたらあんたの魔石が出来あがる。あんた、魔力が強いみたいだし、一回ぐらいは転移陣も使えるかもね」

「リュカ……!」

 わたしは思わず笑顔で、彼に抱きついた。それってつまり、リフレイアさんのところに行けるっていうこと? 彼はなにも言わなかったが、彼の行為が意味することはそれしかなかった。

 わたしに抱きつかれたリュカは、うっとうしそうにわたしを遠ざけようとするのだった。




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