表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
馬耳総論  作者: 馬耳東風
21/22

名セリフ

「I’ll be back.」

ターミネーターシリーズを通じて出て来るセリフ。だがい、一作目では、サラの居場所の確認とあわよくば面会をするために、警察の窓口に来たT-800だがうまくいかず、出直してくると言う意味でいったセリフ。この後、強行突破することになる。

有名になったのは、2で警官隊に包囲された状況で、ここで待っていろとサラとジョンに言うシーンでのもので、T-800の頼もしさを表している。3では、「I」ではなく、「She」と言う様に、相手の事を指しているセリフにアレンジされる。



「マクフライ!」「おーい、頭の中に誰かるか?」「へヴィだな」「1.21ジゴワット」「なんてこった」

『バック トゥ ザ フューチャー』からである。タネン一族からいびられる伝統のマクフライ一家。「重大だな」と言う意味なのに、55年のドクにとっては「重い」と言う重力の問題に聞こえてしまう。ギガワットと今は言うだろう。実は、マーティーより落ち着きがないドク。それらを如実に物語る台詞である。だが、並べてみると、どうでもいい様な台詞ばかり。未来は白紙云々という名声台詞はあるが、こういうどうでもいい台詞の方が記憶に残る。



「味方は近くにおけ。敵はもっと近くにおけ」

『ゴッドファーザー』において、ビトー・コルレオーネが息子のマイケルに言い聞かせる言葉。裏切り箸の制裁が待つマフィアの世界。だが、敵は外ではなく身内から必ず出てくる。味方は近くにお敵えればならない。しかし、何食わぬ顔で自分の隙を狙う敵は、敢えて自分の近くに置くことで観察をし、油断させることが自分を、ファミリーを守る最大の武器となる。ゴッドファーザーとは、悲しい地位なのだ。



「あっしには、関わりのない事でござんす」

『木枯らし門次郎』の決め台詞。一匹オオカミは、誰も見方もなく、支援してくれる後ろだてもない。己の裁量が身のよりどころである。だから、自分で責任を持てないことには首を突っ込む事を避けるのが、生き残る術である。紋次郎もそれを自分に課すのだが、結局彼は人情や義理を通す甘さを持っているため、方々でトラブルに巻き込まれる。圧倒的な強さがないので、いつも死線を彷徨う。関わるわけにはいかない。でも、いつか命を落とす日まで、結局は自分は面倒なことに関わっていくのだろうと言う諦めが現われている。



「それを言っちゃあ、おしめえよ」

車寅次郎、言えでのフラグである。寅さんは、渡世人であることに強烈なコンプレックスを持っている。家族想いであると同時に、家族に甘えたくて仕方ない。でも、自分はトラブルメーカーであり、お荷物であることも認識している。だから、家では必死で「いい子」を演じようとする。しかし、それは本来の自分ではないから無理がある。そして、些細な行き違いで我慢の限界に達し、この台詞が飛び出す。『俺だって、みんなと一家団欒の時間を過ごしたい。でも、それができない人間なんだ。なのに、なんだよ!!」と言う、キレやすい子供の部分が凝縮されている言葉である。だが、旅先での生き生きとした様子、赤の他人とうちとけて親しくなる人格、様々な女性が惹かれる魅力。寅さんの世界は、本人の思いとは裏腹に外にある。



「ボンド。ジェームズ・ボンド」

007=ジェームズ・ボンドが、自己紹介の時に言う、独特の言い回しである。気障な様式美として必ず出てきた台詞なのだが、『カジノロワイヤル』以降、微妙にニュアンスが違っている。

この作品では、ボンドは00の称号を得てまだ日が短い。暴走しやすい上に、無意味に人を殺してしまう。女性に対しては冷淡と、プレイボーイとは程遠い、感情を殺そうとするエージェントである。しかし、一人の女性を愛することで人間性を取り戻し、愛することに人生をかけようとする。しかし、彼女は二重スパイであった。そして、ボンドを愛するが故に償いとして死んでいく。彼女の死は、ボンドの人間性の一部の死となり、ジェームズ・ボンドの名は、個人名ではなくただの記号、つまりコードネームの007と同じ価値しかなくなる。ラストで自分の名を告げる彼の顔は、愛することを放棄し、職務を遂行することに生きる意味をなす、冷淡なスパイの顔である。



「俺達が国を愛したように、国も俺達を愛して欲しい」

『ランボー2 怒りの脱出』より。ベトナム戦争にて、強いアメリカがボロボロにされてしまう。強さこそアメリカの象徴。その虚像を守るために犠牲になったのは、誰よりも国を愛して地獄の戦場で戦った兵士達。ランボーが帰還できたものの、社会に適応できなくなり、一つの街を混乱に陥れてしまう。

彼らは、戦場では勇者、一般社会では厄介者、国の都合のためには邪魔ものにすらなりえてしまう。戦争を善悪二元論で語ることはできない。今を生きる兵士に対してできることは、せめて彼らの気持ちに応えられなくても向き合う事。叶わないと走りつつもその思いの丈をぶちまけ、戦う事しかできないランボーは姿を消す。



