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馬耳総論  作者: 馬耳東風
9/22

大相撲?もう小相撲だよ

 相撲人気の衰退が激しい。テレビ中継を見ていても空席が目立つ目立つ。若貴ブームの頃が異常だったとしても、これで興行団体としてやっていけるのか甚だ疑問。なぜ、こうなったのだろう。


 それほど難しい問題ではないと思う。要は、大相撲は興行であり、オリエンタルミステリーであり、エンターテイメントだとカミングアウトし、その在り方に誇りを持てなかったせいだ。

 誤解を恐れずに言えば、自分は八百長は否定しないし、むしろ肯定する。上記ににあることを前提に見ているからだ。一場所十五日を年間六回、それに地方巡業が加わるこのジャンルが、真剣にやっていられると思うだろうか。本場所だけで九十日。これに地方巡業を加えれば百二十日は行くはずだ。百キロを超える肉体がぶつかり合うこの競技をすべて全力でやれば、一場所だって持たないとスポーツトレーナーはほぼ同じ意見を口にする。

 無論、ガチンコ力士もいる。まあ、ガチンコと言う言葉がある時点で八百長前提なのはわかりきっているのだが。横綱貴乃花は、相撲に対する意識が果てしなく高く、現役はガチンコを貫き通した。兄弟対決の際も、微妙な相撲をとっているが、八百長をし開ければならない状況の葛藤の中で自滅した八百長崩れの様なものだ。そこまで血よくガチンコに誇りを持っていた彼も、二十代半ばになると怪我が多くなり、休場がちになっていく。そして、三十代を前にしての引退。これは、ガチンコを続けるうえでここが限界であることを示している。ましてや、彼は小学生から相撲をはじめ、トップクラスをの成績を収めた早熟の天才児。そこに遊びのないままプロの相撲もガチンコで続けた結果、体が悲鳴を上げてしまったのだ。貴乃花クラスの才能と肉体を持ってしてこれだのだから、普通の力士がどれだけガチンコに耐えられるかは言うまでもない。

 結果として、花形力士の早期引退や休場の続出、そう言うつまらない事態が発生していくのだ。かと言ってガチンコを否定はしない。好きな人は好きにガチンコをやればいい。だが、大相撲は興行、注射が基本のエンターテイメントだと思うのだ。

 プロレス界同様、大相撲はWWEになれなかったのだ。裁判や税制の問題で、WWEはプロレスはスポーツではなくエンターテイメントだと告白した。つまり台本や打ち合わせが存在するのだ。だから、結構馬鹿馬鹿しいストーリーが展開していくのだが、その馬鹿馬鹿しい事を真剣にやり、展開されるレスリングが実に高度で世界最高峰なので、ケチのつけようがなく、金を払って見ても後悔しない。

 大相撲も、基本的に無か仕方注射はあったし、それが基本だった。だが、それは生活をかけた一種の生業の側面と、客を満足させるという不文律があった。次に、スターシステムと言うのがある。やはり、中心となるスター、つまり横綱は興行の上で必須。それをプロデュースするのだ。レベルが高く、ガチでも普通に綱を張れた大鵬だが、晩年は注射によってメンツを保ち、次のスターを待つことになるのだが、大衆も「巨人、大鵬、卵焼き」を楽しんでいた。ちなみに、通や大人は、「大洋、柏戸、水割」である。では、大衆は騙されていたのかと言うと、そうとも思えない。子供やミーハーは身を乗り出して信じて楽しんだわけだし、玄人はガチと注射の違いを見抜き、その駆け引きや新の強さを見出すことに喜びを感じるのである。まさしく、WWEと一緒だ。

 八百長と言うが、この場合はギャンブルではない。だから、誰も損をしていないのだ。事実、客は真剣勝負ではなく「相撲」を楽しんでいるのだから、提供したものでしっかりと商売を成立させている。そもそも、真剣勝負を前提にしていると宣言していないし、調印もしていない。

 真剣勝負で有名な物に、力道山を木村武彦の『巌流島の決戦』がある。これも、本当は台本が存在したのだが、途中で何を思ったのか、それとも最初から狙っていたのかは知らないが、内腿に当たった木村のローキックに、力道山が急所攻撃への報復と言う形で、張り手を顔面に乱射。ほぼKOしてしまったのだ。この試合で、柔道界の司法だった木村の日本での(ブラジルではものすごく有名)名誉は失墜し、力道山は日本のヒーローになる。これは、力道山が誓書を反故にした八百長崩れである。つまり、途中から喧嘩になったのだ。真剣勝負とは、ギリギリのルールで戦う喧嘩に過ぎない。それが本当に楽しいのかは、かなり微妙である。

 注射のシステムによって順調に興行が回っていくのだが、これに狂いを与えたのが千代の富士。彼は、このシステムを使う事で大相撲界の皇帝に君臨し、独裁者となった。毒差しやであるためには、強さがなければすぐに転覆される。だが、千代の富士はガチで強かった。陸上で鍛えた瞬発力と、脱臼癖を克服するために行った筋力トレーニングのたまものである腕力。この強さで頂点に君臨し、注射システムを使って覇権を築いたのだ。優勝や白星を譲る代わりに現金やその次の場所などの星の融通をする。しかも、個人ではなく部屋単位で行われる複雑なシステムのため、瞬く間に絶対王政時代に入る。もし逆らえば、ガチンコで圧倒的な強さを見せつけ、『俺に逆らう限りはこれ以上は稼げないし上にはいけない』と言う無言の圧力をかける。何しろ、周りは千代の富士王国の国民なのだ。勝ち目はない。この頃の注射システムがたちが悪く、一部の権力者に権益が集中する様になり、王国のルールを守ってさえいれば安心と言う緩みが蔓延し、レベルが一気に低下した。だからこそ、反旗を翻し続け、偽りの連勝記録をガチンコで止めた大乃国は偉大である。

