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馬耳総論  作者: 馬耳東風
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映画音楽

 映画に音楽がなかったら、どんなにつまらないだろう?ドキュメントを見せられている気分になるだろうが、実際にはない出来事なのはわかりきっているため、完全な絵空事としてみる事を強要されるのは目に見えている。実際に文芸作品など、人物描写をごくごく自然に、そしてリアルに描く映画ほど、音楽はなくなっていく。音楽は、映画と言う異空間に我々を誘うと言う大きな役目を背負った装置であると言える。

 黒沢明監督は、音楽に対してはかなり注文のうるさい監督だったと言う。クラシックに草子が深く、オーダーを出す際にはサンプルとなる曲を作曲家に持ち込んだ話は、映画ファンの間では知られた話である。だが、イメージ通りの音楽を要求する姿勢が強く、わざわざその曲を持ち込んで聞かせるために、作曲家としては非常にきつい仕事だったらしい。クリエイターである以上、自分の色は出したい。だが、イメージと違うと駄目だしを出された上に、元ネタとさして変わらない曲を作らされるわけだから、たまったものではないだろう。

 カンヌ映画祭でグランプリを受賞した「羅生門」では、ボレロをイメージしたのはいいが、その音源をそのまま作曲家に渡し、極力それに近い音楽を作らせている。じゃあ、そのまま使えばいいじゃないかと思うのだが、やはりそこは自分の映画にはそれにふさわしい音楽が必要であり、既成の曲を使うのは何かが違うと考えたのだろう。この時の作曲は早坂文雄。よほど相性が良かったのか、早坂亡きあとは、黒澤明の作風が変わったとまで言われている。

 黒澤明と音楽家の関係で有名なのは、武満徹との関係である。とにかく注文の多い黒澤に対し、すでに音楽界の巨匠である武満徹が納得いかず、折れる事も出来ずにぶつかるのは必然である。何しろ、片方は天皇と言われた黒澤である。両雄並び立たない所を並び立たせるのは並大抵ではない。

 何しろ現代音楽の巨匠に既存のクラシックのイメージを要求し、映像にその曲を付けたものを見せるのだから、独創的な現代音楽がジャンルである武満徹にしてみれば、『俺じゃなくてもいいだろ』の心境になってもおかしくはない。案の定、ギリギリの妥協をしながら作品を作り上げ、二人は袂を分かつ。

 映画音楽とは、ただのBGMではない事を物語る逸話である。


 似た様な逸話と言うか武勇伝は海外にもある。黒澤明のような強固なイメージを作曲家に要求する監督がいたのだ。その名は、スタンリー・キューブリック。あの「2001年 宇宙の旅」の監督である。あの映画には、ちゃんとオリジナルのサウンドトラックが存在しているのだが、実際に使われたのは『ツァラストゥラはかく語りき』、『美しき青きドナウ』など、およそ宇宙やSFなどとはかけ離れたイメージの局であった。だが、今見るとその曲以外にはあり得ないと思うほどぴったりと映像に合っている。曲に合わせて映像を作ったのか、出来上がった映像に合う音楽を見つけ出したのかはわからないが、天才的とも思えるほどの音楽センスを用いて、キューブリックは既存の曲を映画に使用しては名作を作り上げていく。ちなみに、先述のオリジナルのサントラを作ったアレックス・ノーラはこの仕打ちに激怒したようだが、実際に音楽を聞いたファンの評判はすこぶる悪い(劇伴曲として)。監督の大勝利である。


 映画のイメージと両立するいわゆるハリウッドスタイルと呼ばれるあり方を確立したのは、ジョン・ウイリアムズではないだろうか?有名な『スターウォーズ』のテーマ曲など、数々の名曲を世に送り出している作曲家だ。

 この人の映画音楽の特徴は、作品自体やキャラクターに明確なテーマを与えること。『スター―ウォーズ』であれば、OPのトラペットの導入部から入る有名なテーマ曲、マーチのリズムで低音と短調で迫ってくる帝国のマーチなど、これを聞けばキャラクターやシーンが思い浮かぶほど、明確なフレーズとそのシーンに秒単位で合わせている作曲によって鮮烈なイメージを観客に与えている。70年代後半から80年代のハリウッドの娯楽大作はこのスタイルの曲が多い。ジョーズ、インディ・ジョーンズ、E.T、ターミネーター、ロボコップ、バックトゥザフューチャー、ジュラシックパークなど、ワンフレーズ聞くだけで映画の映像が脳裏に浮かぶと言う映画と音楽の密接な関係が目立つ作品が多い。ここ最近は、そのシーンごとの雰囲気に合わせた音楽と言うのが多く、明確なフレーズがないパターンが主流である。

 日本でも、この音楽だけで映像を脳内から引きずり出してしまう映画がある。怪獣映画である。

 有名な『ゴジラ』の音楽を担当した伊福部昭。彼が作り上げたあの有名なタララ、タララ、タララタタラタララ~というフレーズをひたすら繰り返すもの。これはオスティナートという手法である。この繰り返しのフレーズと明確なテーマにより、あの音楽なしにはゴジラ映画が存在し得なくなってしまっているほどである。ちなみに前述のフレーズは、元々はゴジラのテーマではない。これは、第一作では自衛隊のテーマで使われている(もっともゴジラに蹂躙されているのがほとんどだが)。このフレーズがゴジラの物になるのは、『メカゴジラの逆襲』が最初で、21年ぶりの使用となっている。それまでのゴジラのテーマは、ゴジラが氷山を突き破って出現するシーンが有名な『ゴジラの恐怖』である。他にもラドンやキングギドラ、メカゴジラ、怪獣大戦争、Gフォース、レクイエムなど、フレーズと映像が一体となる曲は多い。

 最も密接に音楽と関わる怪獣がモスラである。特に、モスラには曲以上に歌が与えられるなど、この濃密とも言える関係はモスラのアイデンティティとなっているほどだ。『モスラの歌』、『マハラ・モスラ』、『聖なる泉』、『幸せを呼ぼう』、『モスラの唄』、『祈りの歌』、『モスラレオ』、『ハオラモスラ』などとにかく一頭の怪獣にこれほどの歌が与えられるのはモスラだけだ。これにモチーフが加えられるとものすごい数になる。平和の使者、永遠の生命、繰り返し甦る大いなる者、光と太陽の子などと歌詞の内容も厨二レベルなど受けつけないほど実に深いのだ。モスラは歌の女神とも言える。蛇足だが、筆者は『ハオラモスラ モルVer.』が好きである。


 映画音楽。映画は音楽なしでは成立するのは本当に難しい。強力なキャラクターを作るには、音楽の力を借りなければなしえないのだ。今度映画を見るときは、少し音楽への関心を持って鑑賞すると、また違った魅力が見えてくるはずだ。

  

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