「これで隠せ」

『マスク オブ ゾロ』にて、二代目ゾロとなるアレハンドロに対して、初代ゾロのディエゴが言う言葉。

アレハンドロは弟を殺されいる。ディエゴにその後で会い、ゾロとしての技術と心得を叩きこまれるが、宿敵を前にし、どうしても憎しみを押さえることができない。そのアレハンドロに、ディエゴはゾロの仮面を渡し、民衆のヒーロー・ゾロは個人的な感情に押し流されてはいけないと諭すし、決して憎しみの感情には流されないヒーローの象徴である仮面を差しだす。その仮面がある限り、怒りや憎しみ、悲しみには負けない、負けてはならないのだというメッセージだ。そして、引退して一個人として生きようとする自分に『民衆を見捨てるのか』と問うアレハンドロに、『民衆にはゾロがいる』と言い残す。

ヒーローはなぜ仮面を必要とするのか?その仮面の下にはどんな顔が隠されているのか?その心理がこの台詞で示されている。



「ガメラは誰も殺したくないの」

怪獣が暴れれば、人間はひとたまりもない。ガメラがいる所、死者を出すことは避けられない事もある。だが、ガメラは決して殺したくはない。むしろ守りたいし、命を奪う事に対し、苦しみすら覚えるはず。何故なら、ガメラは『地球の生命を守る守護獣』だから。人もまた、地球に生きる生命の一つ。どうして、その人間の犠牲に平静でいられよう。

ギャオスを駆逐しなければならない使命を帯びている。この作品のガメラの造形のコンセプトである。地球は、異物であるギャオスの許すことはできない。だが、負傷を顧みずに人を守ったりするなど、明らかにガメラは自分の意思を持っている。犠牲を強いられる戦いは、ガメラにとっては苦しみ以外の何ものでもない。本当は誰も殺したくはない、その言葉に、ガメラと言う存在の答えはすでに示されている。


「敵は愛する者を狙う」

『ゴッドファーザーPARTⅢ』にて、マイケルが後継者にしようとしているおいのアンソニーに対する忠告。自分の娘と付き合っているアンソニーの身を案じているより、娘を巻き込むなと言う遠回しの警告でもある。

マイケルの父のビトーは、息子のソニーを敵組織に殺されたが、血の報復の連鎖を断ち切るために、苦渋の選択として和解の道を探った。だが、後を継いだマイケルは、冷酷な血に目覚めることで、裏切り者を容赦なく粛清していく。ファミリーの拡大の過程において、ほんの少しの出来心で間違いを犯した兄のフレドを、母の死を待って殺すと言う所までいく。だが、優しかった兄を殺したことは、彼の中で大きな十字架になり、心身を追い詰めていく。そして、その罪の清算は、最愛の娘を殺されると言うもの。まさに「敵は愛する者を狙う」と言う言葉が、数々の罪を犯したマイケルに向けられたのだ。その後、彼は精神が崩壊し、静かに死んだ父と同じシチュエーションでありながら、果てしない孤独の中で死んでいった。



「青いと言うより薄汚い。今朝も顔を洗わなかったな」

ドラえもんが、自分の顔が青いと言うひたすら遠回しな表現で頼ろうとするのび太の言葉に対して言い放った、恐ろしく冷たい言葉。

元々、この漫画は、どす黒いと言っていう程のブラックユーモアがちりばめられている。だから、子守りロボットとは思えないほど、身も蓋もないことを平然と言う。『野郎、ぶっ殺す』、『世界中が君のレベルにおちたら……』、『気にいたない奴は消しちゃえ』、『日本が負けるの』、『ミサイルでも打ち込むか』、『死んじまえ』など、教育に悪いことこの上ない。これが、本来の姿である。現在の水田ドラの姿に近く、大山ドラは大人しすぎるのだ。何しろ、のび太と呼び捨てにするのだから。それでも、

ジャイアンのまるでラオウのような暴君の言葉に比べればまだ上品であった。



「俺達が殺しをして、少しでも世の中よくなったか? 俺達に殺られた奴らにも、妻や子供がいたかもしれないんだ」

『暗闇仕留人』の最終回にて、メンバーの一人で主役である糸井貢によってむき出しになった、殺し屋稼業の矛盾である。稼業として、或はやり場のない怒りをぶつける手段として、極悪人が悪人を成敗することで、弱き者の無念を晴らしてきた必殺シリーズ。だが、殺された悪党の背景を考えてしまった時、彼らの稼業は避けようのない矛盾にぶつかってしまう。答えを出せなかった貢は死に、問題提起を残された主水は、情熱をぶつけるアマチュアを卒業し、掟を重視するプロの殺し屋へと変貌する。それでも、地獄の道連れである仲間を大事に考えてしまう苦しみは続く。

