05/15 お散歩
「お姉ちゃんとお散歩かい? 良いねえ」
休憩していた理髪店のおじさんが、目尻の皺を深くして笑った。私は嬉しくて誇らしくて、両手に掴んだ姉の手をぶんぶん振り回したのを憶えている。「あ、そうだ」とおじさんは手を打って、待つ様に言ってから店に入っていった。また戻ってくると、私に飴玉をくれた。
「ほんとはお客さんにあげるんだけど、今日は特別。でも危ないから、歩きながら食べちゃダメだよ?」
「ありがとうございます」
姉が頭を下げた。年の離れた姉は、とうに落ち着いた女性だった。私も姉の真似をして「ありがとうございます」と言った。
夏のギラギラした太陽の下では、何もかもが輝いて見えた。民家のブロック塀から飛び出す手入れされていない庭木も、有刺鉄線で囲まれた空き地の雑草も、それぞれ違った緑色が鮮やかで、アスファルトに混ぜ込まれたガラス片さえ、キラキラしていた。どういう訳か、土手を歩いている時に見た、向こうの橋を横切る自動車が、カメラのフラッシュの様に何度も何度も強い光を反射していた光景が、未だに印象深く残っている。逆に、私や姉の服装なんかはあまり憶えていないから、子供の頃の記憶は不思議だ。
花屋のおばさんは、
「今日は妹さんも一緒なのねえ」
と姉に気安く話しかけていた。「お名前は?」「いくつ?」なんて訊いてくるから、それくらい言えるもん、と思って、私はムッとしていた。散々色々尋ねておいて、おじさんの様に何かくれる訳でもないから、余計に。今思い返しても、我ながら現金で可笑しい。
「いつも大変ね」
「いえ」
そんな言葉を交わしながら、姉が花を買っている間、私は白いトルコキキョウに見とれていた。数ある花の中で、どうしてその花に一目惚れをしたのか、今の私には解らない。ふんわりと開く花弁に大人の雰囲気を感じたからかも知れない。兎も角、姉の買い物が終わり、店を出ようという頃、私は駄々を捏ねてしまったのだった。姉を困らせるつもりなんて、その時の私には少しも無かったけれど、今では申し訳無く思う。結局、一輪だけ買ってくれた。
「ちゃんと前を見て歩いてね」
「うん」
生返事をしながら、花をクルクル回して遊んでいた。暫く歩いたところで、子供のはしゃぐ声が聞こえた。そこは町内で一番大きい公園だった。私もよく姉に連れてきてもらっていて、ローラー式滑り台が大好きだった。お尻が痛くなっても何回も何回も滑っていた。いつも、そこから姉に手を振ると、少し離れたベンチから手を振り返してくれた。
「帰りに寄ろうか」
と姉は微笑んでくれた。
幼い私には、その散歩の目的地が一体どういう場所なのか、解らなかった。寂しい場所だというのは、今の知識がそう印象付けているだけで、当時はただ詰まらない場所だったのだと思う。足下は砂利だらけ、磨き上げられた四角い石と、奇妙な形をした木の板が並んでいるだけの、殺風景な場所。太陽の光さえ、その中では静かだった。よく私に微笑みかけてくれる姉も、そこに来ると、押し黙って表情を硬くする。
石の前にしゃがみ込み、両手を合わせる姉を、後ろからじっと見ていた。訳も解らず見守っていたけど、今では、その時姉の胸に押し寄せていたものが、容易に想像出来る。
買って貰った花は、あの後どうしただろう。帰ってから一輪挿しに挿したけれど、すぐに枯れてしまった様に思う。悲しい思い出はいつも曖昧だ。
だからあの花はきっと、姉の供えた花束に、そっと寄り添わせたのだ。
一日一話・第十四日。
「お散歩」のお題をくれた、ことみさんに感謝を。