 次の時代は貴乃花時代。彼は、基本的に相撲だけに才能が特化した天才のため、こういうシステムを理解しないし受けつけない。部屋の方針でもガチンコが基本。そのため、この時代の相撲にはガチンコ相撲が多く、注射組も安心していられないため、相撲のレベルがアップした。その代わり、肉体が耐えきれず、休場者続出するため、客に取り組みを提供できないと言う、ガチンコが興行のとって諸刃の剣であることを示す結果にもなった。

 その後は、外国人時代になり、部屋毎に加えて国ごとのグループや大関互助会が発生する。一人横綱となったことで、興行のすべての責任を担う事になった白鵬。スターシステムが適用されないはずがない。だが、相撲賭博問題による八百長への過剰反応で、スターシステムも稼働しなくなり、彼の肉体の衰えも始まっている。この先どうなるのか、正直わからない。内容が安定しないガチンコ、興行の体裁をとる注射。正直、どっちでもいいのだが、土俵の上の相撲のレベルは客を満足させる物であってほしい。それはどっちでもいいと言える条件だ。


 興行と言う点でいつも思うのだが、なぜナイターをやらないのかという疑問がある。日中に両国国技館に駆けつけられる客層と言うのは、どんな年齢層で、職業で、どれだけ集客できるのか考えた事はないのだろうか。

 例えばプロ野球。ナイター設備のない地方球場以外は、平日はナイターである。そうでなければ、客席は埋まらないし、試合を提供できない。興行として、最も客が集まる時間帯に試合を行う。当然のことであり、商売の基本だろう。

 Jリーグは日中に試合を行う時は、土日である。これにより、ナイター設備がない所でも、客は足を運びやすい。集客上、とても理にかなっている。

 にも関わらず、大相撲はデーゲームだ。大体、平日の昼間から相撲を醜人がどういう仕事をしているのか、いつも不思議だ。結局、仕事をリタイアした年寄りか、貴重な休みをとってこれる人しかいないではないか。リピーターこそ、客商売の一番の財産だ。だが、そのリピーターが生まれるシステムになっていない。

 実はナイター興行をやった事はある。一度だけ。

 まず、大相撲協会の歴史で、大事件でありスキャンダルと言い分裂事件、春秋園事件である。ここで、最初の打開核が起こる。

 この事件はわかりやすく言えば、春闘で会社に待遇改善を申し入れたが、受け入れられないので組合に属していた社員のほとんどが会社をやめてしまった、と言う事である。しかも、右翼が乗り出しても解決しないのだから、性根が座っていると言うか、覚悟が違う。ただ、相撲協会に要求した内容が至極まっとう(この時代で言えばすごく解明的だし、未だに実現していない事が多いのが異常)な内容であったため、この時から相撲協会の矛盾や問題は明らかになっていた事がよくわかる。

 だが、この事件はスケールがでかい。番付表の7割が脱退してしまい、新たな団体を立ち上げてしまったのだ。全日からノアが派生した様なものである。

 新しい試みもなされ、トーナメント制の三番勝負、四本柱の撤廃、アナウンスの導入など画期的な試みがなされるが、あえなく崩壊。だが、大改革があったという歴史は残った。

 そして、ここまでやってもいいという前例ができたか、昭和三十年に一度ナイター興行が行われ、八時終了と言う場所があった。観客からは好評だったのだが、り切り側から生活リズムが乱れると言う不評もあり、以後ナイターはない。

 馬だって、ナイターをこなす時代だし、野球選手もそうだ。高校球児だって、結構時間帯が動く中を試合する。朝方なら、時間をかけてナイターに適した時間に移していけばいいのだし、それがアスリートだ。力士と言っても神様ではない、一運動選手であることが前提である。


 こういった些細なことが大きな問題となり、小回りが利かない状況となっている事が、こんなに面白いジャンルであり、オリエンタルエンターテイメントとして海外でも有名なのに、錆ついた思考のためにジリ貧になっている。国技と言っても、あれは言ったもん勝ちの造語だ。江戸時代には完全に興行としての見世物協議、つまりWWEのプロレスと一緒だったのだ。それを国技と言う言葉で品を持たせているに過ぎず、中身は変わっていない。だから、大相撲協会は、興行団体であり、取り組みはエンターテイメントだと言っても何の差支えもない。まあ、皇室も絡んでくるから難しい面もあると思うのだが、相撲通の昭和天皇はわかっていたのではないかと思う。じゃないと、長くは楽しめないジャンルだからだ。

 国技と言いながら、外国人に頼らないと興行が成立しない大相撲。もはや小相撲である。相撲賭博は困るが、注射はあっていいのではないかと思う。もちろん、内容は最高のレベルを維持してくれないと困る。マスコミもマスコミだ。わかっていたくせに、今頃になって八百長八百長と騒ぎ出す。ギャンブルでもないし、見世物として客を満足させた以上、売り手と買い手の契約は成立している。エンターテイメント団体です、この一言で協会も力士も、そして国民も楽になると思うのだが、この考えは不謹慎だろうか。ジャイアント馬場がK-1の成功を見て『あれってプロレスだろ』と言ったと言う話を聞くが、相撲にも言えると思うのだ。エンタメで何が悪いのか?要は演出だ。騙すのではなく、最高の技術で夢を見せ、楽しませる。

 もちろん、真剣勝負も見てみたいが、それは今の興行では無理だろう。過酷すぎる。そんな中で力士が消耗品の様に消えていくのはつらい。年三場所から四場所がいい所だろう。それでも客が我慢できるなら、すべてがガチンコの相撲になる。行動するのは協会だが、それを呑めるかどうかは客次第だ。

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