この言葉は、目の前に現われる敵を倒していくヒーローすべてに突きつけられる。ヒーローの責任は、殺された者達の無念や恨みを背負う事なのかもしてない。




「巨人の星を俺の新しい人生において、今度はどんな夢の星にしようかな」

原作の巨人の星における、星飛雄馬の最後の台詞である。飛雄馬には、破滅願望がある。何故なら、目標や生き方が余りにも周りに依存過ぎるのだ。巨人の星になると言うのは、父の夢をかなえると同時に、自分の人生を支配する父親からの脱却である。大リーグボールを開発し続けるのも、父への挑戦であると同時に、ライバル達に勝利することだ。だが、自分の意思で目標を見つけ、高みを目指すと言う姿勢がない。同期が常に他人になる。だから、投げる度に左腕が破壊されていく大リーグボール三号を投げ続け、彼が覚悟した通りの結果になる。もはや、野球ができなくなるリスクを抱えているにもかかわらず、そのような行為に及んだのは、リコ的な勝利を手にする事が彼の原動力だったからだ。それ以外の幸せも、彼は恋人の死で捨ててしまったのだ。

人生の意味そのものだった野球を奪われた彼は、生ける屍である。世間と関わっていく必要も意思もない。幸せな空気が溢れる左門の結婚式を一人さびしく窓から眺め、上の台詞を呟きながら、飛雄馬は何処かへ姿を消していく。その背中には十字架の影がうつり、彼の一つの死を宣告する。だが、彼は不死鳥の様に蘇る。本当の危機腕である右腕を引っ提げ、誰にも干渉されなかったその腕で、自分のための野球を目指し始めていくのだ。



「少なくとも、ゴジラは中立だ」

『南海の大決闘』の中に出てくる、ゴジラの立場を表す言葉だ。

ゴジラは、基本的に人間を意識的には襲わない。ただ進行方向、或は攻撃対象のそばに人がいるだけである。確かに、破壊と言う行為は人間にとっては悪。だが、ゴジラにとっては、そこに建物があり、自分を攻撃する者に報復をしているに過ぎない。それを悪とみなすのは、人の価値観である。野生動物に、そんな価値観を当てはめることは不可能である。だから、ゴジラの立場に立てば、ゴジラはひたすら中立なのである。GMKに違和感を感じるのは、怨霊と言う存在になっているため、人を呪い、故意に襲うのが行動の理由になっているためである。



「お恥ずかしいったら、ありゃしない!」

なかなかソフト化されない、90年代の日テレの刑事ドラマ『刑事貴族』。舘ひろしの頃はハードボイルド。郷ひろみの頃は若干薄れたものの、基本的にシリアスなドラマ。だが、2になると、基本メンバーが変わらないのに、主役に水谷豊が起用された事により、ギリギリバブルの臭いが残っている、お洒落な代官山周辺を舞台にする、軽いノリの刑事ドラマに生まれ変わった。

上のせいるふは、必ず一話ごとに出てくるのだが、この台詞が漂わせる空気同様、とにかくノリと勢いで事件に立ち向かい、拳銃をバンバン撃ち合い、上の台詞で犯人をおちょくり、部活動の様な雰囲気である。権利の問題でなかなかソフト化されず、地上波でも再放送されないのが非常に残念。ちなみに、ウルトラシリーズや相棒シリーズの出演者多数。



「港署のダンディー鷹山と」「セクシー大下だ」

説明するまでもない、『危ない刑事』の危険なコンビ、タカ&ユージの自称の異名である。他にも、『女、紹介してやる』、『勘弁して下さいよ、先輩』、『鷹山と大下はどうした!』、『瞳ちゃん、お茶』など、マンネリの様に出てくるセリフが多い。マンネリは別に悪いことではなく、作品の顔であり、安心感をもたらすものである。このドラマでの車の運転の荒さは、西武警察など目じゃない。




「二つで充分ですよ」

『ブレードランナー』に出てくる、意味不明の日本語。主人公のデッカードは『四つ』と頼んでいるのだが、屋台の親父は『二つで充分』だと言って譲らない。問題は、何を入れているのかと言う事なのだが、エビ天じゃないかなあと個人的には思っている。

とにかく、アメリカ人にとって、日本は未だに『007は二度死ぬ』の頃と変わらない、妙な認識がある様で、この台詞はデッカードが屋台で食事をする場面で出てくるのだが、変な日本語の看板と共に、強烈な印象を残している。貿易摩擦の頃の日米関係を知っていると、どれだけアメリカ人が日本の経済力を脅威に思っていたかがわかるビジュアルだ。

ちなみに、この映画はディレクターズカット版で、映画の解釈もテーマも根幹から変わってしまう。おかげで、ディレクターズカット版が色々な作品で得点として出てくるのだが、上手くいったのはターミネーター2とエイリアン2ぐらい。そもそも、尺の都合とはいえ、贅肉とみなされて削ぎ落された部分がついても、それが面白いわけがないのだ。やっぱり、編集すると違和感が出てしまう。特典映像で留めた方がいいと思うのだが……。

一応、これ以降のSFで描かれる未来の世界は、汚れたイメージが多くなるのだが、この作品のビジュアルが基礎になっている。



一先ず、ここで留めることにする。また次の機会に……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